稀代の音楽家・小島裕規のクリエイティビティの源泉とYaffleとして目指す先とは | Newave Japan #28

音楽的好奇心が積み重なって育った学生時代

ー音楽との出会いはなんだったんでしょうか?

祖母の勧めでYAMAHAの音楽教室に通い始めたのが楽器の初めての経験ですね。全然長続きしなかったんですが、その後母親に続けたほうが良いと言われて、知人の音楽の先生を紹介されたんです。それが6歳ぐらいの話で、高校で吹奏楽部に入るまでピアノは続けてました。

ーその時は自分で音楽をやろうって思ってましたか?

いや、考えてなかったです。ピアノは続けてましたが、子供の頃って習い事やめるのも勇気いるじゃないですか(笑)。だから中学までは本気で音楽をやってやろうって気はなかったですね。ただのCD大好き少年でした。

音漏れに気づかず開放型のヘッドホンを爆音にして音楽かけながら歩いてて、友人たちからLISMO(※auの音楽サービス名、シンボルキャラクターがイヤホンで音楽を聞くリスだった)って呼ばれましたね(笑)。

ー学生時代の好きなミュージシャンはなんでしたか?

CDはSPEEDのBody And Soulと玉置浩二の田園を小学一年生の時に買ってもらったのが初めてでした。
中学生の時は周りがバンドブームで、ロードオブメジャーとか175Rとかが流行ってる中でスキマスイッチが好きでした。あのアフロの人が何やってるか気になって。アレンジってなんだろうみたいな。

ー高校で吹奏楽部に入ってからは何か変わったんでしょうか?

中学のときにコード進行を勉強してたんで、少し周りより音楽的な知識があって吹奏楽内の音楽技術的な仕切りを任されるようになったんです。そこで演奏の構成とかに興味がでてきて。

あとは当時Windowsで「ミューズ」っていうテキストから音を生成するフリーソフトにハマって、できた曲をネット上で投稿して色んな人に評価してもらうってことをずっとやってました。それが打ち込みに出会ったキッカケです。

ーバンド活動もやられてたとか?

吹奏楽の隣に軽音楽部がいて、たまに顔を出してたんですよ。僕はキーボードで参加して、当時流行ってた東京事変をバンド掛け持ちで何曲もコピーしました(笑)。

並行してUKガレージが好きなメンバーとオリジナル曲も作ったんですが、そこで録音にも興味がでて、機材揃えてパート別に録音して、ミキシングするのもその時から始めましたね。

ー高校生の時の音楽経験が濃いですね。演奏だけではなくオーケストラの指示からバンドの録音までこなすといった人はレアだと思います。

そうですね。僕の根源としては、人との付き合いの中で音楽をやることが当時から大事にしてるところで。その中で面白いと思ったことをやってます。


大学の音楽活動からTokyo Recordingsへ

ーそういった音楽経験を積みつつ、音大へ進学しています。音楽で生きてくといった考えはその当時あったんでしょうか?

中学の時に音楽を聴くのは好きでしたが、高校でがっつり音楽やるとは最初考えてなくて。でも先輩が音大に入ったのをみて、音楽で生きていくって選択肢が初めて身近に感じたんですよね。それまではまだ雲の上の話のようなイメージがあったんですが、自分にもできるんじゃないかなと。

それからさっき言った吹奏楽内で評価されたり、割とちやほやされたので音楽いいかなぁなんて思い始めて(笑)。あと大きかったのは友人の影響ですね。彼は小袋成彬のアルバム途中で語りをしてくれてる人なんですが、僕の高校の親友なんですよ。
彼はクラシックかサイモン&ガーファンクルユーミンしか聴かないんですが、毎回クラシックのいい曲をMDで投げてくれて、ハマらなかった曲のリストを返すと、好みを分析してどんどん自分が好きなクラシックの曲を教えてくれるという。

ー人力Spotifyじゃないですか(笑)。

そうなんです。その子がクラシックの楽しさを教えてくれて、より音楽に傾倒していきました。吹奏楽内でもアレンジとかもやっていたんで、高校で蓄えた経験や素養をよりアカデミックに学んでみたいと思ったんですよね。
あとは僕自身ハングリーな性格ではないので、ここで音大に行かなかったら普通に就職して過ごしそうだと思って退路を断つために行ったという意味もあります。

ー現代音楽の学部を選んだのはなんででしょう?

なんとなくですね。というのもそこまでゴリゴリに現代音楽をやる授業内容だと思っていなくて(笑)。入ってみて想像以上にそれ一色で驚きましたね。とはいえ、先鋭的な分野を深く学べたのはとても良かったと思っています。

ー大学時代にAoyama Basementという配信レーベルもやっていたとか。

自分の実家に作ったスタジオにジャズ界隈の人たちが遊び来てたので、そこで作った曲をTuneCoreを使って配信していたんです。その遊びに来ていた人から酒本信太(Tokyo Recordings)と知り合って、彼がすでに綿めぐみをプロデュースしていたところに僕も誘われて、彼の友達だった小袋君と初めて会ったんですよね。

ーTokyo Recordingsのサイトに「素晴らしいプライベートスタジオを間借りすることになります。」とありましたがそういった流れだったんですね。

そうです。僕からしたら実家に遊びに来た友達ですけど(笑)。

ー確かに(笑)。綿めぐみを皮切りにCapeson、iri、柴崎コウ、SIRUPなどなど数々のアーティストや企業にも楽曲制作をしていますが、振り返ってどうでしたか?

僕としては楽しいことができてるので、良かったなと思ってます。辛かったこととかは…納期が厳しかったこととかですかね(笑)。

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ーTokyo Recordingsというとメンバー個々が天才肌というか、才能の塊集団みたいなイメージがあるんですが、制作上メンバー間でぶつかったりとかはないんですか?

もちろんありますけど、プロジェクト毎にリーダーを決めていて最終的にはその人が決定を下すという感じなので、意見は言いますがお互い喧嘩腰みたいな形にはならないですね。

ー今後組織的に目指す方向としてはどんなものを考えていますか?

今年の末か来年には新しいアーティストをレーベルとしてプロデュースしたいねとは話しています。今はレーベル組織というより現メンバーによるクリエイター集団というイメージが強くなっているので、Toykyo Recordingsとしてのカラーは保ちつつ、自分たち以外でも優秀なクリエイターをマネジメントして、組織として良いものを生み出していけたらと思っています。


Yaffleプロジェクトとは?

ー2018年から始まったYaffleプロジェクトについてですが、海外のミュージシャンとのコラボプロジェクトということで、そのコンセプトの意図はなんなんでしょうか

曲が先にできちゃったんですよね。最初は海外ミュージシャンとやりますといった枠組みは考えてなかったんです。最初にできたのはベニー・シングスと作ったEmpty Roomで、お世話になっているフジパさん(※株式会社フジパシフィックミュージック)からベニーが日本来るけど曲作ってみたら?って提案してもらって。

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特に彼に歌ってもらうとかも意識せず作ってみたら良いのができたんで、元々海外への憧れもあったし、外国語の響きが好きということもあって歌ってもらいました。

ーシンガーの選定とかってどうやってるんですか?

フジパさんの海外提携先とコンタクトを取って決めます。僕の制作のフローとしては、まず行きたい国を決めるんです。例えばスウェーデン行きたいですって担当さんに伝えて提携先を調べてもらって、そこの所属アーティストの曲を聴き込んで良いなと思った人に連絡をするっていう。連絡してみてOKがでたら現地で実際会ってみます。

やり始めの時は僕自身が何者かわからないていうのもあって、苦労したとこもありましたけど最近は作品も見せれるんで現地の出版社の担当から逆提案をしてもらえる場合もありますね。

ー素朴な疑問ですがやりとり英語ですよね?喋れるんですか?

いや、全然。気持ちで伝えます(笑)。まぁ曲ができる程度にギリギリ喋れるぐらいですね。ぺらぺらと日常的にはしゃべれないです。

ーすごい行動力ですね。一人で行くんですか?

そうです。この日にセッションしましょうって決めて、住所もらってグーグルマップ頼りに家さがして初めましてって感じで。こないだもMANDO DIAOってバンドのボーカルのビョルン・ディクスクウォットの家に行ってきましたよ。日曜に行ったんですけどパーティーの後だったみたいで、二日酔いで寝てる知らない人が10人位いましたね(笑)。

ークリエイティビティも凄いですがメンタルも相当強いですね。

なんていうか好きだからやっちゃうみたいな。それだけですね。好きな人達と楽しく面白いものを作りたいっていう。

ーとはいえ困るときもあったりしますよね。

ベニー・シングスの時は正直焦りました(笑)。その時はまだ海外アーティストとの経験もあまりなかったので、いきなり初対面でこのスタジオでマンツーマン、しかもオランダ人のおっちゃんと曲作りですよ。そこから英語も勉強して、どうやれば伝わるみたいなところは実践しながら学んでいきました。困ったし緊張もしたけど、やっぱ楽しいってのが強いですよね。

ー小島さんのクリエイティビティの源泉は純粋に制作の楽しさってところが大きそうですね。

Yaffleプロジェクトで言えば先にこれを作らなきゃいけないっていうものがないんで、そういった意味でも制作の楽しさはあります。自由に自分が良いと思った人と良いと思った曲を作れているので。

ーYaffleプロジェクトはどういったものにしていきたいと思っていますか?

面白いものは作り続けたいですよね。自分の実績が増えて興味を持ってくれる人が増えれば、僕を媒介に色々な人を繋げていきたいです。イタリア人のジャズマンの演奏にフランスのラッパーをのせるみたいな。

あとはローカル的な曲にも惹かれてますね。イタリア語圏とかフランス語圏とか中国語圏とか、その中で文化ができているけど世界的なチャートには反映されない音楽とか。

実際ラファエル・グアラッツィっていうイタリアの歌手にイタリア語で歌ってもらった曲も作ってるんですよ。言ってる意味はわからないけど、彼らのローカル言語で歌ってもらったほうが説得力があるような気がして面白いんですよね。

ー前半でお聞きした通り、人との付き合いのなかで面白いものを作るというのを実践してますね。小島さんは影響されやすいタイプですか?

影響はめっちゃされます。作品もその国の人っぽさが出たり。でもそれが自分の幅が広がって楽しんですよね。

影響されきって残ったものが自分だって最近思ってるんです。あまり自覚的な自分っぽさが苦手で、自分はこうだっていうのを定義するのが違う気がしてて。例えば〇〇風のものを自分が作って自分ではめっちゃそれっぽくなったと感じても、実際はやっぱり違うんですよ。その違うはみ出た部分が自分の本質なんでしょうね。

ー音楽家・小島裕規として今後チャレンジしていきたいことありますか?

基本的に飽き性なんで色んなことやってみたいんですよ。今はビッグバンド・ジャズのプロデュースも並行してやってますし、映画の劇伴もやってたり…ずっと同じことをやってるのは性にあわないタイプなんです。

あとは会う人次第ですね。何か面白い出会いがあったらその人と面白いものを作って、どう出すかはあとで考えます(笑)。

Yaffleのルーツプレイリスト

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