飛ぶ鳥を落とす勢い!中森明菜「赤い鳥逃げた」12インチンシングルでも初の1位! 1985年 5月1日 中森明菜のシングル「赤い鳥逃げた」がリリースされた日

__80’s Idols Remind Me Of… Vol.29
中森明菜 / 赤い鳥逃げた__

女性アイドルシーンにも押し寄せた12インチシングルの波

12インチシングルの歴史は1970年代後半から始まった。7インチよりプレイしやすい大きめのレコード(LPサイズ)に長尺 / リミックスバージョンを収録したシングルレコードが、ディスコDJ用に作成されたわけだ(商業用にリリースされた初の12インチシングルは1976年)。

80年代に入るとR&B、ヒップホップ畑を中心に12インチシングルは多量に作成される。そして、80年代中盤に差し掛かるころになると、ビルボードチャートの上位にのぼったヒット曲のリミックスバージョンを収録した12インチシングルが、DJ用のみならず一般リスナー用に販売され始め、それがちょっとしたブームになった。

隆盛を迎えた日本の女性アイドルシーンにもその波は押し寄せ、1984年以降たいていのビッグネームは12インチシングルをリリースしていく(コンスタントではなく単発的にだが)。

12インチシングルで初のオリコン1位、中森明菜「赤い鳥逃げた」

さて、それでは80年代に勃発した音楽現象のひとつであった12インチブームの中で、初のオリコンシングルランキング1位となった作品とはなにか…? それは飛ぶ鳥を落とす勢いの中森明菜による「赤い鳥逃げた」(1985年5月リリース)だった。

これで、ひと足先にリリースされた「ミ・アモーレ」(1985年3月リリース)に次いでのチャート制覇となり、「サザン・ウインド」から5作連続のオリコンシングルチャート1位を成し遂げている。その後も、1988年の「TATTOO」まで10作以上の連続1位を達成!

これは女性アイドルシンガーの12インチシングルとして2作目のオリコン1位となった松田聖子「DANCING SHOES」(1985年6月リリース)の約1カ月前のことだった。

ラテンテイストの強いリミックス、ヒットソングを新たな高次元作品に!

さて、「赤い鳥逃げた」は、「ミ・アモーレ」をさらにラテンテイストを強くしたリミックス盤だ。オリジナルの作・編曲者、松岡直也が編曲し、歌詞も変更された換骨奪胎バージョンとなっている。これは、冒頭で触れた12インチシングル本来の目的たるダンスフロア仕様に仕上げた… というよりは、ヒットソングを新たな高次元作品としてメディアに刻み、それがたまたま12インチシングルだったということになるか。

ほぼ中森の新曲として立派に成立するほどの熱量が、今聴いてもひしひしと伝わってくるのは「さすが!」としか言いようがないし、松岡直也の半端ない意気込みも鮮明に感じ取れる。また、80年代女性アイドルの12インチの初ヒットとなった小泉今日子「ヤマトナデシコ七変化(Long Version)」(1984年11月リリース、オリコン5位 / トレヴァー・ホーンばりのクラブリミックス!)への、レーベル側の対抗意識もひしひしと伝わってきたものだ。

ちなみに「赤い鳥逃げた」は「ミ・アモーレ」より先に出来上がっていたというのは結構有名な話。もともと康珍化の歌詞による「赤い鳥逃げた」がリリース候補になっていたが、より(ヒット)シングル向けに同じ康珍化の書き直し歌詞でシングル化されたのが「ミ・アモーレ」。このシングルの大ヒットを受けて、12インチブームにも乗る形で日の目を見たのが「赤い鳥逃げた」というわけだ。順番でいえば「ミ・アモーレ」が「赤い鳥逃げた」のリミックスバージョンということになるが… これはもう松岡直也の執念がもたらした運命のいたずらだよなあ。

「ミ・アモーレ」と「赤い鳥逃げた」、松岡直也によるファンカラティーナ / ラテン歌謡2連発は大成功した。この後中森は、中南米(ラテン)~中近東の雰囲気を醸し出す期へと突入、さらなる高みへとはばたいていく。

あなたのためのオススメ記事
聖子をしのぐ横綱相撲!中森明菜「ミ・アモーレ」大いに評価すべき松岡直也の慧眼

カタリベ: KARL南澤

80年代の音楽エンターテインメントにまつわるオリジナルコラムを毎日配信! 誰もが無料で参加できるウェブサイト ▶Re:minder はこちらです!

© Reminder LLC