怒りの方向性

 新型コロナの「まん延防止等重点措置」の本県への適用が見送られたことについて、土曜付のこの欄で「もっと怒っていい」と書いたが、同じ日の社会面、中村法道知事は「基準を明確に」と政府に注文を付けていた。“怒りの方向性”が少し気になる▲いったいどのような状況になったら重点措置の対象になるのか-は確かに大切な疑問だ。県が新たな措置を要請しているのに、政府が「それには及ばない」と答えてきた状況は、ああ、まだ意外に大丈夫なのか…という誤ったメッセージを市民に与えかねない▲ただ「基準を示せ」と迫って「これが基準です」と何かの線が示されたら、ああ、そうですか-と一度は引き下がるしかない。それでは自治体側が対策の主導権を握ることはできない。現場を抱え、地域を熟知しているのに▲「明確な基準」という言葉が「マニュアル」を連想させることにも抵抗を感じる。筆者は「お役所のマニュアル」を実はあまり信用していない▲事前の決めごとが現場の思考停止や対応の硬直化を招いてしまうことは、役所に限らずしばしば起きる。マニュアル通りにやりました…は責任を回避する言い訳の常套句(じょうとうく)▲シンプル・イズ・ベスト。「なぜ政府は地元の意向や危機感を尊重できないのか」-次からはこう怒ってほしい。(智)

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