平戸藩主奉納の鎧、市文化財に 郷土史解明への重要史料

平戸市文化財に指定された「心月公鎧」(左)と「観中公鎧」(同市提供)

 平戸市教委は、平戸の郷土史を解明する上で重要な史料として、亀岡神社(岩の上町)が所蔵する「観中公鎧(かんちゅうこうよろい)」と「心月公(しんげつこう)鎧」の計2領を市文化財(美術工芸品)に指定した。3月23日付。
 亀岡神社は、江戸時代まで、平戸など県北の広範囲を治めた松浦家の歴代当主などをまつる。城下にあった松浦家にゆかりの深い4カ所の神社が1878年に合祀(ごうし)され、現在の亀岡神社になった。
 「観中公鎧」の観中公とは、松浦家第35代当主で平戸藩第10代藩主の熈(ひろむ)。38年ごろ、奉納のため制作したとみられる。かぶとの額部分に「乙宮大明神(合祀された4社の一つ)」と記されている。「心月公鎧」の心月公は第37代当主、平戸藩第12代藩主の詮(あきら)を指す。儀礼のために作られ、71年に「七郎神社(同)」に奉納された。
 いずれも亀岡神社の台帳に来歴を明記。「観中公鎧」は平戸城本丸3階、「心月公鎧」は同神社社務所でそれぞれ展示している。
 同市文化交流課の今村達也課長は「平戸を治めた松浦家に縁のある文物は地域の歴史解明のために重要。工芸品としての価値も認められる」と話した。

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