孤独「死」にとらわれ 第6部 いま、コロナ禍で (3)一人暮らし

20年前に購入した亡き夫との思い出の花は今年、かつてないほど咲き誇った。「お父さんからのエールかもしれないね」=3月25日、県北

 両手の痛みをこらえ、28日分の睡眠薬をテーブルに並べる。

 「これを全部飲んだら、さよならできるかな」

 3月上旬だった。県北に住む遠藤房代(えんどうふさよ)さん(70代)=仮名=は、強風でめくれ上がった玄関先のシートを固定しているうちに、持病の影響で思うように体を動かせない自身に絶望感でいっぱいになった。

 痛みがひどく、個包装の薬を取り出すこともままならない。手こずっているうちに、お世話になっているかかりつけ医らの顔が浮かび、思いとどまった。

 何かにすがりたい、誰かに話を聞いてほしい。その一心で、携帯電話を握った。「『いのちの電話』の連絡先を教えてください」

 かけた先は、大切な家族や親しい人を亡くした人のグリーフ(悲嘆)ケアを支援する「分かち合いの会」だった。

    ◇    ◇

 「逝くときは一緒に」

 そう言い合うほど遠藤さんと固い絆で結ばれていた夫は、数年前に旅立った。

 夫亡き後、同会に参加し、同じ悲しみを経験した人と本音で語り合ってきた。趣味の歌声喫茶に参加しているときは寂しさを紛らわせることができた。

 でも、新型コロナウイルスで会が中止になり歌声喫茶が閉まると、友人と会うこともできなくなった。昨年5月には難病を告げられ「谷底に突き落とされた」。手術をしても痛みから解放されず、精神科でうつの診断を受けた。

 コロナ禍で外出の機会が減った分、夫を思い出すことが増えた。みとり方は良かったのか、自分の最期はどうなるのか-。考えるほどに思いは募る。「お父さん、早くお迎えに来て」。ベッドに横たわって天井を見上げ、梁(はり)にロープを架ける想像を繰り返した。

 死にとらわれていた遠藤さんは旧友に一人ずつ連絡し、「感謝と、半ばお別れの気持ちを心の中で伝えよう」と3月13日、分かち合いの会を訪れた。

 遠藤さんが参加する遺族会には15人が顔をそろえた。いつもと変わらない温かな空間に身を置き、人々の優しさに触れると、凍り付いていた心が解きほぐれていった。「会は、断とうと思っていた命をつないでくれた」

 那須塩原市内で年3回開かれる分かち合いの会も、苦難の連続だった。台風やコロナの影響で中止が続き、1年ぶりの開催になった昨年7月は全体で11人、11月は22人が県内外から集った。サポートスタッフとして多くの医療従事者が関わっていることもあり、感染防止と安心して語らえる時間の両立には難しさもある。

 「こんな状況だからこそ人と人のつながりが感じられる場はより必要」。遠藤さんから電話を受けた共同代表の仲山水生(なかやまみお)さんは、この1年間を振り返る。

    ◇    ◇

 命が芽吹く春は、遠藤さんの好きな季節だ。少し気持ちが落ち着くと、自分を気に掛けている人が周りにたくさんいることに気付いた。

 「生活は一人だけど、自分だけで生きているわけではないんだなぁって。終活を進めながら『その時』が自然に来るのを待とうと思えるようになってきました」。柔らかな日差しを浴びて輝く花々に目をやり、どこか吹っ切れたような笑みを浮かべた。

© 株式会社下野新聞社