鉄道車両もつくったスバルの前史、あす4/5にYouTubeでトヨタとオンライン発表会開催

あす4月5日、13:00からYouTubeで、「いっしょにいいクルマつくろう!トークセッション」なるオンライン発表会を開くトヨタとスバル。

そこではおそらく、スバルがおもに開発・製造するトヨタ86・スバルBRZを発表すると想われ、注目を集めている。

その86・BRZをつくるスバルは、飛行機製造をルーツとし、鉄道車両もつくっていた。

スバルのルーツは、1917(大正6)年に群馬県太田市(現在)に設立した民営飛行機研究所が起源。

翌年には、中島飛行機製作所と改称し、当時、日本最大規模の大手航空機メーカーとして規模を拡大。

中島飛行機は、陸軍の歴代主力戦闘機になっていく九七式戦闘機、一式戦闘機「隼」、二式戦闘機「鍾馗」、四式戦闘機「疾風」など、多数の軍用機を送り出した。

1945年に富士産業と改称し、平和産業へ転換。宇都宮工場で鉄道車両の開発・製造をスタート。

1951年には、国鉄木製車の鋼体化生産に着手、この年に50両納入し、以後1955年までに302両を納入した。

1953(昭和28)年、富士重工業を設立し、自動車のほか、航空宇宙、産業機器、エコテクノロジー、スクーター、バス、ハウス、トラック、鉄道車両など、各事業部が動き出す。

まず1955(昭和30)年、富士重工業は、気動車メーカーとして国鉄から正式指定を受ける。

1958年には、軽四輪乗用車「スバル360」を発表。当時の販売価格は42万5000円だった。

1960(昭和35)年には、特急 はつかり 気動車 キハ80形 1号車が完成。

1965年には、日本初の国鉄むけ特殊気動車(電気作業車)が完成し、さらに航空部門では、戦後初の国産軽飛行機「FA-200」の試験飛行を成功させている。

―――1965年以降も、続々と鉄道車両を手がける富士重工業。それら形式や当時の動向については、またこんど。

(画像:スバル)

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