<いまを生きる 長崎コロナ禍> 困窮医学生の環境に変化 “社会”の厳しさと“人”の温かさ実感

 新型コロナウイルスの影響で困窮に拍車がかかり、後期の学費を支払うめどが立たない-。昨年10月、経済的に追い込まれた長崎大医学部3年の男子学生(23)を本紙で取り上げた。「頑張っている学生を助けてあげるべき」「お金がなければ働くべき」。記事はインターネットでも配信され、全国からたくさんの反響があった。彼は今、波紋のように広がった多くの善意に支えられ、医学の道を諦めずに進んでいる。

 昨年10月10日付で「3浪学生『なぜ区別』」との見出しで掲載した。福岡県出身の彼は、高校3年の時に父親が「理不尽な暴行事件」に巻き込まれ、働けなくなり、家庭環境が一変。母親も体を壊した。奨学金や予備校の特待生枠(授業料免除)を活用し、3浪の末、医学部に合格した。けがや病気で弱っていく両親の姿を間近で見てきたことが医師を志すきっかけだった。
 日々の生活は奨学金とアルバイト代でしのいだ。だがコロナ禍でバイトを失い、後期の学費約27万円の支払いが困難に。困った彼は減免制度の拡充を大学側に直談判した。でも大学側は「一人だけを救うことは難しい」。特別扱いはできないという、ある意味、当然の対応だった。
 国が昨年4月、低所得世帯向けに始めた「大学無償化」の新制度も大学生の対象は2浪まで。半年前の彼はこううなだれた。
 「お金がなければ勉強できないんでしょうか」

■ 3 浪
 昨年10月10日正午すぎ、「Yahoo!ニュース」で記事が配信されると、コメント欄に書き込みが相次ぐ。医学部は3浪以上も珍しくなく支援すべきという意見があった半面、「大学は義務教育じゃないから無償化はおかしい」「休学してバイトで稼ぐべき」など、どちらかというと否定的な見方が多かった。
 彼は当時をこう振り返る。「(書き込みを見て)確かに自分が甘えている部分もあるな、と。でも厳しい意見に落ち込みもしました」
 時を同じくして、“リアル”な社会では違う動きをみせていた。

「年金がでましたので」と匿名で送られてきた手紙

 掲載後、新聞社には連日、新聞やネット記事を見た読者から電話やメールが寄せられた。
 「苦境を決して人ごととは思えず、この医学生のお力になれることが少しでもあれば」
 「彼のような若者が、志半ばで学業を諦めてしまってはいけない」
 全国から次々に申し出があった。
 最終的に申し出は約70件に上った。だが、新聞社として個人的な金銭支援につなぐ手段はなく、彼にだけ多額の援助が集中するのは問題があるとも考えていた。
 そんな中、11月に入り、大学側に動きがある。医学部独自で「困窮学生の修学支援」に特化した寄付金の運用準備が始まった。すぐに新聞社に申し出てくれた人たちに連絡。彼だけでなく、同じような境遇の学生に手を差し伸べるという趣旨を伝えた。多くの人は「(支援の枠組みができて)よかった」と喜んでいた。新聞社に匿名で送られてきた現金5万円もそこに寄付させてもらった。
 医学部の担当課に尋ねると「審査した上で(1人当たり)20万円を給付した」との回答。困窮という問題の繊細さを理由に具体的な寄付額や給付された人数の回答は避けたが、「彼の他にも複数の学生」が救われていた。

■ 半 年
 今月、熊本県の男性から新聞社に電話がかかってきた。後期の学費の支払期限が3月末に迫っていたため、支払えず除籍にならないかと、彼のその後を心配していたというのだ。現状を伝えると、男性は「遠くで応援している人間がいることを伝えてください」と話し、電話を切った。
 同月下旬、彼に会った。「皆さんのおかげで無事に4年生になれます。とにかくほっとしてます」と目尻を下げた。濃密な半年の経験。「社会の厳しさと人の温かさを知ることができました」と彼は言った。
 記事を見て高校時代の恩師が教え子の苦境に気づき、卒業生たちと一緒に支援を模索して動いてくれたことも教えてくれた。
 多くの人に救ってもらった経験は彼の将来像にも影響を与えた。医療が必要なのに病院に行けないなど「本当に困っている人を助けられる医師になりたい」。将来は地元福岡に戻るつもりだが、高校OBの医師から地域医療を学ぶために離島で働くのも一つの手だと助言を受け、選択肢の一つとして考え始めた。
 温かい声や支援の動きに「感謝しかなく、励みにもなった。だからこそしっかり夢をかなえたい。今はとにかく勉強しなきゃと思っています」。そして、新たにもう一つの目標も芽生えていた。「将来、自分と同じような境遇の学生がいたら今度は自分が支援する側に回りたいです」

■ 一 生
 新聞社に匿名で送られてきた現金1万円だけは昨年末、彼に渡した。添えられた手紙には、こう書いてあった。「もっとお金持ちならとつくづく思いました(中略)年金がでましたので使っていただきたく(中略)無事卒業できることを祈っております」
 「見るたびに応援してくれた人たちのためにも頑張らなきゃという思いが湧いてくるんです。こんなに重いものはない。一生、大切にします」。1万円札と手紙は今、勉強机の写真立てに置いてある。

 


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