「生きていれば、どんなすてきな大人に」 舞鶴女子高生殺害事件、未解決のまま13年 遺族の苦悩深く

小杉美穂さんの遺体発見現場近くで美穂さんの母親が知人を通じて手向けた花(舞鶴市朝来中)

 2008年5月に舞鶴市で東舞鶴高浮島分校1年の小杉美穂さん=当時(15)=が殺害された事件で、美穂さんの母親が7日までに、京都新聞社の取材に初めて応じた。母親は「娘の存在は私の全て。いとおしいとか、かわいい子だったとか、つらいとか、悲しいとか、そんな言葉だけではとても言い尽くせない」と苦しい胸の内を語った。事件は7日、未解決のまま発生から13年となった。

 母親は娘を亡くして以来、知人の協力を得ながら、月命日の献花を欠かさずに続けてきた。13回目の命日を前にした5日も、舞鶴市朝来中の遺体発見現場近くに、美穂さんが大好きだったヒマワリや、淡いピンクのトルコキキョウの花束を手向けた。

 母親が美穂さんと暮らしていたのは、遺体発見現場の雑木林から約2.5キロ離れた住宅街。美穂さんはあの日の夜、何も告げずに一人でどこかに出掛け、そのまま帰らぬ人となった。

 「なぜ、娘がこんなひどい目に遭わなくてはいけないのか」

 恐怖や痛み、苦しみを思うと、胸が張り裂けそうになった。毎年、命日が近づくたびに気分が落ち込み、夜にぐっすりと眠れることはほとんどなくなった。

 ■「いまさら何かが動くとは…」

 14年、美穂さんを殺害した罪などに問われた男性の無罪判決が確定した。当初は再捜査による真相究明に期待をかけたが、ここ数年は京都府警から連絡を受けることもなくなった。犯人に法の裁きを受けさせるという望みは薄れ、「いまさら何かが動くとは思えない」とあきらめにも似た複雑な思いを抱く。

 美穂さんは、捨て猫を親代わりに育てるなど、小さな命を慈しむ心優しい性格だった。

 「事件に巻き込まれていなければ、どんなすてきな大人になっていただろう」

 そんな想像を巡らせたり、手元に安置する遺骨に語りかけたりすることで、喪失感を紛らわせて生きてきた。

 職場や近所には、自身が犯罪被害者遺族であることを伏せて暮らしている。事件を話題にされたり、同情の目で見られたりするのがしんどいと感じるからだ。同僚には「娘がいる」と伝えている。

 「うそつきかもしれないけれど、職場では美穂が生きているんです。美穂が生きている前提で話ができること、それが私にとって、一番の幸せなのかもしれません」

舞鶴女子高校生殺害事件  2008年5月8日、舞鶴市朝来中の雑木林で小杉美穂さんの遺体が見つかった。京都府警は09年4月、殺人と死体遺棄の疑いで遺体発見現場近くに住む男性を逮捕、京都地検が殺人などの罪で起訴した。京都地裁は11年5月、男性に無期懲役を言い渡したが、大阪高裁は12年12月、「被告を犯人とする証拠はない」として逆転無罪を言い渡し、最高裁で無罪判決が確定した。

© 株式会社京都新聞社