3つあるザ・ブルーハーツの “デビュー曲”
ザ・ブルーハーツのメジャー・デビューシングルは1987年5月1日にリリースされた「リンダ リンダ」だが、その2か月前の2月25日にはインディーズで「人にやさしく」を世に出している。この曲は翌年レナウンのCMソングにも使われ、メジャーからCDシングルもリリースされたので、この曲が実質的なデビュー曲と言って差し支えあるまい。
しかし、さらに遡ること1年3か月前の1985年12月24日、限定枚数のソノシートではあるがザ・ブルーハーツは初めて音源を公にしている。それが今回取り上げる「1985」なのだ。
封印された幻の曲「1985」
タイトルの読み方は、歌詞にも出てくるが「ナインティ・エイティファイヴ」。1985年に結成されたザ・ブルーハーツがこの年限りで歌い、12月24日の都立家政スーパーロフトでの初ワンマンライヴ『世界一のクリスマス』の時にこの曲のソノシートを観客に配布。その後封印された。
1988年「TRAIN-TRAIN」での大ブレイク前夜にブルーハーツのファンになった僕は、よってこの曲を聴いたことが無かった。かの西新宿で探したこともあったが、200余枚のソノシートにはさすがにお目にかかれなかった。
僕を含め多くのファンが「1985」を耳にしたのは、ブルーハーツが解散した直後だったのである。
発表から10年、ブルーハーツ解散後ようやく世に出た「1985」
1995年6月1日、ザ・ブルーハーツはNHK-FMの番組で解散を発表した。それから4か月半後の10月16日、ブルーハーツの前期ベスト盤『スーパーベスト』がリリースされた。全17曲の最後に、遂に「1985」が収められたのだった。
作詞・作曲はヴォーカルの甲本ヒロト。メンバーはギターの真島昌利(マーシー)とベースの河口純之介、そしてドラムスだけは翌1986年からメンバーになる梶原徹也ではなく、英竜介(2017年他界)であった。
1985 国籍不明の
1985 飛行機が飛んだ
僕たちがまだ生まれてなかった
40年前戦争に負けた
そしてこの島は歴史に残った
放射線に汚染された島
後にブルーハーツがその名も「チェルノブイリ」というシングルを発表するチェルノブイリ原発事故も翌1986年。ここで歌われている放射線は広島と長崎に落とされた原爆のことを指しているのだろう。
しかしこの曲でより印象に残るのは、アウトロの最後に発せられた、歌詞カードにも載っていないヒロトの語り、叫びだった。
歌詞カードにないヒロトの叫び
僕たちを縛りつけて、
一人ぼっちにさせようとした
全ての大人に感謝します。
1985年 日本代表 ブルーハーツ
1985 1985
冒頭の3行はブルーハーツの1987年5月のデビューアルバム『THE BLUE HEARTS』の帯にも使われた。このコピーが歌の中で生命を与えられた時の感動たるや。実際に世に出た順とは逆なのだが、同じ様に心動かされたファンは多かっただろう。それを解散直後に味わったのだから少々皮肉でもあった。
『スーパーベスト』の9日後10月25日に、ヒロトとマーシーは↑THE HIGH - LOWS↓(以下、ザ・ハイロウズ)としてレコードデビューを果たしている。完全に過去になったということで「1985」の封印もようやく解かれたのではないだろうか。
若者に対する大人世代の束縛というテーマも、率直に言って今では前時代的に感じられてしまう。
ヒロト曰く「みんな歌詞を気にし過ぎ」
むしろ今でも胸に迫ってくるのは「日本代表 ブルーハーツ」の箇所だ。デビュー1年めでの大胆不敵な宣言がその後本当になってしまうことにただ圧倒されてしまう。その後ザ・ハイロウズ、ザ・クロマニヨンズとヒロトとマーシーが全く歩みを止めないことにも。
新型コロナ禍のこの1年、甲本ヒロトの発言に触れる機会が少しだけ増えた気がする。その中で特に印象に残ったのが、「みんな歌詞のことを気にし過ぎ」という発言だった。
特にブルーハーツ時代その歌詞について語られ、詩集まで出ているヒロトからこんな発言が出たことに思わず唸ってしまった。ヒロトはこうも語っている。
「歌に感動するかは「ガン!」ってくるかどうか。ただ、それだけ」
「ロックンロールにすごく元気や勇気をもらうんだけれども、歌詞の内容は「お前、元気出せよ!」みないなことは、一切、言っていない」
うなずかざるを得なかった。でなきゃネイティブでもないのに英語のロックンロールに夢中になったり励まされたりするものか。
揺るがぬ “日本代表”の座、決して後ろを振り返らないヒロトとマーシー
この2月20日、僕は東京ガーデンシアターに、ザ・クロマニヨンズの1年振りの客前でのライヴを観に行った。最新アルバム『MUD SHAKES』を引っ提げての最初で最後のライヴになるかもとヒロトがMC。セットリストはこのアルバムからの全曲と、後はシングル曲だけという特別なもの。クロマニヨンズ単独では過去最大のアリーナで、席は1席おきで、マスク着用。
そのマスクの中で歌詞を口パクしながら、リアクションの意味もあっていつもより手を挙げて、僕はクロマニヨンズの全力のライヴを受け止めた。ヒロトとマーシーのライヴを観るのはこれで34年連続となったが、その僕が屈指と断言出来る感動的な一夜で、大いに勇気を貰った。ヒロトとマーシーは二度バンドを変えたが、“日本代表” の座は決して揺らいでいない。そして二人は決して後ろを振り返らない。
今日はヒロトの誕生日。この原稿を書くにあたって、ザ・ブルーハーツの “デビュー曲” 3曲、ザ・ハイロウズのデビュー曲「ミサイルマン」、そしてザ・クロマニヨンズの2006年のデビュー曲「タリホー」が全てヒロトの曲であることに改めて気が付いた。単なる偶然なのかもしれないが。
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