「古畑任三郎」あわや1クールで終わっていた! 田村正和さんが三谷幸喜に激怒

「古畑任三郎」の会見に出席する若かりし三谷(左)と田村さん(1994年3月)

テレビドラマ「古畑任三郎」シリーズで知られる俳優の田村正和さんが4月3日午後4時20分、心不全のため都内の病院で死去したことが18日分かった。77歳だった。葬儀・告別式は親族で行った。喪主は妻の和枝さん。父に阪東妻三郎さん、長兄に田村高廣さん、弟に田村亮という〝俳優一家〟に生まれた田村さんは、役者として厳しい一面を持ち合わせていたことで知られる。そこにはどこまでも〝俳優・田村正和〟を全うする強烈な自覚があったのだが、1クールで「二度とやらない!」とタンカを切ったドラマがあるという。それこそが「古畑任三郎」だった――。

1961年に映画「永遠の人」で本格デビューした田村さんは、テレビ時代劇「眠狂四郎」で正統派な二枚目として人気に火が付いた。意外なことに、もともと俳優を目指していたわけではないという。

「兄の高廣さん主演の『旗本愚連隊』の撮影現場にたまたま見学に行ったところ、監督が田村さんを一目見て『出てみない?』と言われたのがきっかけ。監督は何か感じるものがあったのでしょう。実際に出演してみた田村さんは演技の面白さに気付き、父や兄と同じ道を目指すことにしたそうです」(映画関係者)

だが、作品を重ねるうちに、感じたのが自身の実力のなさだった。周囲の役者との演技力の差に気おくれするばかり。〝俳優一家〟という色眼鏡で見られるから、なおさらだ。

「とにかく自分には経験が全然足りないと思い、テレビで鍛え直すことにしたんだそうです。田村さんはストイックな性格で知られますが、この時の挫折体験が非常に大きいですね」(同)

転機となったのが「うちの子にかぎって…」(1984年)、「パパはニュースキャスター」(87年)などの一連のTBS系ドラマ。これまでのイメージにはないコミカルな演技が、田村さんの新たな魅力を引き出した。脚本家の伴一彦氏が明かす。

「田村さんと遊んでやろうとプロデューサーと企画を練ったのです。『うちの子――』の出演者とは今も交流を持っているんですが、最近もいつか田村さんを交えて会いたいと話していたところでした。本当に残念です」

どんな役だろうと、演出家以上に作品を理解して現場に臨んだ。自分にも相手にも時間厳守は絶対。プライベートを見せず、役者として完璧主義者だった。

そんな日々が続き、ついに94年、社会現象となった「古畑任三郎」シリーズに至る。だが、これにはあまり知られていない秘話がある。

「実は『古畑』は1クールで終わる予定だったんですよ。同シリーズは、三谷幸喜さんが脚本を手掛けていますが、セリフが異常に長いじゃないですか。しかも独特の言い回しなので覚えるのに時間がかかる。なのに、三谷さんの台本が出来上がるのが遅い(笑い)。演技に完璧を求める田村さんにとってこれは〝役者哲学〟に反すること。『もう二度と出ない!』とオカンムリだったそうです」(テレビ関係者)

後に田村さんも古畑が面白くなっていったようだが、そこで本当に終わっていたら、今日の〝田村正和像〟はまた違ったものになっていったかもしれない。

© 株式会社東京スポーツ新聞社