ユーラシア大陸自動車横断紀行 Vol.17 〜ヨーロッパへ「レッツ、ゴウ!」〜

日本からフェリーでロシアへ渡り、そこからヨーロッパ最西端のロカ岬までを中古車のトヨタカルディナで走り切った金子氏と田丸氏。2003年の夏に敢行されたその冒険旅行で最大の難関は、ロシア横断にあった。様々な体験を重ねつつ、1カ月をかけてロシア西部のサンクトペテルブルクへ到着。今回は、ヨーロッパを目前にしたロシア最終日の様子をお届けする。
文:金子浩久/写真:田丸瑞穂
※本連載は2003〜2004年までMotor Magazine誌に掲載された連載の再録です。当時の雰囲気をお楽しみください。

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ユーラシア大陸自動車横断紀行 Vol.16 〜つかの間の休息〜

ダスビダーニア、ロシア! 30日間をかけた横断が終わりヨーロッパへ

8月30日、午前7時前にアレクセイさんを迎えに白タクが来る。昨日、B&Bのオバさんに30米ドル支払って頼んでおいたオジさんドライバーが、ロシア製のODAでやってきた。

これで、彼をサンクトペテルブルグ空港まで乗せていってもらう。彼は、そこから国内線でベラルーシに住む従兄弟に会いに行く。もう10年以上会っておらず、彼の地へ赴くのも初めてだそうだ。

「ロシア人でも、ウラジオストクからベラルーシまで行くのは簡単じゃないんです。ロシアの東の端から西の端までですからね」

スーパーマーケットでキャビアの缶詰を手におどける金子氏。なお、ダスビダーニアとはロシア語で「さよなら」の意味。

社会主義体制が終焉し、移動の自由が実現したといえ、経済的な余裕がないと、たとえ国内であっても現実的には長距離旅行は難しいそうだ。どうりで、ロシアでホテルなどの観光産業が発達していないわけだ。

ODAというクルマはこれまであまり見掛けなかったが、プレーンで合理的なスタイリングはかつての日産オースター(T11型)を思わせる。“オダ”というのは川の名前で、同じように川から名前を取ったOKA(オカ)というクルマだってある。

アクレセイさんと別れてロシア最後の日を過ごす

「ジェットコースターみたいにスピードが速くて、最初はちょっと怖かったけど、自分の街からこんなに遠くまでクルマで来ることができて、面白かった」

クラスノヤルスクからの二人目の同行通訳を見付ける必要があり、在日ロシア人のためのインターネットサイトに僕が書き込んだ伝言を見て、メールをくれたのがアレクセイさんだった。

ウラジオストクで日本語の通訳と翻訳業を行っている彼は、34歳。日本語は、小樽や新潟の大学で身に付けた。ひとり目の同行通訳のイーゴリさんほど正確な日本語は喋れないが、留学生時代にロシアへの日本車中古車輸出ビジネスを行っていただけあって、ロシアのクルマ事情をよく知っている点では助かった。

東京ーウラジオストク間をメールと電話で何度もやりとりし、僕らの計画の詳細と目的を説明し、彼に求めることとその条件、およびそれに付随する諸々のことを打ち合わせた。

彼は僕らの同行通訳を務めることで、多少時間が掛かったとしても旅費を掛けずにベラルーシの従兄弟に会えることが何よりもの魅力だと、強調していた。

薄汚れたODAのトランクスペースにダッフルバッグを積み込み、助手席に腰掛けると、窓を開けて人懐こい笑顔で僕らに手を振りながらまだ薄暗いネフスキー通りに消えていった。

大きな力となってくれた2人。左が前半を同行してくれたイーゴリさん、中央が後半を共に過ごしたアレクセイさん。クラスノヤルスクにて

思えば、奇妙な縁だった。インターネットの掲示板で知り合い、10日間一緒に過ごして、見知らぬところへ去っていく。インターネットがなければ不可能な出会いだった。

僕らはB&Bのキッチンに戻り、お茶を淹れ、卵を茹で、トーストを焼いて食べた。今朝は、まだ、オバさんがやって来ていない。

午前中は、また、SASラディソンホテルに出掛けてインターネットに接続したり、荷物をパッキングして過ごす。

昼前に、ヴォスターニャ広場の駐車場に預けておいたカルディナを引き取ってきて、B&Bをチェックアウト。その際に、高岡市の100円ショップで何本か買っておいた扇子をプレゼントする。安価なものなのに大層喜んでくれて、ハグまでされてしまった。

昨日、下見しておいた町外れの港に向かう。サンクトペテルブルグはとても大きな港町なので、船着き場が何カ所もある。僕らが乗船するのは、ヴァシリー島のフェリー乗り場ではなく、街の南西地域にある。一昨日、カルディナのエアフィルターを買いに来た、トヨタ・ディーラーもこの辺りにあった。

カルディナの、2200から2400回転辺りで発生するエンジンの咳き込みを直すために、エアフィルターを交換すれば、少しは良くなるのではないだろうかと考えたのだ。ロシアに上陸してからのダート走行や、イルクーツク以西から増えてきた高速走行での虫やゴミなどで、エアフィルターの目が詰まって汚れているはずだ、と判断したわけである。

ここに来る途中で、給油の際にさっそくエアフィルターを外してみた。案の定、エアフィルターが収められている金属製の箱の中は干涸らびた黄土色の土、埃、草や何かの植物の実、虫の死骸などがビッシリと詰まっていた。

「これですよ、原因は!」

田丸さんは手際よくゴミを掻き出し、外したエアフィルターを道端の岩に叩き付けて細かな土埃を飛ばした。しかし、エンジンの咳き込みは直らなかった。代わりに、なぜか発生する回転域が移動した。今度も、3000回転前後でスロットルペダルを戻すと、失火したようにエンジンがガクガクッと激しく振動する。

その時は、陽も落ち掛け、まだサンクトペテルブルグまでは距離があったので、とにかく走り続けなければならなかった。それ以上のことはなす術もなく、だましだまし走り続けるしかなかった。

サンクトペテルブルクのトヨタ・ディーラーにて、カルディナ用の新品エアフィルターを購入。汚れ切っていたエアフィルターの清掃では直らなかったエンジンの機嫌がこれで直るか、と期待。

蛇腹状に折り畳んだボール紙を円筒形に丸め、端をアルミニウムのフレームで固定したエアフィルターの新品を装着してみたが、サンクトペテルブルグの町中を走っているだけでは、効果のほどはわからなかった。3000回転前後を維持できる高速、つまり時速100キロ以上の連続走行でなければ確認できない。エンジン咳き込みの原因がエアフィルター以外に何かあるのかもしれないが、ここでは何も確認できない。

最後に触れた手厚い親切 ナターシャに心が和む

乗船する埠頭は、生い茂った雑草の中を行く引き込み線の線路脇を進んでいった先の岸壁にあった。乗船するフェリー「トランスフィンランディア号」が、ここに到着し、カルディナとともに乗り込んで、3泊4日後にドイツのリューベック港に上陸する予定だ。

クラスノヤルスクのホテルから電話で予約したトランスフィンランディア号の予約再確認は、オフィスで一昨日に済ませてある。そこで渡された乗船予約票を、運行する船会社「バルティックトランスポートシステムズ」の詰め所に示すのが最初の手続きとなる。

詰め所は、引き込み線脇の道路沿いにあり、コンテナを改造した粗末なものだ。他の船会社のコンテナも、同じようにいくつも並んでいる。

殺風景な埠頭の中に置かれていた、負けず劣らず殺風景なコンテナ事務所。ここが、乗船するトランスフィンランディア号を運行する会社の詰め所であった。そして笑顔のナターシャがそこにいた。

訪ねるように指定されたマカロフ・ボリスというスタッフは詰め所にいなかったが、別の人間が予約票を確認して、どこかに電話をした。埠頭内に入れという。一方的にロシア語でまくし立てられ、もうアレクセイさんはいないので、こちらは身振り手振りで応対するしかない。

埠頭の入り口には係官が立っていて、入るクルマはすべてチェックされている。こちらも、乗船予約票やパスポートなどを見せる。

埠頭の中では、到着した船から降ろされた荷を積んだ数え切れないほどの大型トラックとトレーラーが行き交い、クレーン車などが走り回っている。フェリー乗り場といっても、ここの主役は乗客ではなく積荷とそれを運ぶトラックやトレーラーだ。

「バルティックラインズ! トランスフィンランディア!」

僕ら、このふたつの名前を係官に連呼するだけだ。係官の身振り手振りも大きくなる。奥へ進んでいくと、岸壁近くに船会社と税関の建物が何軒も建っていた。どちらもプレハブ作りの簡素なものだ。BTというバルティックラインズのシンボルマークを探して、辿り着く。

ガラス越しのカウンターで必要書類を全て提示する。歳の頃なら23〜24歳といったところの長い金髪をなびかせた女性が受け取ってくれる。殺風景なオフィスとは対照的に、彼女は愛嬌たっぷりで笑顔を絶やさない。営業的なスマイルというよりは、彼女の人柄なのだろうが、客に対してこんなに朗らかなロシア人と会ったのは、ロシア最後の日にして初めてのことだった。名前を訊ねると、ナターシャという。

ナターシャは書類を作成する間、僕らをオフィス内に招き入れてくれて、コーヒーとケーキを振る舞ってくれた。こんな親切を受けたのも、ロシアでは初めてのことだった。

書類が揃い、僕らがコーヒーを飲み干したのを確認すると、ナターシャは促した。

「レッツ、ゴウ」

たどだとしい英語で、僕らを別の建物にある税関に連れて行く。出国許可書をもらい、再びオフィスに戻る。スキップするように階段を駆け上がっていくナターシャに、僕らも小走りで付いていく。

すべての手続きが完了し、オフィスで書類を僕らに手渡すと、彼女はグッバァーイと手を振って、また階段を駆け下りていった。

カルディナをトランスフィンランディア号に近い岸壁に停め直し、午後7時からの乗船を待つ。周りには、他の船から下りてきたトラックやトレーラーが並び、通関を待っている。形式的には出国したことになるので、もうサンクトペテルブルグの街に戻ることはできない。ちょうど30日間旅してきたロシアとも、今日でおさらばだ。8月の末だというのに、バルト海の水面を伝わってくる風が、とても冷たい。
(続く)

フェリーは、ヘルシンキ(フィンランド)、カリニングラード(ロシア)、サスニッツ(ドイツ)を経てリューベックへと向かう行程だ。

金子 浩久 | Hirohisa Kaneko

自動車ライター。1961年東京生まれ。このユーラシア横断紀行のような、海外自動車旅行を世界各地で行ってきている。初期の紀行文は『地球自動車旅行』(東京書籍)に収められており、以降は主なものを自身の ホームページ に採録。もうひとつのライフワークは『10年10万kmストーリー』で、単行本4冊(二玄社)にまとめられ、現在はnoteでの有料配信とMotor Magazine誌にて連載している。その他の著作に、『セナと日本人』『レクサスのジレンマ』『ニッポン・ミニ・ストーリー』『力説自動車』などがある。

田丸 瑞穂|Mizuho Tamaru

フォトグラファー。1965年広島県庄原市生まれ。スタジオでのスチルフォトをメインとして活動。ジュエリーなどの小物から航空機まで撮影対象は幅広い。また、クライミングで培った経験を生かし厳しい環境下でのアウトドア撮影も得意とする。この実体験から生まれたアウトドアで役立つカメラ携帯グッズの 製作販売 も実施。ライターの金子氏とはTopGear誌(香港版、台湾版)の 連載ページ を担当撮影をし6シーズン目に入る。

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