「うちへ帰ってきたよ」
那須烏山市、蓼沼京子(たてぬまきょうこ)さん(84)は、ベッドに横たわる夫の克昌(かつまさ)さんに呼び掛ける。意識はない。でも、伝わっている気がした。
1月6日、克昌さんは約1カ月ぶりに入院先から自宅へ戻った。離れて暮らす長女の山下昌美(やましたまさみ)さん(57)ら娘3人も一緒だった。
認知症で昨年11月末から入院したが、12月末に体調が急変。意識不明となり、医師は「退院は難しい」と告げた。それでも、家族は「うちに帰りたい」という本人の願いをかなえた。
夜。みんなで克昌さんのベッドを囲み、昔話をした。初めて夫婦で見た映画のこと、子どもたちの名付けのこと-。話し好きで、いつも家族を笑わせてくれた夫であり、父だった。思い出話は日付が変わる頃まで続き、そのまま布団を敷いて眠った。入院していれば得られなかった家族の時間が、そこにはあった。
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「命にかかわる」という医師の指摘もあり、家族は克昌さんの退院を諦めていた。延命治療は望まないが、医療職のいない自宅療養は不安が大きかった。
新型コロナウイルスにより、多くの医療機関や介護施設では面会制限を余儀なくされている。家族と会えないまま亡くなってしまうケースもある。克昌さんも、入院当初は電話で話すのみ。急変後は5分だけ面会できたが、京子さんは「顔を見ていると5分たっちゃう」と嘆く。
退院のきっかけは、市内の看護小規模多機能型居宅介護(看多機)「あいさん家(ち)」の存在だった。看多機は医師と連携し、がん患者ら医療依存度が高い人の在宅療養などを支援する。
あいさん家ではコロナ下でも宿泊者の面会を制限していない。一部の部屋の出入り口を分け、感染対策を徹底して面会できるようにした。代表の横山孝子(よこやまたかこ)さん(56)には信念があった。「その人の最期の時間はその時にしかない。本人や家族の思いを大事にしたい」
看護師の昌美さんはあいさん家を知っていた。「家に帰したい」と利用を打診。克昌さんは1月4日に退院し、移ることになった。
あいさん家の一室に、一家全員が集まった。普段通りおしゃべりして、入浴もできた。夜は家族が1人ずつ交代で泊まった。在宅医や訪問看護師の支援が受けられることも分かった。「このまま自宅に帰るのはどうだろう」。昌美さんの思いに、みんなが同意した。退院後3日目の朝だった。
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帰宅した翌日。京子さんが克昌さんの手に触れると、利き手の左手でぎゅっと握り返してきた。介護中も経験してきた、痛いほどの握力の記憶がよみがえる。みんなで「ありがとうね」と声を掛けた。
ふーっと大きく息をして呼吸が止まった。1月7日の昼下がり。83歳だった。
退院後、家族で過ごせたのはわずか4日間だった。でも、もし自由に会えないまま病院で亡くなっていたら、どうだっただろうか-。昌美さんは「きっと父に『ごめんね』って泣いて謝っていた」と想像する。
コロナ下でも「いつも通り」に過ごせた日々は、家族にとってかけがえのない財産になった。