闘病中の〝燃える闘魂〟アントニオ猪木が3月29日、自身のユーチューブチャンネルでサインの練習風景を公開した。リングデビュー60周年を記念して販売された、純金製フィギュア(税別で60万円)の初回特典用サインの練習だという。ペンを握り、力強い文字で「闘魂」の文字をしたためた。
「闘魂」の文字は猪木が大事に思っている方、関係者、そして時間に余裕のある時しか書かないので「闘魂」入りサインをもらえた人はラッキーだ。
さて、写真は今から39年前の昭和56年(1981年)10月26日、奄美大島の奄美空港で女学生(中学生だろうか、数名男子も)が一列に並び猪木にサインをもらっている風景。
猪木ら新日本プロレス一行は前日、名瀬市体育館での試合を終え、長崎へ移動するため搭乗を待っていた。すると、修学旅行中なのか、猪木を見つけると先生を含むクラス全員での記念撮影を頼み、その後、大勢の女生徒がサインをねだった。たまたま有名人がいたからサインをもらっちゃおう…そんなノリだったのかもしれないが、猪木は嫌な顔も見せず、一列に並べてサインを書いていた。
楽しげな様子で並んでいる女生徒から、ほのぼのとした雰囲気が伝わってくる光景だった。
猪木は日本プロレスの頃から子供のファンを大事にしていた。試合会場でサインが欲しそうな顔をしたちびっ子ファンがいると、「みんな一列に並んで」と声をかけサインをしていた。それで猪木ファンになったという子もいる。
ところで、次の巡業先の長崎ではちょっとした騒動が起きた。試合開始は午後6時半なのだが、6時近くなってもリングが到着しなかった。シリーズ2度目のリング延着だった。
リングを運搬するトラックは前日の試合終了後、夜を徹して海路で鹿児島へ。そして鹿児島から陸路で8時間かけて試合会場の長崎国際体育館へ向かったのだが、会場に到着したのは午後6時ジャストだった。
リングが到着すると選手が総出で手伝い、所要時間20分という速さで(それまでの記録25分を更新)でリング作りを終えた。試合開始は20分遅れの6時50分だった。
猪木はリング到着を待っている間、体育館内の小トレーニング場で練習していたが、しばらくしてリングのないイスだけ並べられている会場にやって来ると、グラン浜田を捕まえ、腕を取り技の指導をし始めた。そして腕ひしぎ逆十字固めを決めると、どこからともなくやって来た藤波辰巳(現・辰爾)が浜田の足を取り、足4の字固め。若手時代の前田明(後に日明)までもがちょっかいを出し、浜田の脇腹をくすぐり始めた。最終的に永源遙までもが加わって浜田を〝おもちゃ〟替わりにしていた。
その光景をイスに座ったタイガーマスクが笑顔で眺めていた。
現在は、タイガーマスクも原因不明の病と闘っていて、先日は猪木がリハビリをする姿に憂慮していた。猪木は食事風景を公開した動画で、「アントキの猪木というのもいる。それから小猪木かな。他にもいるのか。まぁとにかく今日はですね。そんときの猪木ということで」と久々のアントンジョークでクスっとさせてくれた。
師弟での、奇跡の復活を皆が望んでいる(敬称略)。