清原和博氏が2年ぶりのセンバツを喜ぶ 36年前〝聖地初登板〟貴重写真も公開「一番のいい思い出」

清原和博氏

元プロ野球選手の清原和博氏(53)が19日、自身のツイッターを更新。この日から2年ぶりに開幕したセンバツへの熱い思いと大会開催について喜びをつづった。

ツイッター上にはまず「今日も」の言葉に太陽の絵文字を加えて書き始めると、その後に続けて「春はセンバツから 今年は開催されて本当に本当に嬉しいし良かった 自分のセンバツ、一番のいい思い出は初めて甲子園のマウンドで投げたこと 一番悔しかったのは伊野商業高校の渡辺智男から3三振、バットにかすりもしなかった 高校球児達にとっていい思い出になる事を願ってます!!」としたためた。

清原氏が「いい思い出」と回想したのは、今から36年前となる1985年に開催された「第57回選抜高校野球大会」。同年3月29日の1回戦でPL学園(大阪)のメンバーとして清原氏は浜松商(静岡)を相手に戦い、2点をリードした5回に自らの持つ甲子園の春夏通算本塁打記録を更新する通算8号を放っている。この一発は自身の通算センバツ4号となり、大会記録となった。

そして8点リードで迎えた8回1死満塁の場面で一塁を守っていた清原氏は3人目の投手として初の聖地へのマウンドに向かうと二死を奪って、そのピンチを見事に火消し。さらに9回も続投し、連続三振で2Kをマークするなど無失点に抑え、チームを投打で勝利に導いている。

さらにツイッターには、36年前に自らが聖地初登板を果たした当時の貴重な写真もアップしている。

加えて清原氏が「一番悔しかった」と振り返ったのは、同大会の準決勝で対戦した当時・伊野商(高知)のエースで後に西武でチームメートとなる渡辺智男氏(53)との対戦。3三振に封じ込まれ、チームも敗れたことが今も強く脳裏に焼き付いているようだ。

フォロワーからは「いい思い出ですね。あの日、あの光景、あの気持ち
絶対に忘れないで!」「浜松商戦でしたか?
マウンドに上がったのにも驚いたけど、2K取ったのも凄かった」「その渡辺智男さんとその後西武でチームメイトになるとは、お2人とも予想していなかったでしょうねw」などと続々とコメントが寄せられており、反響も大きいようだ。

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