【香港】那須高原ビールが香港参入[食品]

試飲会を初開催、足利銀が支援

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那須高原ビールの試飲会で説明する足利銀行香港駐在員事務所の阿部真人所長(左)=18日、銅鑼湾(NNA撮影)

地ビール製造販売会社の那須高原ビール(栃木県那須町)は香港市場に本格参入する。シンガポール、台湾に続く海外3カ所目の輸出先。17~18日の2日間にわたり、香港中心部で香港市民向けに初の試飲会を行った。同社が香港でこの種のイベントを開催するのは初めて。足利銀行香港駐在員事務所が試飲会開催に導いた。

那須高原ビールは那須の自然豊かな環境を生かし、一般的なビールから熟成品までを醸造。世界のビールコンテストでの数々の受賞歴があるほか、那須町に御用邸がある関係で、天皇陛下がご愛飲されるなど、皇室とも縁が深い。アルコール度数11度とビールとしては高めに熟成させたビンテージビール「ナインテイルドフォックス」は瓶入り1本(500ミリリットル)で1万円以上値が付くものもある。

会場は香港屈指の繁華街である銅鑼湾(コーズウェーベイ)の商業エリア「ファッション・ウオーク」の地下スペースで、完全予約の少人数制を採用。最終日18日の午後2時の部では男女合わせて8人が参加した。

足利銀香港事務所の阿部真人所長による栃木県の魅力の紹介と、それに絡む各ビールの由来や背景説明を挟みながら進行。参加者らは耳を傾けつつ、定番商品の「愛」や「ヴァイツェン」、県農業試験場が開発した品種のイチゴ「とちおとめ」を使った季節限定の「いちごエール」などのほか、目玉のナインテイルドフォックスを堪能した。

参加していた銀行員の陳景瑜(ケリー・チャン)さん(34)はNNAに対し、2年前に那須に行ったことがあるとした上で、「温泉が有名なのは知っていたけれど、ビールが有名なのは知らなかった」と目を丸くした。値段は通常のビールより高めだが、「香港で(那須高原ビールが)買えるようになるならぜひ買いたい」とも語った。

広告会社に勤務する曹之杰(ケルビン・ツオ)さん(34)は、「ナインテイルドフォックス2010年物がおいしかった。ウイスキーの味に近い」とコメント。続けて「香港人は現実的だが、(その商品が)どんなストーリーを持っているかも重要だ」と力説した。那須に行ったことはないとしながらも、新型コロナウイルスの流行収束後、渡航できるようになったら行ってみたいとも話した。

足利銀の仲介で那須高原ビールの香港側の仕入れ業者(バイヤー)となった李啓彦(ケネス・リー)氏は同ビールとの契約について、自社の方向性と一致したほか、「ビールの熟成品という新しいカテゴリーにつながった」と説明した。李氏は日本のこだわり食材・飲料を販売する「逸品館」の運営会社「ザ・タイム・ソムリエ(逸品侍)」の創業者兼総経理。この日は試飲会で通訳兼司会も担当した。

阿部所長は「香港の方はお金にもセンシティブだが、本当に気に入ったものは買ってくれる」と指摘。その上で「味には自信がある。(消費者やバイヤーの)母数を広げていきたい」と語った。

ビンテージビール「ナインテイルドフォックス」が注がれる様子を見る参加者=18日、銅鑼湾(NNA撮影)

■次は県産日本酒に照準

那須高原ビールの香港進出は、栃木県による海外への農産物輸出支援の方針にも沿っている。足利銀にとっては地域産品の輸出支援の重要な布石だ。

同行が食品の海外輸出支援に本格的に動き出したのは20年10月ごろ。「まだスタートしたばかりだ」と阿部所長は話す。食品輸出支援の取り組みが他の都道府県に比べやや出遅れたことについて、これまで県の農産物は主に東京中心に出荷されてきたことや、北関東の製造業、特に自動車産業の顧客の進出サポートが同行の事務所設立の主要目的だったことが背景にあると説明する。新型コロナウイルス禍の中、20年4月に香港に赴任した阿部所長は香港で県産農産物がほとんど見られないことに気付き、県産の農産物と食品の市場開拓に取り組み始めた。

今後の取り組みを問うと、「まずは県産日本酒だ」と回答。「栃木県の日本酒は既にいくつか香港に入っているが、新しい銘柄を持ってきたい」と抱負を語った。県産日本酒の取り扱いに関心を示しているバイヤーは既にいるとも明かした。

一方、食品・食材に関しては簡単でないと認めた。栃木県は、茨城、群馬、千葉の3県と同様、東京電力福島第1原発の事故に絡んで香港政府が輸入規制を実施しており、一部農産物・食品(野菜、果物、牛乳、乳飲料、粉乳)の輸入には今もなお、輸出事業者証明書のほか、放射性物質検査証明書の提出が必要となっていることが大きい。

ただ、悲観はしていない。規制対象となっている地元エリア(栃木、茨城など)の産品に関し、「(足利銀と同じ)めぶきフィナンシャルグループの常陽銀行と協力して香港の人に広く輸出できるお手伝いをしていきたい」と前を向いた。