パラアーチェリー女子リカーブ・重定知佳 憧れの人の言葉で引退撤回!五輪代表を目指す

車いすテニスからパラアーチェリーに転身した(林テレンプ提供)

【Restart パラヒーローズ その壁を乗り越えろ(31)】新型コロナウイルス禍の中でも、パラアーチェリー女子リカーブの重定知佳(38=林テレンプ)の目に迷いはない。東京大会の開幕まで16日でちょうど100日。すべてを競技にささげる“未来の金メダリスト”が祭典への思いを口にした。

「普通にいじめとかありましたよ」。中学2年時に、両足がまひする進行性の難病「HTLV―1関連脊髄症」を発症。当然他人にうつることはないが「急に無視されるようになった」と振り返る。さらに、高校3年時には自転車も乗れないほどまで症状が悪化。周囲の視線を気にして、外に出る回数も減った。

そんな時に出会ったのが車いすテニスだった。会社の同僚に「引っ張り出された」と半ば強引な形だったが「車いすテニスとの出会いは大きかった。障がいのハードルが下がったというのは少し違うかもしれないが、それが今の私をつくってくれた」。ただ、一時は国内ランキング上位に君臨しながらも若手陣の台頭があり、2013年に現役を引退した。

15年からは「趣味みたいな感じ。1年間しかするつもりはなかった」と軽い気持ちでアーチェリーをスタート。しかし、神様が重定にいたずらを仕掛けた。引退試合と決めていた16年全国障がい者スポーツ大会で「私の中ではスター選手だった」という男子リカーブの上山友裕(33=三菱電機)に遭遇したのだ。「テレビの中でしか見たことがないような芸能人くらいの感覚だったので、なんかアクションを起こそうと思って、自分から声をかけた」。憧れの存在から指導を仰ぐと、翌日の試合では大会新記録で優勝。上山が「代表目指しませんか」と声を掛けるほどのパフォーマンスを見せつけた。

上山の言葉で火がついた重定は「東京大会を目指そう」と一念発起。地元で約16年間勤務した会社を辞め、所属先を探しながらアーチェリーに打ち込んだ。そして、19年6月の世界選手権で東京大会代表に内定。見事夢切符を勝ち取った。

とはいえ、ここで立ち止まるつもりはない。「金メダルを取りにいくという目標はずっと変わらない。やるんだったら最後まで金メダルを取りにいくべきだと思っているので、そのつもりで練習している」。表彰台のテッペンへ、自らの足で道を切り開いていく。

☆しげさだ・ちか 1982年11月22日生まれ。福岡県出身。中学2年の時に、両足がまひする進行性の難病「HTLV―1関連脊髄症」を発症。会社の同僚の誘いもあり、20歳から車いすテニスを始めたが、2013年に引退した。15年から始めたアーチェリーではメキメキと力を伸ばし、19年6月の世界選手権で東京大会代表に内定。同10月のアジア・パラ選手権女子リカーブでは、日本記録を更新して優勝を果たす。好きな芸能人は三代目JSBの今市隆二。

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