新幹線0系ライバルの“亡霊”?

全米鉄道旅客公社(アムトラック)の北東回廊で遭遇した旧「メトロライナー」の客車(最後尾)=3月27日、メリーランド州ボルティモアで筆者撮影

 【汐留鉄道俱楽部】東海道新幹線の初代型車両0系をライバル視して開発された米国の高速列車の草分けが、既に消えたはずなのに目の前を通過していく。幼少期に鉄道の図鑑でよく写真を見ていた「憧れの列車」の登場に、私は心を躍らせた。しかし、もしも“亡霊”のように走り続けているのであれば、背筋が凍るホラー物語のような展開だ…。

 全米鉄道旅客公社(アムトラック)の北東部を走る主要路線「北東回廊」の沿線にあるメリーランド州ボルティモアで今年3月、電気機関車がけん引するステンレス製のかまぼこ形客車がやってきた。北東回廊を多く走っている客車のデザインだ。ところが編成の最後尾は紺色に塗られ、白抜きの文字で「METROLINER(メトロライナー)」と首都ワシントンと主要都市ニューヨークを結んでいた高速列車名が記されているのだ。

 メトロライナーは北東回廊を走っていたが、2006年に運行を終えた。にもかかわらず、先頭部がのっぺりとした「食パン顔」が特徴的な車両が、15年が経過した今も走っているのはなぜなのか?

 メトロライナーは鉄道会社の旧ペン・セントラル・トランスポテーションの看板列車として1969年に登場し、71年に発足したアムトラックに引き継がれた。64年開業の東海道新幹線に触発された当時のジョンソン米政権は65年に高速陸上交通法を制定し、0系と張り合える高速列車の開発を目指した。最高時速150マイル(約241キロ)と当時の東海道新幹線の210キロを上回り、東京と名古屋の営業キロとほぼ同じワシントン―ニューヨーク(約364キロ)を1時間半で結ぶ目標を掲げた。

 車両を製造したのは、耐久性が優れたステンレス製車両を世に送り出してきた米国の鉄道車両メーカー、バッドだ。同社は東急車両製造(現総合車両製作所、横浜市)にステンレス製車両の技術を供与し、62年に登場した日本初のオールステンレス製車両、東京急行電鉄(現東急電鉄)7000系の誕生につながった。

米東部ペンシルベニア州にある鉄道博物館で保存されている「メトロライナー」の車両=2015年6月、筆者撮影

 機関車が客車をけん引する動力集中方式が中心の米国にあって、メトロライナーは複数のモーター車を分散配置した動力分散方式の電車として設計された。当初は最高時速を120マイル(約193キロ)に設定したが、モーターの故障といったトラブルが頻発し、その後は最高時速を100マイル(約161キロ)まで引き下げた。

 北東回廊は貨物列車や通勤電車と線路を共有しているためダイヤに余裕がないのも災いし、ワシントン―ニューヨークの所要時間は最短でも2時間半、長い場合は4時間に達した。車両のトラブルが収まらなかったためアムトラックは動力分散方式に見切りを付け、82年以降は電気機関車が引っ張る動力集中方式に変更。メトロライナーの車両は客車として引き続き使われた。

 2000年になるとニューヨーク経由でワシントン―ボストン間を最高時速150マイル(約241キロ)でつなぐ高速列車「アセラ・エクスプレス」(「汐留鉄道倶楽部」の拙稿「米国版新幹線?」参照、https://www.47news.jp/47reporters/tetsudou/5237.html)が営業運転を開始。世代交代後はメトロライナーの影が薄くなり、終止符を打った。

 ところが、「メトロライナー」と書いた列車は今も走り続けているのだ。私が「消えたはずのメトロライナーが走っていた!」と言っても、「妄想鉄の極みだな」などとからかわれていたに違いない。だが、運良く写真を撮っていたのだ。

 そこで、所属している会員制交流サイト(SNS)のアムトラック愛好家のグループで質問したところ、「この客車は団体列車に運用されており、当日はプロアイスホッケーチーム、ニューヨーク・レンジャーズの選手らが移動する団体列車として走ったようだ」という情報がもたらされた。

 調べるとレンジャーズは3月27日午後1時からフィラデルフィアで対戦後、翌28日正午からワシントンでの試合が控えていた。私は27日午後6時ごろに途中のボルティモアでこの列車を目撃しており、27日の試合後に選手らを乗せてフィラデルフィアからワシントンへ向かったのならばつじつまが合う。

 他にもメトロライナーに使われていた客車の一部は「ローカル線の普通列車に使われ続けている」(米国人の友人)という。

 新幹線0系も2008年に引退するまで約44年のロングラン選手だったが、メトロライナーは登場から52年を経た今も現役だ。高速列車という短距離走では苦杯をなめたものの、マラソン走者に転向したようなメトロライナー。車体の色のようにいぶし銀の活躍を続けている姿は、今も「憧れの列車」にふさわしい輝きを放っている。

 

 大塚 圭一郎(おおつか・けいいちろう)共同通信ワシントン支局次長。メトロライナーの客車は4月30日にフィラデルフィアで開かれたアムトラックの50周年記念式典でも展示され、上院議員時代に36年間通勤で北東回廊を利用したジョー・バイデン大統領がその傍らで「アムトラックは私の家族になった!」と演説しました。

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