メッツのドミニク・スミス内野手 BLM運動が広がるなか頭から離れない「大粒の涙」

人種差別問題で涙を流したスミス(ロイター=USA TODAY)

【元局アナ青池奈津子のメジャー通信=ドミニク・スミス内野手(メッツ)】ドミニク・スミスが会見中にこぼした大粒の涙が、頭から離れない。このまま、ずっと離れなくていいと思うし、多くの人の脳裏に焼きつけばいい。

「2013年にドラフトされてロサンゼルスを離れた時、僕はようやく、これまで両親が教えてくれてきたことの意味を知った。アメリカにいる黒人は、様々な人種差別に遭う。親は、そのための準備を子供たちにさせる。警察に呼び止められた際の準備。敬意を持って人と話す準備。肌の色ですでにストライクを取られている場合、出会う人には好かれるように、敬意を持って、笑顔で、愛を込めて接しないとならない、と。子供のころは、黒人学校で育ったからその意味が分からなかったけど、リアルな世界にやってきた時、僕らが真っ先に抑圧されているのを見て…自分は肌の色が理由で平等でなければ、理不尽な扱いを受けるのだと知って衝撃を受けた。人々は僕のことを知ろうとする前に、頭の中ですでに僕に対する認識を持っていた」

これは今年6月にドミニクのSNSでつづられた言葉だ。

BLM運動の広がりで、日本でもその実態が知られるようになってきたと思うが、米国の黒人たちが日常的に接する恐怖や不条理は、私たち日本人にはなかなか実感としては湧かないかもしれない。在米歴17年となる自分もマイノリティーとされるアジア人の一人だが、正直、彼らが直面する日常は分からない。黒人の友人に話を聞けば、誰もが差別に対し常に警戒心を持って生活しているし、一度は理由なく警察官に呼び止められたり、理不尽な思いをしたことがあるという。それを考えただけでも、怖いと思う。この国の警察官は拳銃を携帯しているのが一般的だ。

米スポーツ界でBLMを支持するアスリートたちによる試合のボイコット抗議が起こった夜「黒人としてアメリカで生きることは簡単じゃない」と、涙を流しながら試合前の国歌斉唱時にヒザをついた胸中を語ったドミニクは、ある記者に「この問題について黒人以外のアスリートや人々にどのようにサポートしてほしいと考えているか?」と聞かれてこう答えた。

「インナー・シティの子供たちにしてあげられること、ハッピーをもたらすのにできることはたくさんある。一緒に過ごす時間が最も大事だと思う。お金はマテリアルでしかない。自分は貧困の中、お金なしで育ったから、お金はどうでもいいと思う。でも、あなたの時間を子供たちに与えられたら、そこには意味がある。時間を一緒に過ごすことでしか、変化は生まれない」。再びあふれ出そうになる感情を抑えながら訴えた。

「僕の育ったインナー・シティでは…」と、彼がインタビューで「インナー・シティ」という言葉をよく使ったのを思い出した。

ドミニクは、ロサンゼルスのサウスセントラル地域出身。

「貧困、暴力、強奪、銃声、僕にとっては普通のことだった。大人になって外に出るまではインナー・シティの生活が普通のことだと思っていた」と教えてくれたその場所は、私の住むサンタモニカから車で20~30分程度と決して遠くないのだが、同じロサンゼルスかと思うくらいに環境が違う。ドミニクはそこで兄の一人が銃で撃たれ、姉のボーイフレンドは2008年に当時3歳だったドミニクのおいっ子ジェイレン君を残し、殺害され
ている。

それでも、自分はラッキーなのだとドミニクは言う。

「うちは貧しかったし、生活保護を受けていたこともあるけど、母がいつもどうにか方法を探して、何人もの子供たちの面倒を見ていたんだ。母は近所の子供たちにも屋根を与え、食事を与え、できることを何でもしたよ。家にはいつもたくさんの人がいた。貧しかったけど、何とかやりくりした。母が素晴らしい人で多くの子供たちにたくさんの愛を降り注いでいた」

実はその母、イベット・ラフレアさんも、薬物とアルコール中毒に苦しんでいた過去がある。

やめられたきっかけはドミニクだった。次回はそこから。 =続く=

☆ドミニク・スミス 1995年6月15日生まれ、25歳。米国カリフォルニア州ロサンゼルス出身。左投げ左打ち、一塁手、外野手。2013年のMLBドラフト1巡目(全体11位)でメッツから指名されプロ入り。17年にメジャーデビューし、同年49試合で9本塁打、打率1割9分8厘。18年は56試合に出場して5本塁打、打率2割2分4厘、19年は89試合で11本塁打を放つと、打率は2割8分2厘と着実に成長。今季は33試合で7本塁打、打率3割6厘(6日現在)。身長183センチ、体重108キロのスラッガーで、チーム期待の選手としてブレーク中だ。

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