「東スポさんに載るまでは絶対に誰にも言いません」馬場元子さんの姪とともに守った “遺言”

恵比寿の自宅には元子さんの遺影と遺骨、馬場さんの遺骨(右)が並んで安置されていた

【故ジャイアント馬場さん夫人・馬場元子さんの遺言(2)】馬場元子さんは4月14日に亡くなり、親族だけでお通夜と密葬を終えたという。とにかく早急に位牌がある渋谷区恵比寿の自宅にうかがいたいとお願いすると、翌日21日正午に埼玉在住で元子さんの姪・緒方理咲子氏に、恵比寿の自宅で話を聞かせていただくことになった。前年1月の喜寿を祝う会以来となる自宅訪問だった。

ここでまさかのハプニングが起きた。21日正午に自宅にうかがうと、緒方氏が裸足で玄関先に出てくれた後、背後でオートロックの扉が閉じられてしまったのだ。運悪く管理人も不在だった。そのまま外に放り出され、記者が携帯で鍵屋のレスキューを呼んだ。外は暖かかったので、外国人専用の高級マンションの前で約3時間半、地べたに座って緒方氏に話を聞くはめになった。途中から面倒になった記者も靴を脱いで裸足になった。かなり異様な光景だったと思う。

今でも元子さんのいたずらとしか思えない。1時間刻みで鍵屋に電話を入れて「1人凍死しました。早く来てください」などと催促した。喪中の厳粛さはもはや消え失せてしまい、ゲラゲラ笑いながら話を聞いた。なかば開き直っていた。

約3時間半後に鍵屋が到着して、ようやく自宅に入れていただくことができた。元子さんの位牌と遺影に手を合わせて「長い間、お世話になりました」と深く深く頭を下げた瞬間、ようやく実感が湧いて胸が詰まった。そして馬場さんと元子さんが結婚前に文通を交わしていた際の手紙や遺品を見せていただき、亡くなった時の様子などを取材させていただいた。

この日は土曜日だったので、記事の追い込みは翌22日、本紙掲載は23日となる。それまでどこかに漏れはしないだろうか――。念を押す記者に緒方氏は「東スポさんに載るまでは絶対に誰にも言いません」と答えてくれた。おそらく元子さんには、東スポならキッチリ話をまとめて、他のうがった見方をする報道を封じてくれるだろうという思いもあったのだろう。

しかし、側近中の側近である全日本プロレスの和田京平名誉レフェリーや、当時、全日本の社長を務めていた秋山準(51=現DDT)ら、縁が深い方々に伝わる前に記事を書くのはいかがなものだろうかという後ろめたさは残った。

結局、2018年4月23日発行本紙1面で「馬場元子さん死去、馬場さんの遺骨とともに納骨へ」との記事が掲載された。23日午後には全日本が公式リリースを流し、和田氏からも追悼コメントをいただいた。何とか「遺言」を守り、少しは責任はまっとうできたのだろうか。しかし、あまりに書ききれないことが多すぎた。

元子さんは病魔と闘うと同時に、いずれは誰もがぶつかる「介護」という問題と壮絶に闘っていたからだ。(続く)

(運動二部・平塚雅人)

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