<金口木舌>変わる街

 先日、同僚に「パレットくもじができる前、あの敷地に何があったの」と問われた。大型商業複合施設が生まれて30年。かつての風景はおぼろげに覚えているが、具体的な施設や店舗名となると記憶は怪しい

▼県立図書館で1970年代、80年代の住宅地図を開いてみた。沖縄赤十字病院、血液センター、那覇保健所がこの場所にあった。老舗書店の文教図書、専売公社、郵便局、レストラン、旅行代理店も軒を並べていた

▼地図を見て、かつての街並みがよみがえった。この地に集まっていた人たちはどこに行っただろう。地図を眺めながら、都市再開発で消えた街を散策するような気分になった

▼歴史をさかのぼり、戦前の地図を広げた。この地は学校があったことが分かる。甲辰尋常小学校という。開校式は1905年。パレットくもじの敷地の一角に記念碑がある

▼開校前年に起きた日露戦争が校歌にも歌われている。「我が友達は甲辰の学び舎の名を忘れまじ/そも我が国と露国との海戦せしはこの時ぞ」。その約40年後、10.10空襲で校舎は焼け、学校の歴史は終わった

▼この学校で学んでいた子どもたちはどこに行っただろう。存命なら80歳を超えている。対馬丸に乗って犠牲となった児童は100人を超える。今、学校の名をとどめる甲辰橋の改修工事が進んでいる。街は変わる。だが忘れてはならない歴史もある。

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