元ヤンキースのデレク・ジーター 初めて人間らしさを感じた「瞬間」

デレク・ジーター氏

【元局アナ青池奈津子のメジャー通信=デレク・ジーター(元ヤンキース)そういえば、デレク・ジーターと野球の話をしたことがない…。

そんな事実に、彼が引退してから7年目の春に突然気づいてしまった。

きっかけは、デレクが2014年の引退直後に開設したアスリートらによる言葉を届けるメディアサイト「The Player's Tribune(TPT)」に掲載された「Dear Japan」の文章を読んだこと。

今年の3月末、ついにTPT日本語版が始まったそうで、そのあいさつがデレク本人の言葉で丁寧につづられているのだが、そこそこの長文に、選手時代、どの記者とも2分と会話を続かせず、短い答えで端的にあしらっていた彼を思い出して、笑ってしまった。

あのころは、ニューヨークの顔としてあまりにも多くのインタビューに答えなければならないから身につけた対応法なのかと思っていたが、今なら彼が自分で伝えたい人なのだということが分かる。

あまりに一瞬のことだったので誰にも話したことがないのだが、私はその片鱗を見ている。

それは、彼が自分のフェイスブックに長文の引退宣言を掲載した年の開幕ウイーク。そもそもその文章自体、インタビューで答えるのではなく自らつづり、誰にも編集できないように1ページのイメージファイルとして掲載されているのだが、開幕して数日後の少し落ち着いてきた日に、ロッカーで一人靴ひもを結んでいたデレクを見つけ、何か話したくてとっさに「あなたらしいすてきな引退宣言だったね」と声をかけた。

彼と話をしたかったら、質問ではなく、コメントの方が効果的であることを知ったのもこの時。手を止め、顔を上げた彼から「そう思う? ありがとう」と、かつてない安堵やうれしさを含んだ笑顔が返ってきた。うなずくように首を縦に振りながら、2度「ありがとう」とつぶやいた。言葉は相変わらず少ないのだが、初めて彼に対して感じた手応えというのか、意外な反応だったというのか、8年間の取材の中でも特別な瞬間として脳裏に焼きついている。

それがあったせいか、引退後に出版社を共同経営したり、TPTを立ち上げたデレクに、驚きながらも納得の気持ちの方が強かった。

今回の手紙の中で、デレクは「Human(人間)」という言葉を強調している。アスリートである前に、人間なのだと。アスリートら自らに言葉をつづってもらうことで素の彼らを知ってもらい、人間同士のつながりを感じてもらうのが、TPTの目指すところなのだと。

正直、私の書くコラムと競合…というか、本人が書いているものにかなうはずもなく、TPTは嫌いなのだが、それだけ面白い(そもそもTPTは、既存のメディアに対抗する気はまったくない)。

あんなに野球を知らなかった私が、この春晴れて大リーグ取材15シーズン目を迎えられたのも、雲の上の存在だと思っていた選手らが、案外普通の青年だったり、同じような悩みを抱えていたり、長くなってくると不思議な同僚感が生まれたり、人間らしさを知れたことだった。

日本のアスリートらはどんな言葉をつづるのだろうか。個人的には、日本でのTPT創設は、チャレンジングだと思う。大リーグで取材していると、表現の自由度や方法に大きな文化の違いを感じずにはいられない。もはやクラブハウスで取材できない日本のプロ野球など、私はどうアプローチしたらいいか見当もつかない。でも、体制を変えてほしいとは思わないし、日本らしさの中に良いところがたくさんあるから、そのままの彼らをさらけ出してほしいと思う。

ニュースサイトでもSNSでもない、外国発のプラットフォームだからこそできるかもしれない。それでいつか、この世界の垣根がなくなっていたらかっこいい。

☆デレク・ジーター 1974年6月26日生まれ。46歳。ニュージャージー州出身。右投げ右打ち。92年にドラフト1巡目で指名を受けてヤンキースに入団。95年5月29日にメジャーデビュー。翌96年にはチームとして34年ぶりとなるルーキーでの開幕スタメン遊撃手に抜てきされ、レギュラーに定着して新人王を獲得。以降は「プリンス」の異名をほしいままにし、チームをワールドシリーズ制覇に5度も導くなど、ヤ軍の顔としてメジャー史に残る活躍。通算3465安打はメジャー歴代6位。ゴールドグラブ賞、シルバースラッガー賞、ワールドシリーズMVPなど個人タイトル獲得歴多数。2014年シーズンを最後に現役を引退。17年オフからマーリンズの共同オーナー、最高経営責任者(CEO)。20年に資格1年目にして米国野球殿堂入りした。

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