回春院と大覚池|建長寺の境内、お地蔵さんと猫がいる塔所

鎌倉五山第一位の建長寺にある、回春院。

建長寺の奥の方にあるので、拝観する人が少ない場所ですが可愛らしいお地蔵様と猫がいて、ここだけの御朱印を貰うこともできます。

ここでは回春院と大覚池の、見どころや歴史、御朱印、アクセス方法について紹介します。

ひとみんすごい見どころはないですが、実は歴史がちょっと凄い…。そんなところを深掘りして行きます。

回春院ってどんなところ?

回春院は臨済宗建長寺派寺院で、幽谷山と号します。第21世玉山徳璇(仏覚禅師)の塔所。

師は信濃高梨氏の一族で、若い頃から開山禅師を学び、妙心寺の開山となる関山慧玄が訪れていました。多くの禅に関する書物などを出版し、回春院は関東禅林出版事業の中心となりました。

本尊は文殊菩薩。安置されている、玉山徳璇坐像と木造の韋駄天像は、文化財に指定されています。

回春院のアクセス方法

建長寺の拝観受付から入り、ずっと奥の方に進んで来ると、こんな看板が出て来ます。それを矢印の方に進んで行きます。

細く人のいない小道を歩くので、こっちでいいのかな?と思いますが、大丈夫です。ここまま進みます。

分かれ道から5分くらい歩くと、回春院の入り口に到着です!

回春院の詳細

住所鎌倉市山ノ内67電話0467-22-6117拝観料無料(建長寺の拝観料は必要)拝観時間建長寺に準ずる## 回春院の様子と見どころ

回春院の入場は無料で、入るとすぐ目の前に大きな池「大覚池」が現れます。

大覚池には、大亀が住んでいるという伝説があり、別名「亀池」とも呼ばれています。

鎌倉七口のひとつ「亀ヶ谷坂」は、大覚池に住んでいる大亀が坂を上ったけど、急だったので引き返したことから「亀返り坂」と名前がつき、「亀ヶ谷坂」と呼ばれるようになったと『かまくら子ども風土記』に記されています。

奥が拝殿で、手前が御朱印の受付を行なっている場所です。拝殿の中に入ることはできず、外からお参りします。回春院に着いたら、まずはお参りしましょう。

池の周りには、いくつかのお地蔵様がいます。こちらは、地蔵尊。

こちらは、まん丸地蔵尊。ぷっくりしてて、赤ちゃんみたい。気持ちがまん丸になれば、みんな平和だよね的なお地蔵様です。このお地蔵様は、御朱印を貰えます。

わらべ=子供のお地蔵様です。京都のわらべ地蔵尊は、特に子供にご利益があるそうですが、こちらはご利益を聞きそびれてしまいました。こちらのお地蔵様も、御朱印が貰えます。

そして猫が日向ぼっこしていました。

室内にいるので触れないですが、ゴロゴロしてきてとても可愛かったです(^^)

回春院の御朱印

回春院では、文殊菩薩、韋駄天、復興地蔵尊、わらべ地蔵尊、まんまる地蔵尊、白蓮観音菩薩の6種類の御朱印がもらえます。

受付には人が常にいるわけではないので、建物の扉を開けて「すみませ〜ん」と叫んでみます。もし人がいなかったら、確か電話で呼び出す感じだったと思います。

御朱印は紙のものもありますが、御朱印帳を渡すと奥の方で書いてきてくれます。回春院のお守りや絵馬やおみくじなどは、ありませんでした。

私は心がまん丸くなれるように、まん丸地蔵尊の御朱印を頂きました。これを見るたびに、すぐ怒らず丸くなろうと思えるので頂いてよかったです。

回春院のちょっと気になる歴史

回春院は昔、地獄谷と呼ばれる処刑場だった

回春院のあたりは、かつて地獄谷とよばれ処刑場があったと伝わっています。

大昔、地獄谷で斉田左衛門という者が無実の罪で斬首されてしまう時に、髪の毛に納めていた地蔵像が身代わりとなり、刀を何度振り下ろしても斉田の首を斬れなかったという伝説が残されています。

斉田は生き延び、その地蔵像を心平寺の地蔵の頭中に納めたそうです。心平寺は建長寺が建立される前に、この場所にあったと言われるお寺。心平寺の後に、建長寺が建てられたそうです。

回春院がひっそりとしていて、なんとなく空気感が違うのは処刑場があったからなのでしょうか….。幽谷山と名前が付くのもわかります。

回春院は、公暁悲劇の道に続いている

回春院の裏山は天園ハイキングコースに通じていて、十王岩、朱垂木やぐら群、公暁悲劇の道に行くことができます。

公暁悲劇の道とは、1219年に鎌倉幕府2代将軍 源頼家の次男(三男)の公暁が、鶴岡八幡宮の大銀杏の影から、鎌倉幕府3代将軍で叔父の源実朝を暗殺。その後、公暁が殺されてしまった道です。

公暁は源実朝の首を取った後、後見人の備中阿闍梨の家に行き食事をしますが、その間も実朝の首を放さなかったそうです。

公暁は乳母を三浦義村邸に遣わし、源実朝の死と自分が将軍になるので施策するよう指示しますが、乳母が裏切り執権の北条義時と連絡をとります。そして義時が公暁を討つように命じます。

それを知らず公暁は山越えをして義村邸に向ってしまい、その途中、長尾定景に討ち取られてしまいました。公暁がどこに葬られたのかは不明で、墓も存在していません。悔しかったでしょうね。

公暁は鶴岡八幡宮方面から山に入ったはずですが、鶴岡八幡宮から回春院に続く道はもう無くなっています。

公暁悲劇の道は草を掻き分けたような細い小道で、当時どんな風に逃げたのか、どう殺されてしまったのか、想像してしまうような場所です。

ひとみん回春院はすごい見どころがあるわけではないですが、御朱印が貰えたり、可愛らしいお地蔵様や猫がいる静かなお寺です。

そして歴史的な背景を知ってから行くと、また感じ方も違ってきます。気になる人は、ぜひ行ってみてくださいね!

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