中森明菜のカバーソング、アニタ・ムイをはじめ東アジアで百花繚乱! 1987年 5月26日 梅艷芳(アニタ・ムイ)のアルバム「似火探戈」がリリースされた日

中森明菜を中心とした “ポップスによる東アジア的連帯”

中森明菜を中心とした「大アジア主義」がありうる――
明菜の中国版Wikipedia(维基百科,自由的百科全书)を覗いていたら、香港・台湾・北京・広東語など東アジアで大量にカバーされていると分かった。

「菜(チョイ)」という言葉が「女」を意味する広東語になってしまうほどの人気だったことからも、明菜を中心としたポップスによる東アジア的連帯が、我々日本人のあずかり知らぬところで形成されつつあったのだ。

レベル的に玉石混交ではあるが、一聴に値するカバー曲を紹介して「中森明菜による大アジア主義」の正体に迫ろうと思う。

サラ・ウォンは「BLONDE」、伊能靜は「少女A」をカバー

まず明菜のゴシック暗黒趣味を理解したと思しき、香港の黄宝欣(サラ・ウォン)による「黒布衣」。これは「BLONDE」のカバーで、失恋して黒い服を着て街を歩いていたら、失恋した相手も黒い服を着て歩いていた、というゴス風な歌詞に変更されている。収録アルバム『恋情』のジャケ写も黒リップで暗黒耽美度が高くうっとりする。

異色作『不思議』で見せた明菜のゴスロックへの接近に共鳴するような歌詞内容だと言え、ファンが作った「黒布衣」のMVなど見てもビアズレー的な世紀末デカダン風アートと並べるものがあるほど。香港もやるね。

伊能靜「選錯電影、選錯你」も面白い。明菜のツッパリ歌謡「少女A」をフランスギャル風のロリータ趣味で料理してしまった異色作。ホウ・シャオシェンの『好男好女』、『憂鬱な楽園』といった大傑作アートフィルムに出演していた伊能靜が明菜カバーを歌っていたと知ったら、シネフィルも仰天するのではないか?

男性アーティスト、ジャッキー・チュン、アンソニー・リュンもカバー

アジア芸術映画の文脈で繋げるとウォン・カーウァイ『欲望の翼』に出演した張學友(ジャッキー・チュン)も「局外人」として「十戒」をカバーしている。男性アーティストによる明菜カバーが結構あることは驚きで、他にも倫永亮(アンソニー・リュン)が「DESIRE -情熱-」を「八級戀火」と題してカバーしている(内容はずっこけるレベル)。

などなど沢山あるのだが、やはり香港ポップスの女王にして40歳の若さで子宮がんでこの世を去った梅艷芳(アニタ・ムイ)による明菜カバーを紹介しないわけにはいかない。

香港ポップスの女王アニタ・ムイ

その前にまず、一体アニタはどのようなアーティストなのか? ファン代表・石井恒氏の『半狂人の日記』というブログ掲載の追悼文(クオリティーの高さが尋常じゃない!)によると、80年代はグラムロック期のデヴィッド・ボウイ的な強烈なファッションとルックスで一世を風靡したらしい。

「アニタのルックスは、東アジア人としてはやや辺境的なだけでなく綺羅を飾れば人類を超越して別の星の生命体のように異彩を放つ。常識内の衣装やメイクでは到底収まりきらぬ強力面貌ゆえデザイナー・劉培基(エディ・ラウ)は、前衛芸術作品的創造力で前例のない驚倒的美粧を次々と供覧し続けたように思える。香港人が好きなのはきっと、人智を超えるほど奇抜かつ妖惑的ファッション&メイクで度肝を抜きまくり続けた80年代の “百變梅艷芳” 。」 (「梅艷芳(アニタ・ムイ)…………十年」より)

なるほど「OH NO, OH YES!」、「裝飾的眼淚」(後者原曲は「駅」)などの明菜カバーを収録した『似火探戈』のジャケなど、たしかに謎めいたデコレーションを顔に施していて超アジア的な宇宙人ルックスである。しかしこのアルバムに、竹内まりや提供の不倫ソング2曲が入っていることは意味深だ。実際、明菜が泣いて絶唱したことで有名な「難破船」のカバーもアニタにはあるほどで、「無人願愛我」というタイトルで『夢裡共醉』(1988年)に収録されている。

… と、こうやって見てみると、中森明菜のライバルは松田聖子ではなく、実は海峡を超えてアニタ・ムイだったような気がする。明菜もまた妖艶なルックスと低音ヴォイスの持主で、「DESIRE -情熱-」でレディ・ガガに先駆けて以降80年代後半はショッキングなファッションの数々を見せつけたのだから。

おニャン子クラブ研修生だったヨリンダ・ヤンも明菜をカバー

他にも明菜に対抗意識(?)を燃やした人物がいる。おニャン子クラブ研修生だった甄楚倩(ヨリンダ・ヤン)がその人。

アニタ同様に「難破船」をカバーしており、この曲および「恕不奉陪」(「TANGO NOIR」カバー)が収録されたアルバム『無伴的舞』は香港音楽史上最年少でプラチナディスクを獲得した大ヒット作だったりする。

以上、中森明菜を “日本” に局限せず “東アジア” へ解き放つための、より巨大な視点をおぼろげながら提示してみた。とはいえ、「中森明菜」という日本料理屋がカナダのトロントにあるくらいだから、東アジアを超えてより国際的な、考えもしないような国や地域でいまも明菜は受容されているに違いない。世界は広いぞ!

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カタリベ: 後藤護

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