普賢岳の記憶 次世代へ 雲仙岳災害記念館で企画展

「災害を経験した人に当時を思い出してもらいたい」と語る満行さん=島原市、雲仙岳災害記念館

 長崎県島原市小山町の元高校教諭で、雲仙岳災害記念館(同市平成町)の語り部ボランティアを務める満行豊人さん(83)が、43人が犠牲となった雲仙・普賢岳大火砕流(1991年6月3日)発生前後の様子を描いた絵の展示会が、15日から同記念館で始まる。
 大火砕流の約7カ月前の90年11月、普賢岳が198年ぶりに噴火活動を開始。満行さんは当時、県立有馬商業高(南島原市)の地理教諭だった。「教材として使える」と考え、噴火の様子などを写真に収め始めた。山頂付近にも足を運ぶなど普賢岳や溶岩ドームの様子を撮影し続け、点数は2万5、6千枚に上るという。
 満行さんは大火砕流で教え子6人を亡くした。「写真では伝わらない当時を知る者の思いを伝えたい」と写真を基に描きためた約20点を会場に展示。水無川流域が土石流や火砕流で埋め尽くされていく過程を5枚の絵にしたり、緑豊かだった上流の赤松谷付近が火山灰と火山堆積物で覆われていく半年間の様子を3枚の絵で表現した作品などが並ぶ。各作品には説明文を添える。
 満行さんは「災害を経験した人に当時を思い出してもらい、知らない世代には惨事を知ってほしい。知らないことは怖いこと。災害の広がりを表現することで次の世代に残していきたい」と語る。
 6月3日の「いのりの日」に向け、記憶の風化が進む噴火災害の記録の掘り起こしと継承を目的とした企画展「あの時を振り返る」の一環。報道陣の撮影拠点「定点」周辺(島原市北上木場町)の整備中に見つかった望遠レンズなど遺品の展示もある。同27日まで。無料。

© 株式会社長崎新聞社