人口流出、被災後に加速 熊本地震きょう5年 仮住まい400人、復興への道今も

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木山仮設団地の自室前にこいのぼりを立てた林大稀さん一家。宮園地区の自宅再建は区画整理事業のためまだ先だが、「仮設暮らしが続いても家族の笑顔は絶やさないようにしたい」と話す=13日午後、益城町(後藤仁孝)

 震災関連死を含めて県内で273人の命が失われた熊本地震は14日、発生から5年を迎えた。この1年間に、国道57号やJR豊肥線の全線再開など阿蘇地域の交通アクセスは大きく改善し、熊本城(熊本市)の天守閣も復旧工事を終えて内部公開を待つ。一方、仮設団地などで仮住まいを強いられている被災者は、今なお益城町などに418人(3月末時点)おり、復興への道のりは続いている。

 2016年4月に発生した熊本地震の前後5年間の人口増減率を比較すると、被害の大きかった南阿蘇村では4・0%減から11・0%減へと減少幅が7・0ポイント広がり、県内45市町村で最大となったことが県の推計人口で分かった。同じく益城町は2・9%増から3・6%減へとマイナスに転じ、変動幅は6・5ポイントと2番目に大きかった。震災を境に被災地の人口流出が加速した実態が浮き彫りになった。

 地震のあった16年を基準に、5年前の11年と5年後の21年の、いずれも3月1日時点の人口を比較した。県全体は地震前が1・7%減、地震後が2・9%減で、減少幅の拡大は1・2ポイントだった。

 南阿蘇村は、地震前の5年間に481人減少。地震後の5年間でさらに1262人減り、1万212人となった。

 村によると、東海大阿蘇キャンパス(南阿蘇村黒川地区)の被災で、学生が村を離れた影響が大きい。黒川地区は「学生村」と呼ばれ、キャンパスで学ぶ千人のうち800人ほどが暮らしていた。阿蘇大橋や南阿蘇鉄道など主要な交通ルートの寸断もあり、「村を出ることを選んだ子育て世代も少なくなかった」と村政策企画課。

 一方、益城町は熊本市のベッドタウンとして、地震前の5年間は942人増加。地震後は一転して1221人減り、3万2587人となった。全住家の98・6%に当たる1万棟余りが損壊し、町外に自宅を確保したり、親戚や知人宅に避難したりした人も目立った。

 町総務課は「住宅地や道路の復旧時期が見通せず、元の場所での自宅再建を判断できない世帯も多かった」と見る。

 ただ、被災地の人口減少幅は地震後1年間に大きく拡大し、その後は縮小傾向にある。南阿蘇村は地震の翌年が4・9%減だったが、直近1年は0・5%減にとどまった。吉良清一村長は「子育て世代などの転入の動きも出ている」と話す。

 益城町も地震翌年の4・4%減から、2年前はプラスに戻り、直近1年は0・9%増まで回復した。熊本市に接する広安地区や町南部の飯野地区への移住が増えている。

 20年3月には19団地671戸の災害公営住宅の整備も完了。塘田仁総務課長は「県道4車線化や土地区画整理などの復興事業が進めば町へ回帰、移住する人がさらに増える」と見ている。(潮崎知博)