終戦の日に撃墜されたゼロ戦か?千葉で発見の機体、調査続く 不明パイロットの遺族の思い胸に

茂原海軍航空基地のゼロ戦(茂原市教育委員会提供)

 太平洋戦争が終わった1945年8月15日の午前、千葉県の茂原海軍航空基地から複数の零式艦上戦闘機(ゼロ戦)が飛び立った。敵機の迎撃に向かったとされるが、5機が撃墜された。うち2機は、75年以上たった現在も墜落場所が分かっていない。今年1月、同県大多喜町でゼロ戦の機体の一部が新たに見つかった。付近では、人骨のようなものも発見され、DNA鑑定が進められている。あの日、出撃したゼロ戦なのか。乗っていたのは誰なのか―。地元では、遺族の思いに応えようと調査が続く。(共同通信=田中亮佑)

 ▽水田で見つかった機銃

 寒さが厳しい1月22日、水田や畑が広がる大多喜町泉水に約10人が集まり、重機を使っての捜索が始まった。何も収穫が得られず日没が迫る中、土の中から金属製の物体が顔を出した。ゼロ戦に搭載されていた20ミリ機銃(長さ約1・8メートル)だった。

 2015年、このゼロ戦の搭乗員だった可能性がある杉山光平(すぎやま・こうへい)さん=当時(20)=の遺族から依頼を受けた千葉県睦沢町立歴史民俗資料館の学芸員・久野一郎(ひさの・いちろう)さん(64)らが調査を始め、19年5月に調査団の同町文化財審議員・幸治昌秀(こうじ・まさひで)さん(77)が金属探知機を使った調査で、今回の発見場所付近からゼロ戦の機体の破片を見つけた。

 20年夏には、NHKの取材陣が墜落場所の番地を記した日記が存在するという情報をつかんだ。これらを基に場所を絞り込み、水田から機銃やエンジンなどを掘り出した。

発見されたゼロ戦の機銃を見つめる杉山栄作さん=2月、千葉県睦沢町立歴史民俗資料館

 ▽現場近くにあった墓

 調査団によると、杉山さんは10代半ばで海軍飛行予科練習生(予科練)となり、茨城県や大分県の航空隊を経て、茂原海軍航空基地に配属。45年8月15日午前、敵機を迎撃するために飛び立ち、撃墜されたとされる。

杉山光平さん(千葉県睦沢町立歴史民俗資料館提供)

 戦後、遺族に届いた調査結果には睦沢町下之郷で死亡したと記されてあったが、調査団の地元住民らへの聞き取りなどで同町内での墜落がなかったとみられることが判明した。

 8月15日に撃墜された252航空隊の戦闘機は5機で、既に3機は調査団が墜落場所を特定。今回の発見場所に墜落したのは、杉山さんか、同じ隊の増岡寅雄(ますおか・とらお)さんの可能性がある。久野さんは「墜落場所が特定できていない搭乗員の遺族の中では、戦争はまだ終わっていない。私たちにできることがあれば協力したい」と調査を続けてきた。

 杉山さんの父・喜三郎(きさぶろう)さんは、息子の最期を追い続け約50年前に85歳で亡くなった。大多喜町に墜落したのが杉山さんだと確定したわけではないが、遺族は「ゼロ戦が光平さんのであれ、戦友のであれ慰霊したい」と、今年2月23日に現地を訪問。つえを突きながら発見場所を訪れた杉山さんの弟・栄作(えいさく)さん(91)=静岡県掛川市=は、静かに手を合わせ「待ち遠しかったなあ」と優しく語り掛けた。

ゼロ戦の一部が発見された現場を訪れた杉山栄作さん=2月、千葉県大多喜町

 ゼロ戦の一部が発見されたと報道されると、調査団には発見場所近くにこのゼロ戦の搭乗員の墓があるとの情報が寄せられた。祖母が墓を建てたという男性(70)によると、墜落の1年後に建てられ、地元住民の手で大切に保管されてきた。

 墓を訪れた杉山さんのおい・和由(かずよし)さん(64)が「伯父と確定したわけではないが、心から礼を申し上げたい」と話すと、男性は「国のために命を亡くした人を供養するのは当たり前。肩の荷が下りた」と訪問を歓迎した。

 ▽1日ずれていれば

 3月6日に現場を訪れたのは、福岡市に住む藤田鉄平(ふじた・てっぺい)さん(69)。墜落場所が分かっていないもう一人のパイロット、増岡さんのおいだ。

 藤田さんはこれまで、増岡さんは特攻に出て海で死亡したと聞いており、増岡さんが乗った可能性のあるゼロ戦が見つかったと聞いて驚いたという。「1日出撃がずれていたら生きていたかもしれない。日本を守るために亡くなったと聞いて感銘を受けた」と話す。

千葉県睦沢町立歴史民俗資料館の学芸員・久野一郎さん

 調査団の久野さんは「(機銃などは)まるで時が止まったかのように良い状態で見つかった。遺族に現場を見てもらい万感胸に迫る思いだ」と語った。

 航空史に詳しいあいち朝日遺跡ミュージアムの水野剛(みずの・たけし)学芸員は「水気の多い土壌のおかげでさびづらい低酸素状態で保存され、非常にいい状態で見つかったのではないか」と分析する。

千葉県大多喜町で見つかったゼロ戦のエンジン

 掘り出されたゼロ戦の破片などは数百点以上あり、どこの部品かを特定する地道な作業が続く。「戦争の事実を冷静な観点から調査して後世に残したい」と久野さん。睦沢町立歴史民俗資料館では、6月に開催する予定のゼロ戦の企画展に向け準備が進められている。

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