名護の沖縄戦住民証言 「語りつぐ戦争」第4集 市史編さん委員会が刊行

 【名護】名護市市史編さん委員会(中村誠司委員長)は、「語りつぐ戦争 第4集 市民の戦時・戦後体験記録」をこのほど刊行した。市史編さん委は「名護市史本編・3 名護・やんばるの沖縄戦」(2016年刊行)を編さんするに当たり取り組んできた戦争体験者の聞き取り調査記録を残すため、証言集を刊行してきた。この4集は2006年から13年にかけて採録した58人(51話)の証言が主となっている。

 岸本敏孝名護市教育長は「戦争体験者の二度と戦争はやってはいけない、という思いを、戦争非体験者はどのように受け止め、自らの知恵と行動で実践していくのか、今まさに問われているように思う」述べた。

 体験記録は幸喜区、許田区、東江区、城区、港区など市内全域から聞き取っている。その中で「東江原の暮らし」を語った真栄田義昌さん(東江区)は「東江原から兵隊に行くときは名護城で拝んで唐船ドーイを歌って見送った覚えがある」「だいたい米軍の航空母艦は東海岸。だから東江原の上空を飛んで名護岳の東側から下がっていく。東側から飛行機が来たらアメリカ機って分かった」と話している。

 また「屋我地島の戦争」で証言した大城清利さん(大中区)は「ルーズベルト、チャーチルの巻きわらを作って、竹やりで刺しよった。刺し方が弱いと先生が『負けるな!』って、竹棒でたたきよった」「愛楽園は米軍から兵舎と間違われひどい攻撃を受けた」と証言している。

 辺野古区の島袋エイさんは「朝鮮人軍夫は全部で14、5人。防空壕を造るといって丸太を担ぎきれないでそのまま落としているんだよ。ご飯もくれないで。転んだら日本兵がたたくんだ。同じ人間だのに」と語った。

 「護郷隊の戦車攻撃」で証言した新里幸貞さん(真喜屋区)は、8台の水陸両用戦車を爆破するといって5キロ爆弾を配布され「命を取られてもこれを離してはいけない」と命令されたことなどを語っている。

 編集に関わった市史編さん係の川満彰さんは「民間人収容地区の様子が座談会形式でよく分かる。護郷隊、三中生の体験も載っている。中南部とは質が違う。沖縄戦の全体像が分かる」と説明している。

 (幸地光男通信員)

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