【伊藤鉦三連載コラム】星野時代、遠征バスのテレビで流された任侠映画

星野監督(右)と中村武志

【ドラゴンズ血風録~竜のすべてを知る男~(3)】星野監督から直々に中日にスカウトされた私は1986年の秋季キャンプからアルバイトとして参加。12月に中日球団と正式に契約してドラゴンズのトレーナーとなりました。

「覚悟しとけ!」。テレビで中日ナインにこう宣言した星野監督は強力な統率力を発揮。すぐにチームを戦う集団に変えていきます。

春季キャンプでは捕手の中村(現バッテリーコーチ)がノックの打球を口に受け、血だらけになってトレーナー室に入ってきたことがありました。当然ながら病院に連れて行こうとしたのですが、星野監督は「そんなのケガのうちに入らん。練習やっとけ!」です。中村も「大丈夫です! やります」と気合十分。結局、病院には行かず、そのまま練習を続行。とはいえ、口の中を切っているので中村のその日の夕食は流動食でした。

シーズンに入るともっとすごかった。星野監督はベンチで完全に戦闘モード。自ら声を張り上げ、士気を鼓舞します。試合中に誰かがぶつけられると岩本や小松崎といった“鉄砲玉”のような選手を筆頭に全員がベンチから飛び出し、乱闘となることもしばしばありました。

当時の中日はシーズン中に毎年、北陸遠征に行ってました。バスで富山や石川、福井などを移動していたのですが、そのときに何度か車内のテレビで流されたのが、星野監督が大好きだった実録任侠映画「修羅の群れ」です。主演の松方弘樹さんをはじめ、菅原文太さん、北島三郎さん、鶴田浩二さんら、そうそうたる俳優陣に加えて、球界から張本勲さんや小林繁さんも出演。任侠の世界に飛び込んだ主人公のもとに多くの仲間が集まっていき、やがて巨大組織の首領になるというストーリーは見ている者の魂を熱くさせます。

チームみんなでこの映画を見ていると団結心というか結束力のようなものが生まれ、戦闘意欲が沸き立つ感じがしたものです。だからでしょうか、バス移動のときだけでなく阪神戦で宿泊していた芦屋の宿舎でも放送されたりしました。「本日午後8時より映画『修羅の群れ』を放送いたします」と館内放送でアナウンスされたこともあったほどです。

「鉄拳制裁」が代名詞となっていたように厳しさを前面に出していた星野監督ですが、その一方で情や思いやりを感じさせる人でもありました。星野監督は選手やスタッフの奥さんの誕生日になると花を贈っていました。毎年、誕生日になるとうちに蘭の花が届くので、家内も大喜びです。また北海道遠征があったときには私たちトレーナーやバッティング投手など何十人という裏方スタッフの家にとうもろこしやメロンなどの名産品が送られてきました。北海道の試合が終わって飛行機で名古屋の自宅に戻ってくると自分より先に家族のもとに星野監督からの北海道の名産品が届いているのですから、そりゃあみんな意気に感じます。選手だけでなく、裏方スタッフを含めた誰もが「星野監督のために勝ちたい」と思うようになっていましたね。

そんな中日には当時、星野監督の他にもう一人の「天皇」がいました。それが86年のオフ、ロッテからトレードで中日にやってきた日本球界最高の打者・落合博満です。

☆いとう・しょうぞう 1945年10月15日生まれ。愛知県出身。享栄商業(現享栄高校)でエースとして活躍し、63年春の選抜大会に出場。社会人・日通浦和で4年間プレーした後、日本鍼灸理療専門学校に入学し、はり師・きゅう師・あん摩マッサージ指圧師の国家資格を取得。86年に中日ドラゴンズのトレーナーとなり、星野、高木、山田、落合政権下でトレーナーを務める。2007年から昇竜館の副館長を務め、20年に退職。中日ナイン、OBからの信頼も厚いドラゴンズの生き字引的存在。

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