「私の養子になりなさい」馬場元子さんから驚きの申し出を受けていた和田京平レフェリー

左から天龍源一郎、和田京平レフェリー、渕正信、馬場元子さん、川田利明。和田レフェリーは常に元子さんを支えていたが…(写真は2008年)

【故ジャイアント馬場さん夫人・馬場元子さんの遺言(5)】2017年11月9日、馬場元子さんは自宅からほど近い渋谷区恵比寿の介護施設に移った。スタッフは元子さんについての情報を全て把握しており、完璧な環境かとも思われた。この時点で病状は悪化することもなく、日常生活にも支障がなかったため、本人も元子さんの姪・緒方理咲子氏も「死期」など考えたことはなかったという。

しかし、施設に入って3日目、元子さんはベッドで泣いていた。「すぐそこが自分の家なのに、私はなぜここにいなければならないの?」。緒方氏は声を失った。それでも元気づけようと、翌日から他の入所者がいるダイニングルームでの食事を提案した。

ところが翌日午後、いつも通りに施設を訪れると元子さんは「あんた、冗談じゃないわよ」と怒りながら切り出した。聞けば他の患者が「わたくしの主人は」とか「わたくしの自宅はこんなに大きくて」など自慢話を聞かされて閉口したというのだ。往年の気の強さは健在だった。

ここで緒方氏は一つの計画を試みる。この人はジャイアント馬場さんの奥さんとして以外、他人に接されることがなかったのではないか――そう考えた末に「元子さんのファンクラブをつくりましょうか」と提案した。

つまりプロレス界の知り合いではなく、個人として知り合った人間に声をかけ、お見舞いに来てもらおうというプランだ。ビジネスで関わりがなく「元子おばさま」と呼ぶ知り合いの若い世代の母親と子供たち、さらにそのママ友と子供など、一人の女性として接してくれる人たちの集まりだ。「あ、それいいわね。つくってよ」と笑いながら元子さんは快諾した。

笑っては失礼だが、ここからの元子さんの行動は、実に「全日本プロレス」的なものだった。何と会員証を発行し、お見舞い客が来るたびに自らスタンプを押し「スタンプが埋まったら、私が元気になった時にハワイに連れて行ってあげるからね」と声をかけていたという。

「後楽園の大入り袋を1年分集めるとハワイに行けるらしい」という全日本全盛期の逸話を思い出した。スタンプカードをつくった介護患者なんて聞いたことがない…。それからは入れ代わり立ち代わり見舞い客が訪れるようになり、元子さんも元気を取り戻した。

ところで、この時点で側近中の側近だった和田氏は、どうしていたのだろうか。実は同年7月を最後に元子さんとは距離を置くようになっていた。「私の養子になりなさい」という申し出を断っていたからだ。(続く)

(運動二部・平塚雅人)

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