1972年3月31日最後のワールド・リーグ戦が開幕 馬場がブッチャーの火攻めに不覚

馬場(上)はブッチャー相手に果敢に攻めたが…

【プロレスPLAY BACK(115)】全日本プロレス春の祭典「チャンピオン・カーニバル(CC)」は4月9日に大阪で開幕し、5月3日後楽園ホールで最終戦が開催される。昨年は新型コロナウイルス感染拡大のため史上初めて秋にスライド開催され、10月5日後楽園の優勝決定戦で勝利したゼウスが悲願の初優勝を飾った。

CCの原型は日本プロレスの祖・力道山が創設した「ワールド・リーグ戦」だ。1959年の第1回大会から昭和のプロレス界では「春の本場所」であり続けた。今から49年前の72年3月31日には、最後のワールド・リーグ戦が後楽園で開幕している。

すでに同年3月6日に新日本プロレスを旗揚げしたアントニオ猪木の姿はなく、予選リーグ戦はジャイアント馬場、坂口征二、大木金太郎ら日本勢とゴリラ・モンスーン、アブドーラ・ザ・ブッチャーら外国人勢の対抗戦(それぞれ9選手。2回総当たり)形式で行われ、日本人同士の対決はなかった。開幕戦では馬場がブッチャーにまさかの敗北。坂口はキラー・ブルックスに圧勝し、早くも初優勝宣言を放っている。

「日本プロレスの本場所、第14回ワールド・リーグ戦は決戦の火ぶたが切られた。後楽園ホールに満員の観衆を集めて行われた開幕戦では、早くも優勝候補の馬場が“黒い呪術師”A・ブッチャーの“火攻め”の奇襲に惨敗するハプニングで場内を騒然とさせた。ブッチャーは金属製の凶器で馬場を突きまくって先制。馬場も必死に16文キック、水平打ちを放って反撃したが、セコンドのカナディアン・ランバージャックが協力した“火炎攻撃”で目を焼かれてしまう。最後はブッチャーの必殺エルボードロップを食って惨敗。不安なスタートを切った。

一方の坂口は“葉巻野郎”キラー・ブルックスをアトミックドロップで慎重にKOして手堅く1勝。『今年こそどうしても初優勝をこの手にしなければ――そんな思いでリングに上がった。妙に落ち着いているブッチャーとモンスーンが不気味だが、一戦一戦手堅く駒を進めていきたい』と力強く語った」(抜粋)

最終的には日本人が馬場、外国人はモンスーンがそれぞれ首位に立ち、5月12日の優勝決定戦(東京体育館)に進出。馬場が3年連続6度目の優勝で“有終の美”を飾った。

結局、この年の7月に馬場が日プロに辞表を提出して10月に全日本プロレスを旗揚げ。翌年4月には坂口が新日本に移籍した。柱を失った日プロはリーグ戦を開催する体力もなく、73年4月20日群馬・吉井町大会を最後に崩壊する。馬場は同年3月17日「第1回CC」を開幕させた。CCは83~90年に未開催の時期もある。昨年は前代未聞のピンチを乗り切った全日勢には、「祭典」の名にふさわしい熱い戦いを期待したい。(敬称略)

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