2017年に開山1300年を迎えた、歴史ある神社『平泉寺白山神社』。
この場所は国の史跡となっており、その風景の美しさ…特に一面に苔が広がる風景や、貴重な建築物の数々は、一生に一度は見ておくべき!
広大な敷地に散らばるさまざまな見どころをご紹介します!
平泉寺白山神社とは?
「平泉寺」と呼ぶことも多いことからお寺だと思うかもしれませんが、現在の平泉寺は『平泉寺白山神社』という神社。
平泉寺は白山を信仰するための福井(越前)の拠点で、今から1300年程前の717年に泰澄という僧が開山しました。
白山は福井県、石川県、岐阜県にまたがる標高2,702mの山で、富士山とともに日本三霊山に名を連ねます。
僧侶が神社?と不思議に思いましたか?
実は現在の平泉寺白山神社は、1575年に一向一揆で全山が焼失してしまったため、最盛期(戦国時代頃)の10分の1程度の規模になっています。
最盛期には社堂四十八社、三十六堂(神社と仏堂を併せたもの)、六千の僧坊(僧侶の家)があったという記録が残っています。
このように、かつては神道と仏教が一緒になっている「神仏習合」が一般的でした。
しかし、一向一揆によって焼き払われてしまったり、神仏分離によって仏像が壊されてしまったりしました。
明治時代に入ると仏教(お寺)と神道(神社)を分ける「神仏分離」の通達が政府から出されたため、平泉寺は現在は神社として存在しています。
平泉寺の苔の見頃は?
平泉寺白山神社の一番の見どころは、一面に広がる苔。
平泉寺白山神社には約100種類の苔があると言われており、場所によって苔の感じも全然違います。
苔が美しい時期は7月くらい。
梅雨が明けたくらいが一番おすすめです!
平泉寺白山神社の見どころをちょっとだけご紹介!
平泉寺に一歩足を踏み入れると、1300年間の歴史や人々の営みまで肌で感じられるような気さえしてきます。
最盛期の8000人もの僧兵の姿が浮かんでくるような坊院跡の数々。
一向一揆による全山焼失を裏付ける、礎石のみが残る場所。
はるか昔から、この地がまほろば(素晴らしい場所)であったことを証明するかのような、7本の立派な杉の木…。
他にもさまざまな場所で、1300年の歴史の重みを感じることができます。
百聞は一見にしかず!とにかく平泉寺白山神社に行ってみましょう!
ここでは、平泉寺白山神社の見どころをちょっとだけご紹介します。
精進坂
まずは精進坂と呼ばれる石段を登っていきます。
この坂が精進坂と呼ばれている理由は、この坂より上には魚や肉を持ち込むことができなかったから。
このあたりが、修行をする場所の始まりということなんですね。
実際に歩いてみると、両脇はかつてのままで石段の数が少なく(幅が広い!)、真ん中は、歩きやすいように後から段を増やしていることがよくわかります。
拝殿
毎年元日にしか開帳されない拝殿です。
現在の拝殿は一向一揆での焼失後、安政6(1859)年に造営されたものですが、焼失した1574年以前は左右に四十五間(約83m)あったと言われており、これは日本最大級であったと考えられています。
左右を見てみると、かつて拝殿があった場所には礎石のようなものが残っており、その歴史を感じることができます。
この場所は福井県で唯一かおり風景百選に選ばれている場所で、少し離れた場所から苔と拝殿を眺めるのがおすすめ!
平泉寺内で最も苔感が素敵な場所だと思います。
中世の石畳
一向一揆によって多くの建物が焼失し、それらは時間とともに土の中に埋もれていってしまい、きちんと調査がされることも最近までありませんでした。
しかし、平成元年から発掘調査が始まり、現在は200ヘクタールが国の史跡に指定されて発掘が続いています。
200ヘクタール=東京ドームなら、なんと約42.7個分!
発掘開始から30年ほど経っていますが、発掘されているのはそのうちのまだ1%ほど。
平泉寺の最盛期が、想像できないほどの栄華を誇っていたことがよくわかりますよね。
そんな南谷発掘現場には、国内最大規模の中世の石畳があります。
当時はここを大勢の僧たちが歩いていたんです。
石組の側溝があるなど、当時の最先端の技術が使われていたと考えられています。
平泉寺白山神社には、ほかにも数えきれないほどの見どころやグルメスポットがあります!
その他の見どころ、スポット情報などは以下でご紹介しています。