27歳で亡くなってから27年、カート・コバーンが残したもの:そのサウンドと差別へ声をあげた精神性

Photo: Charles Peterson

ある世代にとって1994年4月5日とは、今も昔も特異点であり続けている。90年代初期にグランジが流行し、シアトルが音楽界の新たな中心となり、街中のバンドがメジャーレーベルと契約、Sub Popのようなインディー・レーベルはメジャーへの通過点だけでなく、それ自体が重要なレーベルであるとみなされ、ニューヨーク・タイムズ紙がグランジの人気を説明しようとする記事を出すまでに発展した。このムーヴメントは、1人の男と1つのバンドによるものだった。カート・コバーンとニルヴァーナである。

しかし、想像を絶する悲劇が起こった。過剰摂取による入院から数ヵ月後、カートは自身で命を絶ってしまった。一発の銃声が全世代を引き裂いたのだ。

2日後に自宅で発見されたニルヴァーナのシンガーの死は、世界中に衝撃を与えた。即席の追悼式が行われ、葬儀では大勢の哀しみにあふれたファンが集まり、カートの妻であるホールのヴォーカリスト、コートニー・ラヴが衝撃と悲しみを込めて弔辞を述べた。

この日は、ポップカルチャーの中で永遠に語り継がれる日であり、多くの人が自分の居場所を正確に覚えている瞬間でもある。死から27年後の今、カート・コバーンが音楽に与えた影響は今も重要であり続けている。彼は、“世代の声”と呼ばれることを嫌っていたが、最終的にはそうなっている。

<動画:Nirvana – Smells Like Teen Spirit (Official Music Video)
 

カート・コバーンが残したもの

2020年代の今、ロックの影響力はかつてのように文化全体を支配してはいないが、カート・コバーンのアティテュードと精神は今も生き続けている。彼の真摯なソングライティングは当時の彼が感じていた怒りや疎外感を表現しており、今でも人々の心を捉え、彼の魂を溶かすような目と肩まで伸びたブロンドの髪は、子供たちが着ているTシャツにプリントされている。

また、カートの存在は、パティ・スミスの「About A Boy」からR.E.M.の「Let Me In」、あまり知られていないFor Squirrelsの「The Mighty KC」など、数え切れないほどの楽曲にインスピレーションを与え、彼のソングライターとしての才能は、グランジ・ムーブメントをはるかに超え、多くの人々に影響を与えている。オーストラリアのシンガーソングライター、ベン・リー(元Noise Addict)はこう語っている。

「四半世紀経った今でも、カート・コバーンの作品がなぜ自分に影響を与えたのか、その理由を解明しようとしている。(初めて聞いた時)生々しい攻撃性と強烈な弱さが、私の中にある原始的でリアルな何かに語りかけてきたんです。一見バラバラな要素をポップの枠組みの中で完璧に組み合わせたことを聴いたことで、自分音楽でやりたいと思っていたことのすべての青写真ができあがりました」

生々しい感情をベースに、パンクやインディーロックの要素を融合させたニルヴァーナのサウンドは、当時のポップ・メタル系のバンド達をロックシーンから追い出し、カートによる楽曲がロックの永遠の定石となった。しかし、ニルヴァーナの魅力は、パワーコードだけではなかった。例えば『Nirvana: MTV Unplugged In New York』は、心を揺さぶるような原始性を保ちながら、彼らの優しさを表現した画期的なアルバムだ。この夜のセットリストではヒット曲は「Come As You Are」の1曲のみで、カバー曲も6曲含まれていたが、バンドの伝説的な地位を確固たるものにした。

“彼は音楽を進化させた”

バンドのセカンド・アルバム『Nevermind』は、音楽界で最も重要な作品の一つであり、当時の若者たちであるジェネレーションXやそれより上の世代にも語りかける象徴的なヒット曲を数多く生み出し、その次のアルバム『In Utero』は、ニルヴァーナが自分たちの成功に反発したアルバムだ。そんなニルヴァーナを初めて聞いたの時のことをザ・キラーズのギタリスト、デイヴ・キューニングはこう語っている。

「初めてニルヴァーナを聴いたとき、すぐに興味をそそられました。私の耳には、これは今まで聞いてきたものとは何か違う、そしてとてつもなく良いものだということだけはわかっていました。カート・コバーンの音楽と天性の才能は否定することなんてできない。多くの人と同じように、カート・コバーンは私の音楽への興味を、それまで考えもしなかった方向へと導き始めました。それに彼は音楽全体を進化させたんです」

長年にわたり、多くのバンドがニルヴァーナに敬意を表し、何度もカバーを行ってきた。しかし、ディアー・ティックほど野心的なオマージュを捧げたバンドはいないであろう。ジョン・マッコーリー率いるディアー・ティックは、2011年の「サウス・バイ・サウスウエスト」でのショーケースで、自身の楽曲を演奏する代わりに、セットリストの全てをニルヴァーナの楽曲にしたのだ。ジョン・マッコーリーはその時についてこう語る。

「最初は単なるおふざけでした。カバーバンドとしての演奏は、サウス・バイ・サウスウエストの趣旨に反していたので……デイヴ(グロール)は、このディアヴァーナ(Deervana=Deer Tick+Nirvana)のファンになってくれて、彼は興奮してくれたんだと思います」

 

社会変革者としての側面

音楽はもちろんのこと、社会変革者としてのカート・コバーンの遺産を結晶化させたものがある。例えば彼の楽曲「Polly」「Pennyroyal Tea」「Rape Me」などの楽曲は、有害な男らしさや性的暴行をテーマにしている。そしてカートは、小さなシーンで活躍する女性バンドのファンであり、しばしば音楽業界の流れを先取りしていた。1993年に行われたスピン誌のインタビューでは、当時一般的に認知されていなかったバンドをこう紹介している。

「ここ数年の間に、ガールズグループがたくさん出てきている。ザ・ブリーダーズやライオット・ガールとかね。女性がそういう役割を担うことが、ようやく受け入れられるようになってきたんだ」

これは当時のガールフレンド、ビキニ・キルのトビ・ベイルと一緒にワシントン州オリンピアに住んでいた頃だ。

また、ニルヴァーナがディアー・ティックにサウンド以外の影響を与えたことを説明する際に、マコーリーはこう話してくれた。

「妻(ヴァネッサ・カールトン)とこの話をしていたら “あなたのバンドがどれだけ女性に音楽業界でのキャリアを高める機会を与えているか、あなたはわかっていない” と言われたんです。私たちは、一緒に仕事をする人を雇うときには多様な人を選ぶんです。カート・コバーンは、そういう意味では素晴らしいお手本だったと思います」

「私は学校でいじめられて辛い思いをしたことがあるので、どちらかというと女性的な面に惹かれていたと思います。女性やストレートではない人と一緒にいると落ち着くんです。自分の好きな曲を作ってくれて、私や私のような人のメンターになってくれた有名なロックスターを目にすることができて、とても嬉しかったです」

永続的なインパクト

ニルヴァーナが2014年にロックの殿堂入りした際には、ジョーン・ジェットが「Smells Like Teen Spirit」を歌い、ソニック・ユースのキム・ゴードンが「Aneurysm」を、セイント・ヴィンセントが「Lithium」を演奏し、ロードがベーシストのクリスト・ノヴォセリック、ドラマーのグロール、ギタリストのパット・スメアと一緒に「All Apologies」を歌うなど、ニルヴァーナの受賞を祝うパフォーマンスは女性アーティストで固められた。

セレモニーの後、同じグループにジョン・マッコーリーとJ・マスシスを加えてブルックリンでパフォーマンスを行った。「あれは確かに超現実的で忘れられない瞬間だった」とマコーリーは振り返る。

カート・コバーンへのトリビュートは、デイヴ・グロールがキュレーションした2018年のフェス「Cal Jam」でも行われ、ジョン・マッコーリーとジョーン・ジェットはニルヴァーナの現存するバンドメンバーとともにステージに立ち、オリジナルから20年経ったバンドの影響力を披露した。

 

“彼は既成概念にとらわれない”

カート・コバーンは、ライオットガール・ムーブメントだけでなく、今では大人気となっているドラァグクイーンのルポールをはじめとするメインストリームから外れたアーティストたちを支持していた。当時はルポールが仮に有名になっても、その人気は長続きするはずはないと思われていたころだ。2015年にネットサービスのRedditで行われた「ask me anything」という本人が答えるセッションで、ルポールはカートが公に受け入れてくれたことを認めて、こう語っている。

「カートと他の男の子たちは本当に素晴らしくて、とても素敵で、私のやっていることを本当に評価してくれました。それは彼が既成概念にとらわれず、ドラァグの本質であるパンク・ロックを理解してくれたからだと思います」

90年代初頭のシアトルでは同性愛嫌悪が蔓延していたが、ニルヴァーナは1992年に隣の州の街、ポートランドで開催された「No On 9 Benefit」でヘッドライナーを務めている。これは、LGBTQコミュニティを露骨に差別する投票法案に反対するためのショーだった。カートは常に率直な人だったが、自分の名声を活用して特定の問題について発言するという点では、他の多くのミュージシャンよりも先んじていたといえる。

このことについて、カート自身が最も鋭く指摘しているのは、ニルヴァーナのB面曲や未発表曲を集めたコンピレーションアルバム『Incesticide』のライナーノートにあるこの部分だろう。

「この際だから、ファンの皆さんにお願いがあります。もし、あなた方の中に同性愛者や肌の色が違う人、女性を憎んでいる人がいたら、どうか私たちのためにこれだけはお願いします。俺たちのことはほっとけ! 俺たちのライヴにはくるな、レコードも買うな」

“子供はニルヴァーナの歌を学びたい”

パワーコード、心に響く歌詞、そして名声や地位があっても自分自身に忠実であり続けるというパンクロックの倫理観は、カート・コバーンに信じられないほどの信頼と信用を与えた。「高校生になって初めてギターを手にした子供たちが、ニルヴァーナの曲を弾きたいと思ってくれるのは嬉しいことですよ」とジョン・マッコーリーは言う。

カート・コバーンの音楽的な才能は、今も愛され続ける魅力の基盤となっているが、彼の曲作りにおける率直な弱さと、彼が自分のプラットフォームをどのように利用したかということが、今日でも孤立や疎外感を感じている人々の心に響き続けているのだ。

Written By Wyoming Reynolds

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