来客のときの茶菓子や訪問時に持参する手土産、あるいは自宅でのおやつなど、和菓子を買う機会はありませんか?
和菓子の店は、地域に根付いた地域ならではの店があることも多いです。
倉敷市真備町にも地域に愛されている和菓子店があります。
店の名前は「菓匠庵 は志本 (かしょうあん はしもと、以下 は志本)」。
看板商品のどら焼きや季節限定商品などで人気の店です。
しかし、は志本は「平成30年7月豪雨」で被災し、営業不能に陥りました。
廃業の危機を乗り越え、令和2年(2020年)12月に営業を再開。
再開を待っていた多くのお客さんが訪れました。
は志本の商品のこだわりや魅力、店の歴史、被災から再開までの経緯などを探っていきましょう。
「平成30年7月豪雨災害」から復活した真備唯一の和菓子専門店
は志本は、真備町川辺の国道486号線沿いにある和菓子店です。
真備町で唯一となった和菓子の専門店として、真備町周辺のかたがたに利用されています。
は志本は、昭和56年(1981年)に真備町の有井地区で「京菓子処 は志本」として開業。
その後、昭和61年(1986年)に「菓匠庵 は志本」として現在地に移転しました。
しかし平成30年(2018年)の「平成30年7月豪雨災害」で被災。
店舗は、再開も危ぶまれるほど甚大な被害を受けたのです。
ですが約2年半の時を経て、令和2年(2020年)12月に店を再開。
再開の日には、開店を待ちわびた多くのお客さんが訪れ、にぎわいました。
は志本の商品
は志本で扱う商品は、多岐にわたります。代表的な商品は以下のとおり。
価格は消費税込。 令和5年(2023年)5月時点の情報
一番人気なのが、創業時からの名物・どら焼きの「どらじゃ」。
派生商品の「箭田爺(やたじい)のどらチョコ」もあります。
ほかにも上用饅頭やカステラなど、定番の和菓子も人気です。
「琴弾岩(ことひきいわ)」や「竹の子」「真備の月」など、地元・真備町に関連するものをモチーフにした菓子もあります。
ほかに、は志本を代表する商品として「わらび餅」があります。
わらび餅といえば、夏の限定商品という印象がありませんか。
は志本でも、わらび餅は夏に季節の商品として売り出しており人気があります。
でも実は、は志本では夏だけの限定ではなく通年商品。
夏以外の時季でも、わらび餅が買えます。
わらび餅は、どら焼きとならぶ は志本の看板商品なのです。
季節限定商品も人気
は志本は、季節限定の商品も出しています。
季節限定商品は、どれも店の人気商品です。
販売期間は目安で、状況により変わります。
代表的な商品を紹介!
たくさんあるは志本の商品のなかから、代表的なものを紹介します。
「どらじゃ」は創業からの看板商品であるどら焼き
創業時から は志本の看板商品であり、人気商品の「どらじゃ」。
いわゆる、どら焼きです。
平成30年7月豪雨で被災する前までは、特別な商品名はなく「どら焼き」として販売されていました。
令和2年12月の再開時から、現在の「どらじゃ」という名称になっています。
看板商品なので少し個性的な名前にしようと、店主の橋本さんが考えたそう。
地元岡山県出身の漫才師、千鳥の岡山弁のセリフ「〜じゃ!」にヒントを得て「どら焼きじゃ」に。
それを省略して「どらじゃ」になったのです。
どらじゃの大きさは、直系約8.5センチメートル、厚さは約2.5センチメートルです。
生地の表面は焦茶色、裏面は黄色をしています。
生地のフワフワ感と風味、粒あんの甘さ、小豆のシャリッとした食感のバランスが絶妙のどら焼きだと思います。
「いちご大福」は清音産イチゴを使った時季限定の人気商品
「いちご大福」は、12月中旬ごろから3月下旬ごろまでの季節限定商品。
販売期間中、とてもたくさん売れる人気商品です。
1日で約120個つくり、ほぼ毎日完売しているそう。
早いときには午前中に売り切れることもあるとのことです。
は志本のいちご大福のポイントはイチゴ。
お客さんから清音のイチゴ農家を紹介してもらった縁で、使うようになったそうです。
食べると、求肥(ぎゅうひ)にほのかな甘みがあります。
求肥の中には、白あん。
滑らかな舌触りで、アッサリとした上品な甘さの白あんです。
イチゴは甘く爽やかな酸味が口の中いっぱいに広がります。
そしてジューシーな果汁があふれ出しました。
とてもフルーティーです。
は志本のいちご大福は、イチゴのフルーティーさと白あんの上品な甘さ、求肥の食感のバランスが絶妙。
とてもクセになる味わいで、売り切れになるのも納得です。
「おいも」はサツマイモあんとシナモン風味が独特の上用饅頭
「おいも」は、は志本ならではの商品です。
上用饅頭(じょうよまんじゅう)の一種で、生地にヤマノイモ(薯蕷:じょうよ)を使っています。
中には、黄色いサツマイモあんがタップリ!
おいもは、幅が約4.5センチメートルで長さは約6.5センチメートル、高さは3センチメートルほどの楕円形をしています。
菓子をつまむとフワフワとした、やや弾力を感じる触り心地。
そして、シナモンと思われる良い香りがただよいます。
食べると、生地の薄めながらフワフワでモッチリとした弾力のある食感と同時に、中のサツマイモあんのネットリ感がある舌触り。
甘さは控えめながらサツマイモの風味が濃厚です。
そして、シナモンの香りがサツマイモの味わいとマッチしておいしい。
「箭田爺のどらチョコ」は粒あん+チョコを挟んだどら焼き
「箭田爺(やたじい)のどらチョコ」は、どらじゃの派生商品となるどら焼きです。
は志本が真備町川辺へ移転したあとに生まれました。
生地や大きさは、どらじゃと同じです。
小豆を炊いて粒あんにするときに、あんの中へチョコレートを入れています。
食べてみると、中のチョコ入りあんは、食感は粒あんで小豆の風味が少し残ります。
しかし、味わいはチョコ。
とても不思議でおいしいどら焼きです。
小豆のシャリッとした食感とあんの風味に、チョコレートのネットリ感と甘さと風味が意外とピッタリ。
食べるまではチョコが入っていると甘すぎるイメージでしたが、実際食べると意外にもサッパリとした甘さでした。
なお名称の「箭田爺」は、かつて は志本で菓子職人をしていた現店主の兄の恩師のこと。
恩師の「チョコ入りのどら焼きもおもしろいのではないか」というひとことから、どらチョコが生まれたそう。
どらチョコは、なかなかクセになる味わいの和菓子です。
「青梅雨」はウメがまるごと入った創業時からの商品
「青梅雨(せいばいう)」は、創業時から人気のある商品です。
名前のとおり、中にはウメが丸ごと1個入っています。
一辺約4.5センチメートル、高さが約2.5センチメートルの四角い形で、表面は岩のようなゴツゴツとした、独特の見た目です。
生地は薄ベージュ色で、ポロポロとした食感の生地ですが、同時にシットリした舌触りもあります。
生地の中には、白あん。
そして白あんにくるまれて大きなウメが見えます。
白あんは、アッサリとした控えめの甘さ。
そしてウメのネットリとした食感とさわやかな酸味、ほのかな甘みが広がります。
後口は、フルーティーでさわやかな感じです。
なおウメの種があるので、食べるときに注意してください。
豪雨災害で大きな被害を受けましたが、約2年半をかけて再開にこぎつけた菓匠庵 は志本。
店主の橋本憲吾(はしもと けんご)さんにインタビューをしました。
は志本の店主・橋本 憲吾さんにインタビュー
豪雨災害で大きな被害を受けましたが、約2年半をかけて再開にこぎつけた菓匠庵 は志本。
店主の橋本憲吾(はしもと けんご)さんに話しを聞きました。
インタビューは2021年3月の初回取材時に行った内容を掲載しています。
金融業界から和菓子店を手伝うことに……
──開業の経緯を知りたい。
橋本(敬称略)──
当店は、私の兄が開業しました。
私のおじが大阪で和菓子職人をしていたので、兄はおじを頼って、大阪のおじの店で働いていたんです。
私も大阪に出ていましたが、兄と違ってまったく別分野の金融機関で働いていました。
あるとき家庭の事情で、私も兄も地元・真備町に戻ることになったんです。
当然、仕事を辞めることになったんですが、兄はこちらでも和菓子の仕事をしたかったんですよ。
だから兄は、自分で和菓子店を始めることに決めたんです。
そのときに兄から、私も和菓子店を手伝うように頼まれました。
私は和菓子に興味はなく、別の仕事を探すつもりだったので困りましたね(笑)。
結局、兄の情熱に負けて手伝うことにしました。
そうして昭和56年(1981年)、真備町の有井に「京菓子処 は志本」としてオープン。
昭和61年(1986年)に今の場所に移転し「菓匠庵 は志本」と改称しました。
──金融機関と和菓子店では、まったくやることが違って大変だったのでは?
橋本──
そりゃあ、大変でしたよ(笑)。
店は、兄夫妻と私の3人で運営することになりました。
義姉は接客担当だったので、私も和菓子づくりをしなければいけません。
兄にいろいろと教えてもらいながら、なんとか続けていきました。
長年やっていくと得意なことも生まれ、カステラなどの焼き菓子は兄よりも得意になりましたね。
しかし残念ながら、兄も義姉も亡くなってしまいました。
今は私一人で店を切り盛りしています。
一人での店舗運営に慣れてきた矢先に豪雨災害で被災
──「平成30年7月豪雨」で被災したときのことを教えてほしい。
橋本──
「平成30年7月豪雨」が発生したのは、ちょうど義姉が亡くなって私一人になり、一人での店舗運営に慣れてきたときでした。
菓子づくりや店舗運営に必要な道具・機械類は、ほぼすべてダメになりました。
店内も泥だらけ、ゴミだらけ。
清掃・片付けも最初は親族・知人総出でおこないましたが、細かい作業は私一人で続けたので、完全に片付けが終わるまで半年以上かかりましたかね。
最初は絶望して、先のことなどは考えられませんでした。
でも近所のかたなどから「再開はいつ?」「早く和菓子が食べたい」など、応援する声に支えられて被災から半年経ったころには、再開する気持ちが強かったですね。
ただ店の片付けが終わっても、臭いがなかなか取れません。
衛生面の問題もありますし、店の再開は長丁場になると覚悟しました。
そんななか被災したいろいろな店や施設が再開を始めていき、正直なところあせりもありましたね。
「は志本は、再開をあきらめたのではないか?」と心配もされました。
しかし、幸いなことに今は私一人の運営。
私の子供たちも、社会人として独立して自分たちで生活しています。
だから、あせる必要はないと気づきました。
やるべきことをひとつずつやっていきながら、淡々と準備を進めていったんですよ。
豪雨での被災から2年半かけて復活
──店が再開したときは?
橋本──
店が再開したのは、令和2年(2020年)12月5日。
その日をねらっていたのではなく、さきほどのように、やるべき準備を順におこなっていって、再開できるようになったのがたまたま令和2年12月になったんです。
被災から約2年半かかりました。
当初は11月の予定だったんですが、予定外のことも発生しましてズレ込んだんです。
再開のときは予想以上のお客様がお越しになり、驚きました。
だから2日目からは予定以上に仕込みをするようにしたので大変でしたが、うれしい悲鳴です。
再開のアナウンスは、私の子供や知人たちがSNS等で拡散してくれました。
加えて「再開のことは知らなくて、たまたま店頭の国道を通っていたら、店が開いていたので寄った」というお客様が意外にも多くて……。
前を通りながら、店のことを気にしてくれていたかたが多かったんだなぁと、ありがたい気持ちになりました。
人気商品・わらび餅の復活と「生き甲斐」としての店舗運営が目標
──今後の展望ややってみたいことがあれば、教えてほしい。
橋本──
当面の目標は当店の人気商品のひとつ、わらび餅の復活。
被災してわらび餅をつくる機械が壊れたので、これを早く導入したいですね。
今のところわらび餅の販売再開は未定なんですが、できればわらび餅が一番売れる夏場までに再開できれば。
当店のわらび餅は加熱処理をするので、年中食べられる通年商品。
冬でも人気があるんですよ。
贈答用としての需要もあるので、お客様の希望に応えたいですね。
あとの目標は、「は志本」を私の人生の「生き甲斐」として運営していくことです。
兄は生前に「仕事ややり甲斐をなくしたら生きづらくなる。和菓子職人は細やかな作業が多いのでボケない。生き甲斐として続けていくには最高だ」と語っていました。
実際に被災して2年半ほど仕事をしていないと、体がおかしくなりそうで、生活のリズムがイマイチでした。
身をもって兄の言葉を体感しましたね。
今は子供たちも独立して、私と妻の生活ができれば十分。
だから無理して店を運営するのではなく、残りの人生を楽しむための「生き甲斐」として和菓子づくりや店の運営を続けていくのが目標ですね。
は志本は魅力的な商品がそろう、地域に根差した和菓子店
実は私の実家では、法事や講で出す菓子を は志本で買っています。
なじみのある店だから再開するのかどうか心配でしたが、無事再開してうれしい限りです。
早く人気のわらび餅を食べたくて、今から待ち遠しく思います。
ぜひ、は志本のこだわりの和菓子を食べてみてください。