「被爆者の店」 閉店続く 長崎被災協 コロナ禍で財政難

新型コロナウイルス感染拡大の影響で昨年9月から“閉店”状態の「被爆者の店」。収入の柱を失い、長崎被災協は財政難に陥っている=長崎市岡町

 平和公園に隣接する売店「被爆者の店」(長崎市岡町)が昨年9月から半年以上“閉店”状態になっている。長崎原爆被災者協議会(長崎被災協)がテナント契約していた事業者が、新型コロナウイルス感染拡大による減収で撤退。新規入居のめどは立っていない。長崎被災協は収入のほとんどを失い、財政難に陥っている。田中重光会長(80)は「活動が立ちゆかなくなる」と嘆く。平和活動にコロナ禍が暗い影を落としている。
 長崎被災協は1956年に発足。「被爆者の店」は、同年に長崎市であった原水爆禁止世界大会で集まった寄付を元に、翌57年開業した。原爆で負傷した被爆者の社会復帰の場であり、支援者も集う平和運動の拠点になった。被爆者手作りの人形や、べっ甲など観光名産品も取りそろえ、長崎被災協の活動を資金面で支えてきた。
 田中会長によると、多いときには年1億円超を売り上げたが、移転先の立地が悪く赤字経営が続いた。市が96年、現在地に2階建て(地下1階)鉄筋コンクリートを建て、店は1階に入居した。長崎被災協は99年、店を直営から賃貸に切り替え、土産販売などを営む事業者がテナントとして運営を引き継いだ。
 利用者のほとんどを占めていた外国人観光客が昨年2月ごろから、感染拡大に伴い激減。打撃を受けた事業者は9月に撤退した。その後、長崎被災協の応募に市内の社会福祉法人が手を挙げたが、改修に約1千万円かかるとして断念した。
 月50万円の賃料は長崎被災協の運営費の6割を占めていた。さらに修学旅行生への被爆者講話もできなくなり、例年約1千万円あった収入は8割減となった。残り2割も光熱水費や人件費などの固定費で消える。会員の年会費だけでは賄えず、現在は繰越金も充てている。「収入がほぼ途絶え、今後の見通しが立たない」(田中会長)
 5月の講話は0件。被爆体験の継承も厳しい状況が続く。核兵器禁止条約が1月に発効し「『今からだ』という時に…」と田中会長は肩を落とす。それでも「運動を次世代に引き継がなければならない」としてクラウドファンディングで資金支援を募ることも検討している。

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