易姓革命が繰り返される本当の理由と中国の悲劇|石平 中国のお家芸「易姓革命」はいかにして生まれたのか。そしてなぜ永遠に終わることはないのか。中国の悲惨な「4000年の病」を徹底解明する。

百害があって一利なしの易姓革命

この原稿を書いている前日の2021年2月11日は、我ら日本国の誕生日、神武天皇が橿原で建国してから2681年も経ったのである。 「建国2681年」の国は、世界広しといえどもこの日本以外にない。たとえば日本の隣の大国・中国は今年建国72年。もちろん、それは中華人民共和国の話であって、中国大陸自体はかなりの長い歴史を持っている。ただし、中国大陸では「易姓革命」という名の王朝の交代が常にあるので、いまの「共産党新王朝」は、建国してからわずか72年の歴史しか持たない。

思えばかの大陸では、いまから3000年も前に殷王朝が革命によって潰されて以来、実に数多くの王朝の交代が起きてきた。大雑把に言えば、殷のあとは周、周のあとは秦、秦のあとは前漢と後漢、そして隋、唐、宋、元、明、清など多くの王朝が立て続けに大陸を支配し、そして崩壊して歴史のなかへ消えていった。中国史は結局、王朝交代の繰り返しである。

王朝交代はどう起きるのか。よくあるのは次のようなパターンである。

ある王朝の末期になると、政治が腐敗し王朝による搾取がますます酷くなり、民の不平不満が高まる。それに旱魃や疫病などの災難が加わってくると、人々の生活が破壊され不平不満が爆発、民衆の反乱が起きる。それに乗じて、天下取りを狙う豪族や軍閥勢力が民衆の力を結集して本格的な反乱を起こし、王朝軍と戦ってそれを打ち破り、前王朝を潰して自前の新王朝を建てるのである。

新王朝の下では内乱が治まり、しばらく天下太平の時代を迎える。しかし歳月が流れると、政治は腐敗し王朝の搾取が一段と厳しくなり、民の不平不満は高まり反乱が発生、軍閥勢力が立ち上がり、本格的な内戦が勃発という、まさに前王朝の末期と同じようなことが繰り返される。その行末は、現王朝の崩壊と新王朝の樹立である。

中国の歴史は、いつになっても王朝交代の繰り返しから抜け出すことができない。

しかしそれは、中国大陸で生きる民にとって実に大きな不幸である。王朝の支配下で、特に王朝の末期になると、民衆は常に搾取と圧政に喘ぎ大変な苦しみを味わうが、特に易姓革命が起きて天下大乱となると、阿鼻叫喚の戦乱のなかで家を焼かれたり命を奪われたりするのは、やはり民たちなのだ。たとえば大乱世の三国時代、100年にわたる戦乱のなかで、中国大陸の人口は大乱以前の5分の1にまで激減した。どれほどの民が一度の易姓革命で命を失ったか。

命だけでなく、それまでに蓄積してきた文化・文明も破壊し尽くされるのだから、易姓革命は中国人にとって百害があって一利ない。

天下国家を私物化する

問題は、中国は一体なぜこの悲惨な易姓革命を繰り返すのかである。

その謎解きのポイントの一つは、前々回の本欄が取り上げた中国伝統の「一族中心主義」にある。

中国人は昔から、一族の利益を最優先し公の利益を平気で損なう、と本欄で解説したが、易姓革命が起きる最大の理由は、まさにここにある。

中国の王朝は、すべてどこかの一族が作り、その一族のものとなる。たとえば漢王朝は劉という一族のもの、唐王朝は李氏一族のものという塩梅である。そして、劉氏一族や李氏一族にとって、王朝が自分たちのものである以上、天下国家そのものが自分たちの所有物であって、自分たち一族のために天下万民から搾取するのは当たり前のこととなる。王朝の支配が長く続き、皇族一族の人数が膨らんでいくにつれて民衆に対する搾取も激しくなっていく。それが民の不平不満の高まりを招き、易姓革命を誘発する。

さらに具合の悪いことに、王朝支配の一族が天下国家のことを「公」と思っていないのと同様、実は天下の万民も王朝と国家を「公」であるとは思っていない。王朝と国家はせいぜい「一族」の私有物であって民のためのものではない、と皆が分かっている。だから王朝の搾取に喘いで食べていけなくなる時、誰もが「一族」の私物である王朝に反旗を翻す権利がある。そして全国各地から「一族」にとって代わって天下国家を手に入れようとする豪族が出てくる。つまり、易姓革命の発生は必然なのである。

しかし、易姓革命を通して天下をとった新王朝の一族も、やはり前王朝の一族と同様に天下国家を私物化していくため、易姓革命は永遠に終わることはない。中国という国はいつになっても、革命とそれに伴う戦乱、破壊の歴史を繰り返していくのである。

いまの「共産党新王朝」が成立してから72年経ち、民に対する搾取と抑圧はますます酷くなっている。お家芸の易姓革命はいつかまた、かの国で起きるだろう。(初出:月刊『Hanada』2021年4月号)

石平

© 株式会社飛鳥新社