1本の木に会いに行く(26)新宿御苑と江戸の名残の大ケヤキ<東京>

人びとが憩う都心のオアシス・新宿御苑。春は園内あちこちで桜が咲き乱れ、花見客でにぎわいます。しかしこの広大な公園は江戸時代、幕府に仕える内藤家の屋敷だったことを知る人は少ないかもしれません。そして戦災を経て江戸の昔から残っているのは、樹齢400年の大きなケヤキだけなのです。

桜の名所でもある新宿御苑

今年の桜開花は例年に比べてずいぶんと早くなりましたね。4月に入ってすでに花吹雪が舞っているところもあるようですが、ここ新宿御苑はまだまだ桜を楽しめるようです。とはいえ、今春の入園は事前予約制となりますのでご注意を。詳細は下記に書いておきます。

新宿御苑には約65種類1000本もの桜があるといいます。例年はカンザクラから始まって、3月下旬にはヤマザクラなどの一重咲き、4月にはイチヨウ、4月中旬から下旬にはカンザンなどの八重咲きが次々とつぼみを開き、2カ月にわたっていろんな桜を楽しめるのだそうです。

上の写真、白い花びらは大島桜、ピンクの花びらは陽光です。園内のあちこちで多彩な桜を楽しむことができ、下の園内マップでいいますと右下、中の池周辺にたくさんの種類の桜が咲いています。池のほとりを散策しながら、いろんな桜を楽しめます。ちなみにこの池のほとりに去年スターバックスコーヒーもオープンしています。

ここまで桜情報をお伝えしましたが、今回の主人公は桜ではなく1本のケヤキの木なのです。

江戸時代から1本残る樹齢400年のケヤキ

ほとんどの人が素通りしてしまう1本の古いケヤキがあります。しかし樹齢は400年。江戸時代、ここが高遠藩内藤家の屋敷だった当時から残るただひとつの樹木なのです。

場所は上の案内図の右下「玉藻池」の文字の真下。風景式庭園にある「ケヤキ」です。

ちょうど桜開花の時期のケヤキ。まだ若葉が出てきたばかりでした。このケヤキ、樹高17メートル、幹回り6メートルで新宿御苑では「大ケヤキ」と呼ばれているそうです。

近くに寄ってみるとわかりますが、全体に包帯を巻いているように見えます。実は現在治療中なのです。年老いた木は10年ほど前の落雷で傷ついてしまったといいます。傷んだ幹に発根を促す土壌状の薬を入れて、布で巻いて保護しているといいます。

幹の部分を資材と布で包んで土の中と同じような環境を作り、発根を促す仕組みだそうです。いまでは幹を包帯で巻かれた姿がトレードマークになっているのです。

始まりは江戸時代の内藤家屋敷

実は樹木の状態が気になって、夏も訪ねてみました。上の写真の中央のこんもりとした樹木が大ケヤキです。気がかりでしたが、元気に葉っぱを繁らせていますね。元気もりもりの様子。

この新宿御苑の始まりは、徳川家康が江戸に入った翌年の天正19年(1591年)にさかのぼります。

譜代の家臣内藤家2代目の清成は、鉄砲隊を率いて家康の江戸入り先陣を務め、国府路(甲州街道)と鎌倉街道の交差近くに陣を敷き、遠見櫓を築いたといいます。その功績を認められ、この付近に屋敷地を拝領することになりました。

そのとき家康は清成に、「馬を走らせて回れるだけの土地を与える」と言ったそうです。

本当に馬が走ったかどうか確かな証拠は残っていないのですが、ともかくその結果、東は四谷、西は代々木、南は千駄ヶ谷、北は大久保までの広大な土地を賜ったというのです。

屋敷の面積は約20万坪だったといいます。現在の御苑よりもひと回り大きいくらい。そして、その地名は「内藤町」と命名されました。

内藤家が拝領した土地は、のどかな田園風景が広がっていたようです。そんな江戸初期に植栽されたケヤキの木は、日本という国が大きく変わりゆくなか、変貌するこの土地をずっと見守ってきたのです。

もうひとつの400年前の名残 内藤家の社

新宿御苑の東隣の住宅街。場所や建物は変わりましたが、いまも多武峯内藤神社(とおのみねないとうじんじゃ)があります。江戸初期に屋敷内に内藤家の祖先である藤原鎌足公を祀ったものだそうです。

多武峰(とうのみね)とは奈良県桜井市南部にある山で、藤原鎌足の墓があるとされている場所だそうです。

上の写真は「駿馬塚」の案内板。「駿馬」とは、内藤家の屋敷となる土地を走り回った、あの馬のこと。実はあのときのエピソードにはまだ先がありまして、走り回った馬は、走り終えた直後に疲れ果てて死んでしまったというのです。

そして遺骸を大樫の下に埋めたと伝えられています。その大樫の木もお墓も、いまでは痕跡すら残されていませんが、後に「駿馬塚」が作られ、明示維新後この場所に移設されました。

塚のかたわらには「神馬殿」が建てられています。馬を祀ったお堂です。堂内には白馬が飾られています。この馬が新宿御苑を形作ったことを想像すると、不思議な感覚でした。

内藤新宿 大木戸関所と玉川上水

ご存じの方も多いと思いますが「新宿」という名前のルーツは、甲州街道に新しくできた宿場という意味の「新宿」。元禄11年(1698年)に作られ、かつては内藤家の名前を取って「内藤新宿」と呼ばれていました。

江戸時代の初めには、内藤新宿に関所もありました。「四谷大木戸」という関所です。上の写真はその跡を記した石碑。四谷四丁目の交差点北東角にあります。木でできた大きな戸があったのでしょうね(もうひとつ、交差点の向かい側にもあります)。

そして、もうひとつ重要なものが内藤新宿にありました。江戸を支える大切な水を供給した玉川上水の水番所がこの場所にあったのです。その案内板は上の写真、四谷四丁目交差点の南西角にあります。

現在新宿御苑の柵の北側には当時の玉川上水を彷彿させる散歩道が復元されています。ここは新宿御苑に入らなくても散策できますので、ぜひ歩いてみてください。

ちなみに羽村取水堰の多摩川から取った水は武蔵野台地を東に流れ、この水番所を経て江戸の市中へと分配されていきました。羽村から四谷大木戸までの約43キロは露天掘り、ここから先は人口や住宅も増えるので木樋や石樋を用いた地下水道で送られたのです。

内藤家屋敷跡 明治から昭和への移り変わり

江戸幕府の終焉そして明治維新とともに、日本社会は大きく変わります。そして信濃高遠藩主だった内藤家とその屋敷も。

明治に入り、大蔵省が内藤家の土地を購入することになります。そして明治5年(1872年)に牧畜園芸の改良を目的として「内藤新宿試験場」が作られました。いわば農業試験場です。場内には2000種以上もの植物が生育されたそうです。

しかし明治12年(1879年)に試験場が三田育種場に移ると、新宿の土地は皇室に献納されることになりました。そうして名称を「植物御苑」と改められます。当初は花卉や植物の研究をしていましたが、文明開化の影響で西洋風の庭園を目指すことになります。

こうして明治39年(1906年)に皇室の庭としての「新宿御苑」が誕生します。上の写真は昭和2年(1927年)に建てられた旧大木戸門衛所。

開苑後は、皇室の憩いの場、また来賓を迎える場として日本庭園内に茶室が建てられ、昭和初期には、昭和天皇のご成婚を祝して台湾在住邦人の有志により「旧御凉亭」が贈られました。上下の写真です。

また苑内には9ホールの芝生のゴルフ場も造られ、明治29年(1896年)に建てられた「旧洋館御休所」がクラブハウスとして使われたといいます。下の写真です。

2度見舞われた大災害

しかし一般市民が誰も入らなかったわけではありません。大正12年(1923年)に起きた関東大震災では周辺が大火となり多くの住民が新宿御苑に避難。宮内省が大天幕を設け4000人分の炊き出しをしました。しかし避難所は大混乱となったといいます。

また太平洋戦争末期の空襲では新宿駅周辺、四谷、神楽坂も焼夷弾によって焼野原となり、新宿御苑には火の手から逃れようと大勢の市民が殺到しました。

当初、守衛が門を閉ざして園内に避難者を入れなかったため住民たちは門を打ち壊しにかかり、結局門は開放されて多くの市民がなだれ込みました。しかし園内も火の海となり、飛び込んだ川も湯だって熱かったという避難者の手記が残されています。3度の空襲で旧御凉亭と旧洋館御休所、そして旧大木戸門衛所を残して御苑はほぼ全焼しました。

大ケヤキは東京を襲ったふたつの危機にも立ち会ってきたのです。そして生き延びました。

ちなみに旧洋館御休所は、平成13年(2001年)に国の重要文化財(建物)に指定され、平成16年(2004年)には旧御凉亭が東京都選定歴史的建造物に指定されています。

この春は事前予約制での入園です

新宿御苑が現在のように一般市民に開放されるようになったのは、昭和24年(1949年)。「国民公園新宿御苑」と名前が改められ、5月21日正式に公開されました。

そして近年、新宿御苑は250万人以上もの入場者を数えます。そして、その半数は外国人だそうです。しかし去年はコロナ禍で一時閉園したこともあり、入場者は相当数減ってしまったことでしょう。

今年の花見シーズンは、新宿御苑では混雑を避けるために入園が事前予約制となっています。4月25日までの間、日時指定チケットを事前購入するか、事前予約整理券の申込みをするか、どちらかの方法により入園が可能となります。事前予約整理券での予約の際は、当日券売所で入園券を購入する必要があり、スムーズに入園するために事前購入を勧めているとのことです。

またいつか大勢の人びとがのんびりと憩うことができる新宿御苑に早く戻ってほしいものです。

新宿御苑

住所:東京都新宿区内藤町11

電話:03-3350-0151

HP:https://fng.or.jp/shinjuku/

事前予約受付サイト:https://peraichi.com/landing_pages/view/ll5gi

[All Photos by Masato Abe]

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