緊急事態宣言解除で「打つ手」失った菅政権 第4波にどう対峙するのか

By 尾中 香尚里

首都圏1都3県の緊急事態宣言を21日までで解除すると決定し、記者会見する菅首相=18日夜、首相官邸

 新型コロナウイルス対策として首都圏の1都3県に発令中の緊急事態宣言について、菅義偉首相は18日の記者会見で、期限の21日で解除することを正式表明した。1月8日以来、約2カ月半ぶりの全面解除。だが、この解除で「日本がコロナに打ち勝った」と考える人は、おそらく誰もいないだろう。首相が宣言解除の方針を発表した17日、東京都の新規感染者数は409人と、約1カ月ぶりに400人を超えた。感染が静かに再拡大の傾向を見せていることへの不安を、多くの人が感じている。(ジャーナリスト=尾中香尚里)

 ▽「成果」の言葉むなしく

 菅政権の閣僚や専門家からは「宣言の効果が薄れている」「もう打つ手がない」という声が漏れているという。実際、首都圏では多くの人々が普通に外出するなど緊急事態宣言は形骸化しており、首相の言葉は国民に届いていない。

 「1都3県の感染者数は8割以上減少している。病床の逼迫(ひっぱく)が続いた千葉県などでも、病床使用率50%という解除の目安を下回った」。菅首相は記者会見で、緊急事態宣言発令の「効果」をいくつも並べた。その一方で、国民に対しては「リバウンドが懸念されている」ことにふれ、すでに言い古された基本的な予防策の徹底を改めて呼び掛けた。

 昨年5月25日、初の緊急事態宣言を解除した時の安倍晋三前首相の記者会見を思い出した。安倍氏も一時的に感染を抑え込んだことを「日本モデル」などと誇示し、すでに専門家が懸念していた第2波の到来を過小評価した。一方で国民には「新しい生活様式」などと言い、宣言解除後も感染拡大防止策を取るよう求めた。二つの記者会見のパターンは、驚くほどよく似ている。もっとも、その後第2波が拡大するなか、安倍氏は「体調不良」を理由に、突然政権を投げ出してしまったのだが…。

新型コロナウイルス特措法に基づく緊急事態宣言の全面解除を表明する安倍首相=2020年5月25日午後

 ▽国民の求める支援となぜかい離したのか

 菅首相も安倍氏も、感染が完全に収束していない(むしろ再拡大の様相を示している)状況で、緊急事態宣言の解除を決めた。それはおそらく、彼らが現在の社会状況を「平時」の範囲内だと思いたい、それに見合った「平時」の対策しか打ちたくない、という無意識の願望の表れなのだと思う。

 そもそも菅首相は、昨年9月の就任当時から、緊急事態宣言の発令にはかなり慎重だった。そのこと自体が誤りだとは言わない。民主主義国家の政治家は、政治権力によって国民の私権を大きく制限できる緊急事態宣言の発令に、可能な限り抑制的であることが望ましいからだ。

 だが、菅首相の慎重姿勢の理由はどうだろうか。緊急事態宣言を発令した上で、例えば飲食店に営業時間の短縮を要請すれば、政府は法的根拠を持って国民の私権を制限したことになる。結果として飲食店が受ける経済的損失に、政府は何らかの補償的措置を行うべきだ、ということになる。首相はそれを避けたかったのではないか。

 今回の緊急事態宣言について、菅首相が18日の会見で「飲食店の営業時間短縮など『ピンポイント』でおこなった対策」と述べたことが、それを端的に表現している。政府が法的根拠に基づき時短要請をかける対象を「ピンポイント」で飲食店に絞り込むことで、政府が支払うべき「補償」(今回の場合、飲食店に支払う1日6万円の協力金)の総額を抑制することを狙った。筆者にはそうとしか考えられない。

 飲食店への時短要請に伴い、仕入れ業者をはじめ関連業者が甚大な経済的打撃を受けても、要請の対象ではないことを理由に協力金の支払いから逃れた。その代わりに「経済対策」という「平時の対策」で対応しようとした。「有事」に「平時」の対策で臨もうとするから、コロナ禍にあえぐ国民が求める支援との間に、大きな齟齬(そご)が生じてしまうのだ。

1都3県を対象に再発令された緊急事態宣言から1週間となった新橋の飲食店街=1月14日、東京都港区

 ▽状況を見極めるだけで良かったのか

 小欄で何度も繰り返してきたが、緊急事態宣言とは「有事」の施策だ。コロナの感染拡大防止に向けて強力な対策を打つために、政府が国民の私権を制限する強権を発動することを認めるものであり、コロナ対策における「最後の切り札」だ。単に口先で「外出を自粛してください」とアナウンスするためだけのものでは決してない。

 緊急事態宣言で国民に外出自粛などを要請している間に、菅政権はコロナの感染拡大を阻止して国民の生命と暮らしを守るため、最大限の措置をとらなければならなかった。最大の問題が医療体制の逼迫であれば、菅政権は民間の土地や建物を収用して、臨時の医療施設をつくるといった強権を発動することも可能だったはずだ。

 緊急事態宣言中の2カ月半の間に、菅首相がこうした指導力を発揮していたとは、とても思えない。国民に向けて、従来の感染拡大防止策をとるよう、漫然と呼びかけていただけにしか見えない。

 首相は3月5日の記者会見で、緊急事態の再延長を行う2週間について「状況をさらに慎重に見極める期間」と述べた。だが、首相の仕事は「状況を見極める」ことではない。国民を守るために「自らが動く」ことだ。菅首相は国民に一方的に飲食店の営業自粛などを「要請」するばかりで、自分はただ、それで感染が減少するかどうかを「見極めて」いただけだったのか。筆者は深い失望を禁じ得なかった。

首都圏1都3県の緊急事態宣言再延長について記者会見する菅首相=3月5日午後、首相官邸

 ▽無力化した「最後の切り札」

 そんな緊急事態宣言が、2カ月半という長い期間を経て解除される。「緊急時から『平時』に戻る」ということであり、本来は喜ばしいことのはずだが、筆者には「長い間我慢を強いられたにもかかわらず、感染はまた拡大しようとしている」という徒労感しかない。

 菅首相は会見で、緊急事態宣言の解除後も、飲食店への時短要請は継続する考えを強調した。営業時間こそ「午後9時まで」と1時間遅らせるが、協力金は2万円減額して4万円にするという。

 だったら緊急事態宣言を解除すべきではない。宣言の解除によって今後の時短要請に法的根拠がなくなり、政治権力による恣意的な私権制限を許すのは決して望ましくないし、飲食店にとっても、営業時間を元に戻せないにもかかわらず協力金を減額されれば、緊急事態宣言の前より経済的に追い込まれる恐れもある。

 菅首相がそれでも緊急事態宣言を解除するのは「もはや緊急事態でない」状況をつくることで、協力金を削減するのが目的なのではないかと疑わざるを得ない。

 菅首相は緊急事態宣言の解除に併せ、医療提供体制の充実や変異株対策の強化など「5本柱」の新たな対策も打ち出した。早くも「新味がない」との声が出ている。が、それ以前に、本来それは、緊急事態宣言の発令中に終えるべきことだったのではないか。解除の段階になって、いまさら「やってる感」を演出しても遅いのだ。

 今回の緊急事態宣言が発令される前日の1月7日、筆者は小欄で「これは本当に緊急事態宣言なのか 『最後の切り札』無力化した菅政権の責任」という記事を公開したが、残念ながら本当にそんな事態になってしまった。

 緊急事態宣言は無力化した。菅首相が、宣言を発令して国民に一方的に痛みを強いておきながら、その痛みを引き受け、支えるという政治の役割を果たさなかったからだ。

 首都圏で感染拡大を十分に抑え込めなかったのは、国民の「緩み」のせいではない。どんなに痛みを引き受けても、何も動こうとしない政治を見せつけられた結果、国民はもう、痛みを引き受け続けるのは無駄だと感じるようになってしまったのだ。もし第4波が到来しても、政府はもう、緊急事態宣言で国民をコントロールすることはできないだろう。

 「最後の切り札」をここまで無力化した菅政権は、今後起こりうる感染再拡大に、どんな手段で対峙(たいじ)しようというのだろう。手のつけられない山火事を見ながら呆然(ぼうぜん)と立ち尽くし「もう打つ手がない」とつぶやくだけなのだろうか。「打つ手がない」と嘆く前に「本当に打つべき手を打っているのか」を、真剣に考えたことがあるのだろうか。どんなに「成果」を強調されても、今回の緊急事態宣言解除は、筆者にはコロナ禍への対応にお手上げ状態となっている菅首相の「敗北宣言」にしか聞こえない。

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