渋谷系黎明期のオリジナル・ラヴ「月の裏で会いましょう」バナナチップス ラブ主題歌! 1991年 11月20日 オリジナル・ラヴのセカンドシングル「月の裏で会いましょう」がリリースされた日

深夜番組黄金期、深夜ドラマ「バナナチップス ラブ」スタート

1991年の秋、私が何をしていたかと言えば、初めての職場だった小さな編集プロダクションの経営が傾き、経営陣が内輪もめを起こして内乱が勃発、デザイナーが社員丸ごと会社を乗っとるという、ちょっと洒落にならない状況に遭遇していた。

ある金曜の夜、職場だった恵比寿のマンションの一室から退社し、次の月曜日にドアを開けたら何ともぬけのから。夜逃げのように事務所撤去が済んだ後だった。

がーん! 昨日の友は今日の敵。

世間知らずだった私は結構ショックを受けて人間不信に陥り、イギリスにでも遊びに行こうかな、としばらくブラブラしていた。

そんな頃に始まった深夜ドラマが『バナナチップス ラブ』(フジテレビ系)である。

バブルは終わっていたものの、余韻でそこそこ景気が続いており、まだまだ世間はお気楽ムード。フジテレビ深夜枠の番組も未来を夢見るような、斬新かつ実験的な内容が多かった。

テレビ欄にはホイチョイプロダクション企画による『カノッサの屈辱』(1990年~)や英国チャートメインの音楽番組『BEAT UK』(1990年~)、マニア系クイズ番組『カルトQ』(1991年~)など、サブカルチックでインテリ心をくすぐるような自由なプログラムが並び、後に “深夜番組黄金期” とも呼ばれた。

松雪泰子初主演、ドラマ初監督の高城剛が描くぶっ飛んだ世界

『バナナチップス ラブ』の放映期間は1991年10~12月。新進映像作家として注目を集めていた後のハイパー・メディア・クリエイター、高城剛が初のドラマ監督に挑戦! オールNYロケを敢行! という触れ込みで始まった。キャッチフレーズは “無目的なモラトリアムエイジに送るミックスドカルチャーのラブストーリー”。何だそれ。

だが、まさに無目的でモラトリアム、中途半端な位置にいた私は、NYに行けば何かが見つかると思って日本を出た主人公のリサ(松雪泰子)にほんの少しだけ感情移入した。

明確な目的もお金も頼りになる友人もなく降り立ったNY。やっと借りたアパートでは隣人らに振り回されてばかりでトラブルの連続。しかし、その隣人達がスノッブで気難しくて最高にクレイジーだった。毎週毎週不条理に次ぐ不条理シーン! そんな場面を彩るダブマスターXや藤原ヒロシの手によるサウンドは淡くセンチメンタル。エネルギッシュでヒップホップなNYに憧れたなあ。私もあんなぶっ飛んだ世界で暮らしてみたかった。

■ 道端で絶叫しながら重ね着したTシャツを脱いで売っている男(2枚買うとディスカウント)
■ 公園のベンチでぼやき漫談を続けるおっさん2人(アメリカンジョーク)
■ 文庫を読みながらブツブツと哲学的な独り言を言うアパートの住人トラオ(高城剛)
■ 腕のタトゥーが光る巨漢クレイマー、階下のイワン(フロム崩壊直前のソ連)
■ 上に住んでるドラッグクイーンの双子、ジョンとポール(高笑いが最高)
■ リサにつきまとうピザ屋のデリバリースタッフ、イキー(スパイク・リーの弟、サンキ・リー)
■ ブーツィー・コリンズ(本人役)

などなど、人種のるつぼ的雑多な人間模様が、時にクールに、時に自虐的に、カメラワークもスタイリッシュに描かれる。毎回短いエピソードをたたみかけるようにシャッフルしていく展開で、時代の空気を切り取り、ストーリーは割と添え物だった。

クラブで知り合ったユキという日本人女性に騙されるリサ。偶然再会した元彼タカシはユキと同棲しており、タカシとの復縁は実らずリサは帰国する。日本人俳優全員セリフ棒読みなところは笑っちゃうんだけど、物語に関係なく出現するニューヨーカー達が怪しすぎるし、クラブでのヴォーギングダンスはナウだったし、何より松雪泰子のお洒落っぷりと可愛いさったらなかった。

オープニングはオリジナル・ラヴ「月の裏で会いましょう」

オープニングテーマはオリジナル・ラヴ(当時は5人組)。深夜こっそり観ていた家のテレビから「月の裏で会いましょう」が流れてくると、ロマンティックなボーカルと知らない世界に連れて行かれる期待感で胸がワクワクした。もともとドラマありきの曲だったらしく、最初のテイクは「テレビなんだから派手にサビ始まりにして」と高城剛にダメ出しされたという逸話は有名だ。

オリラヴはこのセカンドシングルで、初めてメジャーシーンでチャート最高86位というスマッシュヒットを飛ばす。

 街の奇跡を あなたにあげたい
 星が光る 夜の向うから
 見知らぬ場所で あなたに会いたい
 青く光る 月の裏側で
 Let's get away

80年代後半からネオGSシーンを中心に活動してきたオリラヴについては、渋谷近辺でばら撒かれていたフライヤーぐらいの情報しか知らなかったけど、自分が “渋谷系” を初めて意識したアーティストは、フリッパーズ・ギターというよりはオリラヴだった。

英国でのアシッドジャズムーブメントの影響華やかなりし当時の日本音楽シーンで、ジャズやファンク、ソウルの元ネタを消化したそのグルービーかつアダルトなシティポップはあまりにお洒落で、日本語でこれだけこなれたカッコいいサウンドを繰り出すバンドがあるんだと驚愕したのを覚えている。それに田島貴男はすらっと首が長くて謎めいたいい男だった。彼が「あなた」と歌うねっとりとした声にうっとりした。ステージで「俺は渋谷系じゃないぞ!」と吠えたという話も好き。現在の男気も相当最高だしね。

『バナナチップス ラブ』が終わり、1992年の幕開けをNYではなくロンドンで迎えた私は、その後就活を始め、某外資系大型CDショップの面接を受けた。「今注目している日本人アーティストは誰ですか」の問いに「オリジナル・ラヴとフィッシュマンズ」と答えたことがなんだか忘れられない。まあ、入社できたから答えは正解だったのだろう。

そして新たな職場では、『バナナチップス ラブ』以上に猥雑で阿保で面白い、「ブルックリンかよ!」とツッコミたくなるような人間模様を堪能することになるのであった。場所は横浜。NYからは遠く、渋谷からもちょっぴり離れてはいたけれど。

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