東京五輪・パラ、不完全でも中止を想定しない理由 IOC、IPC両会長が描く「東京モデル」とは

IOC総会で再選され、記者会見するバッハ会長=3月10日、スイス・ローザンヌ(IOC提供・共同)

 東京五輪・パラリンピックは3月25日、国内の聖火リレーが福島県からスタートし、カウントダウンが始まった。しかし変異株の出現で世界的に新型コロナウイルスの感染状況が見通せず、海外在住者の一般観客受け入れは正式に断念。1年前に安倍晋三前首相が表明した「完全な形」での開催は実現せず、国際交流や平和な社会の推進を目指すという五輪本来の根本思想「オリンピズム」が十分に体現されない異例の大会となる。

 国際オリンピック委員会(IOC)のトーマス・バッハ会長(67)=ドイツ=は「7月23日の開幕を疑う理由はない。問題は五輪が開催されるかではなく、どう開催するかだ」と中止を想定せず、国際パラリンピック委員会(IPC)のアンドルー・パーソンズ会長(44)=ブラジル=も共同通信とのインタビューで「五輪とパラは共同歩調を取る。最悪のシナリオである中止や代替大会の選択肢は考えていない」と強調した。逆風が吹く世論との隔たりが埋まらない中、不完全な形でも開催を目指す新たな「東京モデル」とは―。1兆円を超す巨費が投じられ、巨大ビジネスを背景に揺れる「平和の祭典」の現在地とリスクを両会長のコメントから探った。(共同通信=田村崇仁)

聖火のトーチを持ってスタートした「なでしこジャパン」のメンバー=3月25日、福島県のサッカー施設「Jヴィレッジ」

 ▽海外観客やボランティアも受け入れ断念

 「参加者の安全、日本国民の安全安心が最優先だ」「ある程度の犠牲は必要」。IOCのバッハ会長とIPCのパーソンズ会長は3月20日、海外からの観客見送りの問題で大会組織委員会の橋本聖子会長、丸川珠代五輪相、小池百合子都知事との5者協議で合意し、苦渋の決断に声をそろえて理解を示した。

 世界から観客が集い、ピンバッジを交換する風景は「五輪の風物詩」でもあった。海外在住の外国籍ボランティア約2300人の受け入れも、専門性の高い一部の人を除いて断念する。こうした影響は大きく、組織委が900億円と見込むチケット収入が減少するのは避けられず、政府のインバウンド(訪日外国人客)回復戦略も大幅な見直しを迫られる。世界が分断で混迷する時代に、人々が集う「平和の祭典」の理想はかなわない。

5者協議であいさつするIOCのバッハ会長(奥)。手前は東京五輪・パラリンピック組織委の橋本聖子会長=3月20日、東京都中央区(代表撮影)

 国内の観客数上限は政府のイベント制限の方針に準じ、4月中に方向性を決める流れだが、会場の収容人数の「50%」とする案を軸に検討されている。それでもパーソンズ会長は「仮に無観客でも共生社会を目指す大会の意義は変わらない」と断言。パラリンピックの重度障害者は五輪とは異なる厳格なコロナ対策も必要とされるが「ニューノーマル(新たな日常)の時代で開く大会が日本だけでなく、世界を変革する力になると信じる」と訴えた。

オンラインでインタビューに応じる国際パラリンピック委員会のアンドルー・パーソンズ会長

 ▽複雑なパズル、バブル方式にリスクも

 「疑う余地のない証拠がある。昨年秋以降、270の世界選手権やワールドカップ(W杯)の主要大会が開催され、3万人以上が出場した。20万件超の検査を実施し、一つとして集団感染は起きなかった」。バッハ会長は3月上旬のIOC総会で、五輪を開催できる根拠として自信満々の詳細なデータを基に演説した。

 コロナ禍での五輪開催を「複雑で困難なパズル」と表現し「プランB(代替案)はない」と中止や再延期の可能性を否定。しかし欧州に「第3波」が到来し、状況は暗転している。3月に行われたフェンシングのワールドカップ(W杯)ブダペスト大会では、選手らと外部との接触を泡で包むように遮断する「バブル」方式で運営されたが、約400人参加の小規模大会でも日本選手を含む陽性者が相次いだ。完全にウイルスを閉め出すのは困難なのが現実。1万人超の各国選手団が一つ屋根の下で生活する五輪の選手村は「巨大バブル」で運営するが、ぶっつけ本番で「クラスター化」のリスクは消えない。その責任を誰が最終的に負うのかも不透明だとの指摘も根強くある。

 ▽中止権利はIOCが持つ「不平等条約」

 「東京大会の成功には、常に科学と事実によって導かれないといけない」。バッハ会長は3月、世界保健機関(WHO)や専門家のアドバイスが必要不可欠とも主張している。ただ背景に見えるのは「アスリートファースト」を叫びながら、巨大利権が絡む五輪の中止がもたらす経済的損失や五輪ブランド低下のリスクだけは避けたいという思惑だ。

 夏季五輪の中止は戦争の影響で過去3度あるが、パンデミック(世界的大流行)の再加速で仮に中止を判断する場合、IOCと東京都が結んだ開催都市契約で「IOCが中止する権利を有する」と規定されている。中止のケースとしては、戦争や内乱の他、大会参加者の安全が深刻に脅かされる懸念がある場合が想定されており、世界的なコロナ危機も当てはまるケースと言えるだろう。ただし契約では仮に中止になった場合、都や大会組織委員会は補償や損害賠償などを放棄すると規定しており、これが「不平等条約」といわれる所以(ゆえん)だ。

 IOCの収入の柱は、米NBCユニバーサルなど世界のテレビ局からの膨大な放送権料で約7割を占める。これを基に国際競技連盟(IF)や各国・地域の国内オリンピック委員会(NOC)に約9割を分配しており、大会がなくなることは最大のリスクでもある。マーケティングに詳しいIOC古参委員は「8年前に開催都市が決まった巨大イベントを直前で中止すれば、経済的損失だけでなく、開催国に多額の損害賠償など多方面に『負の遺産』の連鎖が生じるリスクがある。もちろん人々の命が最優先だが、五輪運動の継続を考えても後戻りできないのが現実だ」と指摘した。

 組織委は国内スポンサー68社との契約を抱え、ホテル、旅行、航空業界などにはさらなる痛手となる。ロイター通信は中止の場合、保険会社が被る損失が20億~30億ドル(約2200億~3200億円)に上る恐れがあるとも報じた。

東京五輪の会場となる国立競技場で行われた陸上競技会。新型コロナウイルス感染防止のため無観客で実施された=2020年8月

 ▽残る課題は参加国・地域や選手の規模?

 開催可否の異論が絶えない東京大会は視界不良の中、準備を進めなければならない困難さがある。米国内で五輪の放送権を持つNBCは「リレーの聖火を消すべきだ」と題する異例の寄稿を電子版にこのほど掲載。「パンデミックのさなか、聖火リレーは五輪の虚飾のため、公衆衛生を犠牲にする危険を冒している」と主張するなど、五輪に注がれる視線は国際的にも厳しさを増している。

 残る希望は困難な状況でも立ち向かうアスリートの姿だろう。IOCは1月下旬、東京五輪の出場枠61%が確定したと発表。未定の39%のうち14%はテニス、ゴルフなど世界ランキングで決まるため、25%を占める五輪予選の開催可否が今後注目される。IPCも3月25日、東京パラリンピックに出場する4400人の出場枠のうち、約62%が確定したと公表し、合計96の国・地域に配分された。出場枠を争う世界最終予選などの大会が6月まで開催される。

 対応にばらつきがあるワクチン接種や入国対策など課題も山積する中、今後最大の焦点は参加国・地域や選手がどこまで最終的に集まるのかどうかだ。そもそも公平な条件で予選が開けなければ、各国選手も決められない。祝祭感もなく、限られた国の参加だけで開催実績のためだけに実施となれば、五輪・パラの「価値」にも直結する問題になってくる。

 ▽テーマは「再起力」? 肥大化五輪の転換期に

 IOCはコロナ対策の一環で来日する選手以外の大会関係者も大幅に削減すると発表し、IOC委員の同伴者や「アスリート・レジェンド」と呼ばれる元五輪メダリストの招待枠も削減対象にする方針だ。こうした課題と対策を一つずつ解決し、感染対策や簡素化した開催方式で新たな「東京モデル」をどこまで実現できるか―。52項目の簡素化で日本がこだわった一つは「五輪貴族」とも呼ばれるIOC委員らへのおもてなしの削減。今後も持続可能な五輪・パラの未来像を描くのであれば、固定観念を覆して変革していくことを促す「東京モデル」の発信が求められる。バッハ会長は「東京大会の取り組み全てが次世代のレガシー(遺産)になる」と期待する。テクノロジーを駆使し、観客と選手が一体となれる双方向の観戦スタイルの確立も一つの選択肢だろう。

東京五輪の聖火が入ったランタンを手にする競泳の池江璃花子選手=2020年7月、国立競技場

 スポーツの価値は東京大会でシンプルに世界の共感を得られるのか。五輪憲章にある「友情、連帯、フェアプレーの精神」は過去の数々の名場面を含め、東日本大震災後のなでしこジャパンやラグビーワールドカップ日本大会での日本代表も証明した。コロナ禍以前から五輪離れとブランド低下に悩むIOCは、コスト削減策で既存施設の活用など改革案を示すが、風当たりは依然として強く、商業化、肥大化した大会は転換期にある。ウィズコロナ時代に世界から選手が集うスポーツの魅力やパワーを最大化する「東京モデル」の実現で日本は図らずも、ポストコロナ時代の大会の進むべき道を示す使命を担うことになる。

 バッハ会長とパーソンズ会長が最近、共通して訴えるフレーズは「再起する力」。過去に戦争で中止はあっても延期は初めて。科学的根拠に基づいて開催が実現するのであれば、東京大会だからこそ、東日本大震災から10年の節目で「復興五輪」の理念と、1年延期の準備で経験した「再起力」を次世代に伝える役割が求められることになりそうだ。

 ×  ×  ×

 トーマス・バッハ氏 76年モントリオール五輪のフェンシング男子フルーレ団体で金メダル。スポーツ用品大手アディダス勤務を経て91年にIOC委員就任。96年に理事に初当選し、夏と冬の五輪評価委員長や副会長を歴任。IOCを法務委員長など実務面で支え、東京が20年夏季五輪開催都市に決まった13年9月のIOC総会で第9代会長に選ばれた。元ドイツ・オリンピック委員会会長。弁護士で英語、フランス語、スペイン語も操る。ビュルツブルク出身。67歳。

 アンドルー・パーソンズ氏 国際パラリンピック委員会(IPC)副会長、ブラジル・パラリンピック委員会会長を務め、南米初開催の2016年リオデジャネイロ大会を成功に導いた。17年9月のIPC総会でクレーブン氏(英国)の後を継いで第3代会長に就任。東京大会の準備状況を確認する国際オリンピック委員会(IOC)調整委員会の委員でもある。44歳。

© 一般社団法人共同通信社