上越市発足から50年 29日に節目 自治史上初 高田と直江津、2市が対等合併

 昭和46年4月29日の高田、直江津両市の対等合併により、上越市が発足してから50年の節目となる。国内自治史上初めての偉業が成し遂げられ、上越地域の中核都市としての拠点性が高まり、その後の発展につながった。市役所1階市民ホールでは28日から、「市制施行50年の歩み」と題した展示が始まった。

上越市役所1階市民ホールで始まった「市制施行50年の歩み」。さまざまな資料や写真が展示されている

◇市役所で資料展示

 合併時の人口は昭和45年の国勢調査で高田市7万5052人、直江津市4万5357人。合わせて約12万人の都市となり、県内では新潟、長岡に次ぐ3番目の規模となった。面積は252平方キロとなり、当時、県内では糸魚川、新発田、長岡に次ぐ広さ。

 教育、商業の町として発展してきた城下町・高田と、交通の要衝で臨海工業地帯を持つ港町・直江津という性質の異なる二つの都市が一つになり、相互に意識しながら、つながりや連携はより深まった。

 上越市公文書センター所蔵資料によると、合併に際しては、昭和29年11月、春日村の分村に関わり、高田市、直江津市、春日村の3者で「近い将来、高田市と直江津市を合併して上越中心都市を建設すること」を記した申し合い書を交換。高度経済成長に伴う生活圏の一体化、広域行政の必要性の高まり、両市が抱える課題の打開などさまざまな要因により、昭和46年4月、両市の合併が実現した。

 高田直江津青年会議所は昭和44年11月に合併協議会設置の請願書を両市に提出。翌45年に両市とも請願を採択した。同年9月に第1回合併協議会が開かれ、12月に協議を終了し、合併協定書が県知事に提出された。

 新庁舎の場所は合併後すぐに検討が始められた。高田と直江津の接点に当たり、当時、水田地帯だった春日地区(木田地内)に決まり、昭和51年3月に完成。複眼都市をつなぐ地区として急速に発展した。

◇半世紀の歩み資料や写真で

 市役所木田庁舎1階市民ホールでは、市制施行50周年の歩みを刻む資料や年表、写真を展示。合併後に初めて発行された『広報じょうえつ』第1号から第10号までの写しも並べている。当面の期間、土・日、祝日を除く平日に閲覧できる。

合併後の『広報じょうえつ』は第1号から順に設置

 熱心に見ていた上越市国府1の猪俣秀雄さん(67)は「直江津中学の時、社会の先生から合併についての意見を聞かされたことを覚えている。新潟県第3の都市として発展してほしい」と当時を振り返り、今後の飛躍を願った。

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