【伊藤鉦三連載コラム】完全試合で日本一目前の山井交代に驚きはなかった

日本一を決めて歓喜の輪を作る中日ナイン

【ドラゴンズ血風録~竜のすべてを知る男~(20)】1987年にドラゴンズと契約してからずっとトレーナーとして働いてきた私でしたが、2005年からはナゴヤ球場内にある選手寮「昇竜館」の副館長を務めることになりました。トレーナーとは違った立場から若手選手を支えて、ドラゴンズのために尽くしたいと考え引き受けることにしたのです。

さて落合監督率いるドラゴンズは1年目の04年、3年目の06年にリーグ優勝したのですが、いずれも日本シリーズで敗れてしまいます。中日は1954年に日本一になってから半世紀以上日本シリーズでは勝っていません。セ・リーグでも最も日本一から遠ざかっている球団となっていました。

しかし07年に大チャンスが訪れます。セ・リーグ2位に終わった中日ですが、クライマックスシリーズで原巨人に3連勝して日本シリーズに進出。相手は前年1勝4敗で敗れた日本ハムでした。敵地・札幌での戦いを1勝1敗で名古屋に戻ってくると3、4戦目は打ち勝ってついに王手。そして第5戦が行われた11月1日、日本シリーズ史上に残る大事件が起こります。

中日先発・山井と日本ハム先発・ダルビッシュ(現パドレス)の投げ合いとなったこの試合は平田の犠飛で中日が1点を先制。この日の山井のスライダーはキレキレで日ハム打線をまったく寄せ付けません。あれよあれよという間に山井は8回まで1人の走者も許さないパーフェクトピッチングを続けたのです。

日本シリーズ史上初の完全試合達成へ――。と思った9回表でした。「ピッチャー山井に代わりまして岩瀬!」。何と落合監督は完全試合達成目前の山井に代えて守護神・岩瀬をマウンドに送ったのです。これには日本中がビックリでした。

私はこの時、ナゴヤドームの食堂のテレビで試合を見ていましたが、正直言うと、この交代にはそれほど驚きはありませんでした。落合監督なら日本一になるために最後は岩瀬に任せるのではないか。そんな予感があったからかもしれません。試合後、落合監督の口から山井の右手中指のマメがつぶれていたという事実が明かされました。私は翌日に山井に右手を見せてもらったのですが、確かに中指のマメはつぶれていました。

山井に代わってマウンドに上がった岩瀬は3人でピシャリと締め、ドラゴンズは53年ぶりの日本一! 落合監督は4度、宙を舞い、ナゴヤドームの駐車場で盛大にビールかけが行われましたが、完全試合直前の山井を交代させたオレ流采配に対しては賛否両論、というより圧倒的に批判の声が多かったです。

私のところにもこの交代劇について何件もの電話がかかってきました。「日本シリーズは中日ファンと日本ハムファンだけが見ているわけじゃない。野球ファンみんなが完全試合を期待していたのにあそこで交代はないでしょう」という声が多かったです。確かにその通りだと思います。そして日本一になるためにはマメをつぶした山井より守護神・岩瀬に任せた方がいいと考えた落合監督の采配も間違ってはいないと思います。いずれにしろ日本中に侃々諤々(かんかんがくがく)の大論争を巻き起こしたオレ流采配。53年ぶりのドラゴンズ日本一がかすんでしまうほど強烈なインパクトのある投手交代劇でした。

☆いとう・しょうぞう 1945年10月15日生まれ。愛知県出身。享栄商業(現享栄高校)でエースとして活躍し、63年春の選抜大会に出場。社会人・日通浦和で4年間プレーした後、日本鍼灸理療専門学校に入学し、はり師・きゅう師・あん摩マッサージ指圧師の国家資格を取得。86年に中日ドラゴンズのトレーナーとなり、星野、高木、山田、落合政権下でトレーナーを務める。2007年から昇竜館の副館長を務め、20年に退職。中日ナイン、OBからの信頼も厚いドラゴンズの生き字引的存在。

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