日の丸ワクチンを作る最後のチャンス|木村盛世 「ワクチン接種もワクチン開発も国防」との意識が日本はあまりにも低すぎる!なぜ日の丸ワクチンができないのか?ワクチンを巡る国民の疑問に元厚労省医系技官の木村盛世氏が答える。

ワクチンへのかつてない期待

新型コロナウイルスのワクチンが、2月12日、日本に輸入された。当初、10年はかかるといわれていたが、各国の鎬を削ったワクチン開発の結果、予防効果が認められるワクチンが実用化された、というのは画期的な出来事である。

感染症は紀元前から存在し、人間社会を苦しめてきたが、公衆衛生の向上、薬剤の開発とともに制圧できるようになってきた。しかし、HIV/AIDS、エボラ出血熱、SARS(重症急性呼吸器症候群)、 MERS(中東呼吸器症候群)、新型インフルエンザウイルス、新型コロナウイルスといった新たな感染症の出現に加え、ひとたび根絶した感染症が生物兵器として使用される危険性があることなどから、感染症は新たな脅威として人類の前に再び立ちはだかっている。

そのなかで、ワクチンに対する期待はかつてないほど大きな位置を占めてきている。いままで人類が遭遇したことのない感染症は、ほとんどの人が免疫をもっていないため、容易に広がりやすい。もし致死性の高い感染症であれば、感染を食い止めるために、効果的な治療薬やワクチンができるまで強硬なロックダウンを続けなければならない。

たとえ致死性がそれほど高くない感染症であったとしても、感染者数が増えれば、比例して重症者数も増えてくる。そうなれば、医療キャパシティを超える可能性が高くなり、感染者数を抑えるために、社会経済活動をとめる必要が生じてくる。後者の例として、今回の新型コロナウイルスがある。

感染症を根絶するワクチン

だが、感染者数を一時的に減らすことができたとしても、社会経済を長期的に止めることは難しい。そのためには、感染症にかからないですむ別の方法を考えなければならない。その第一候補がワクチンである。

効果的なワクチンなら、当該感染症を根絶することが可能になる。それを示したのが天然痘ワクチンである。天然痘は日本でも、「もがさ」とよばれ恐れられた致死率30%という極めて強力な天然痘ウイルスによって起こる。世界でおよそ5600万人の命を奪ったといわれているが、効果的なワクチンの開発によって1977年、ソマリアの患者を最後に、地球上から感染者はいなくなった。

根絶された天然痘であるが、ウイルス自体は旧ソ連とアメリカの二カ所の研究機関に保存され、そのウイルスが外部に流出したことが明らかになった。旧ソ連にあるバイオプレパラートという感染症を扱う研究所で生物兵器の開発と実験が行われていたことが、アメリカに亡命した研究者の暴露本で示唆されたのだ。

また、日本でもオウム真理教が生物テロを実行したことは、生物テロの脅威が実在することを示し、世界を震撼させた。このことを受けて欧米諸国は、米国CDC(疾病予防管理センター)などの生物兵器対策の専門部門を設立。ヘルスセキュリティという言葉が生まれたのも、「健康問題はもはや安全ではない」ことを的確に表している。

アメリカ大統領「ワクチンを備蓄しろ」

2001年には、アメリカ空軍による天然痘生物テロのシミュレーション(コードネーム:ダークウィンター)が行われた。指揮したのは、WHO天然痘根絶チームを率いたD・A・ヘンダーソン博士。彼は、その時のことを私に「大統領はダークウィンターを見て驚いた。アメリカがバイオに対して無力であることを知ったので、私にとにかくワクチンを備蓄するように命じた」と話した。

その後、ジョージ・W・ブッシュ大統領(当時)は、全国民の天然痘ワクチンを用意し、接種を開始したが、天然痘ワクチンは有効性は高いが副反応(有害事象)が多かったため、全国民への接種は途中で頓挫した。有害事象に関してヘンダーソン博士に尋ねたところ、その回答は明確だった。

「有事の際、そんなことは無視しろ」

この言葉は冷酷なようだが、危機管理として当然の発言だと思う。すなわち、国が感染症の脅威に直面した場合、一部の健康被害が発生したとしても、ワクチンが集団を救うのであれば、それを優先するということになる。これが危機管理としてのワクチンの役目である。

このように感染症を取り巻く状況は、オウム真理教の生物テロ事件以来、大きく様変わりしてきた。 加えて、先述したように、新型インフルエンザ、SARS、MERS、エボラ出血熱など新たな感染症が現れており、新規の病原体に対する効果的なワクチン開発は、国の危機管理の一つとなってきた。

ワクチンの効果判定はどのようにして行われるのか?

ワクチンの効果判定は、ランダム化比較試験(RCT)という疫学手法を用いて行われる。これは、ワクチンを打つグループと打たないグループに分けて、二つの群での感染割合の違いによって有効性を評価する。ワクチンを打ったグループの感染確率が打たないグループと統計学的に比較して少なければ、そのワクチンの有効性があるとして評価される。

実用化されているワクチンの有効性はこのようにして評価されており、ワクチンを打った人は一定程度、新型コロナウイルスの感染から免れることが期待されている(厳密にいえば、一定期間、新型コロナの症状を呈さない)。

効果判定について順を追って説明すると、まず実験室で開発され、動物実験での予防効果が認められたワクチンは、ヒトでの効果判定が行われる。その第一段階がフェーズ1である。

フェーズ1では、少人数(通常200~300人程度)で安全性や有効性を確認する。

次のフェーズ2では、さらに年齢や性別で投与量を変えて試験を行う。フェーズ2で薬効性と安全性が確認されたワクチンは、実際の使用条件を考慮した大規模な臨床試験であるフェーズ3に移る。 いま使用されている新型コロナウイルスに対するワクチンは、いずれも海外で開発されたものであり、実用化においてはフェーズ3を経ている。

フェーズ3は、治験のなかでもっとも重要なプロセスである。というのも、実際にワクチンを使用したのと似た環境において、ワクチンの有効性が試されるからである。大規模な人数によるフェーズ3は、市場にワクチンが出回った際の有効性を見極めることになる。

大規模治験の経験がない日本

フェーズ3においては、治験にどれだけの人数を集められるかが勝負となる。数が少ないと、ワクチンによる感染予防効果が、単なる偶然によるものか、それともワクチンの真の力なのかを判定する統計学的な検定で結果が出ない可能性が高くなるからである。

海外製薬会社のフェーズ3参加人数をみると、米ファイザー社が約43000人、米モデルナ社が約30000人、英アストラゼネカ社が23000人といずれも万単位の規模である。

一方、日本ではこれまでこれだけの大人数を集めた治験を行った経験が全くない。現在の日本の政府、製薬会社、大学では、これだけの人数を集めてフェーズ3を行う能力は持ち合わせていないのではないだろうか。フェーズ3が行えないということは、いつまで経っても国産ワクチンを開発できないということを意味する。これは極めて由々しき事態である。

ワクチン開発、いま日本がすべきこと

現在、新型コロナウイルスワクチンの世界的な不足状況が指摘されており、イタリアではファイザーとアストロゼネカの新型コロナウイルスワクチンの供給が十分に行われないとして法的措置をとるなど、ワクチン獲得は、いわば世界的な安全保障問題となっている。

そこで、いまからでも日本にできることを具体的に提案したい。それは、できる限りの検証を行うことである。65歳未満の人にワクチン接種が始まるのは、おそらく何カ月か後になると考えられる。春から夏にかけて、数万人規模の希望者を募り、在宅で毎週PCR検査あるいは抗原検査を行ってもらい、結果をフィードバックできるようにする。

さらにそのなかから抽選で半数の人を選び、ワクチンを先行接種してもらう。こうすることにより、ワクチンを接種した群と接種しない群での感染予防割合を比較したり、副反応(特に重篤な健康被害)の起こる割合の違いなど、いろいろなことが検証できる。もちろん、思うようにうまくいかなかったり、感染率が低いために統計的な差が出ない可能性もあるが、やってみないとわからないことも多くある。

簡単ではないと思うが、PCR検査などを行う民間企業は増えてきており、ワクチンを接種する施設も増えてくると予想されるため、やれないことはないのではないか。

日の丸ワクチンのネックとなっているもの

新型コロナウイルスの流行が落ち着いたとしても、今後新しい感染症は必ずやってくる。この時に、自国での効果的なワクチン開発ができないということは、日本を守れないということになりかねない。

自国でのワクチン開発力は必須である。しかし開発力だけでなく、日本において国産ワクチンのネックになっているのは、数万人単位の治験(臨床試験)を行える能力の欠如である。この能力に関して、日本は他の先進国と比較しても、また途上国と比較しても劣っている。

それはパブリックヘルスの概念が欠如していることと無関係ではないだろう。パブリックヘルスとは、医療だけでなく免疫学、獣医学などの基礎医学や、社会経済的分野を含めて医療保健を扱う概念である。

今回の新型コロナウイルスでいえば、どんな人が重症化しやすいかを見つけて、危険な集団に予防や治療などを重点的に行うことが、パブリックヘルスの担うところとなる。その結果、医療だけでなく、社会的・経済的なダメージを最小限に抑えることが可能となる。

このパブリックヘルスの立場から考えると、若い世代のなかでも稀に重症化する人がいても、それが確率として低ければ、さほど重要視はしない。一方、臨床医学では、若い人も重症化すれば一人の患者なので、その治療に専念するという違いがある。対象を個人に重きを置くか、集団すなわちマスに重きを置くかで、対応は違ってくる。

個人ではなく、マスとして考える必要があるという基本的な考え方に立つと、ワクチンはパブリックヘルスの最も代表的なツールであると言える。なぜなら、副反応という有害事象は一定程度あったとしても、予防効果がそれを上回る場合に、集団に導入するものだからである。ヘンダーソン博士の前述の言葉を思い出していただきたい。

では、その効果はどこから得るのかといえば、適切に収集し解析した大規模データからしか得られない。

パブリックヘルスの考え方が日本はあまりにも希薄であるため、ワクチン政策でも立ち遅れている面があるのだ。

危機管理ワクチンとは何か

私たちが生まれた時から接種するワクチンは多い。麻疹や風疹、ポリオ、B型肝炎などなじみがある読者も多いのではないか。これらのワクチンは、当該感染症にかからないようにするためのもので、ワクチンスケジュールに則って行われる。

たとえば、B型肝炎は生後すぐなど、年齢によって打つ時期が決まっている。これらの定期接種と今回の新型コロナウイルスワクチンの違いは、新しい感染症に対して早急に開発し、効果と安全性を見極め、短い期間に多くの国民に打たなければならないということだ。すなわち、危機管理ワクチンである。

新型コロナウイルス感染症が流行し始めたころ、多くの人は有効なワクチンが短期間に開発され実用化されることは難しいと考えていた。ところが、その予想に反して、短期間で効果があるワクチンができ、世界各国で接種が進んでいる。

ワクチンへの懸念とデータ不足

しかし、まったく懸念がないわけではない。すなわち、ワクチンの効果がどの程度続くのか、中長期的な健康問題(有害事象)がどの程度の確率で起こるかははっきりしていない。 また、今回のワクチンはIgGという免疫グロブリンに対する抗体ができることにより効果を示すが、新型コロナウイルスは、IgGのほかIgAという免疫グロブリンが関与することがわかっており、これに対する抗体産生は、いままで開発されているワクチンによる免疫反応が起こらないことから、ワクチンを打って自分が新型コロナウイルスの感染は免れるにしても、他者にうつす可能性は残されている。

加えて、いわゆる変異種に対してもどの程度効果があるのかはよくわかっていない。

これらの疑問に関しては、日本人のデータが決定的に不足している。 特に、実際に国内でワクチン接種を行った場合の効果や安全性に関しては、相当数のデータを追跡していくことが必須であるが、日本ではそのようなデータが不足している。

日の丸ワクチンの開発はできても海外で売れない

大規模なワクチンの効果判定(フェーズ3)が日本で行われたことがないことは前述したとおりであるが、実際にワクチンを接種した際の効果や安全性に関しても、フェーズ3と同様にヒトを対象とした大規模な調査が必要となる。日本ではそうした経験もないことから、今後こうした調査もできない可能性が高い。

これらの大規模なヒトを対象とした調査研究が行われない限り、有効なワクチンを日本発で作ること自体が難しくなる。有効なワクチンは、当該疾患を根絶したり、重症化を防ぐことが可能であるが、効果が曖昧なワクチンを導入しても、意味がないどころか、かえって労力がかかって国を疲弊させてしまう。

また、ワクチン開発は海外市場も視野にいれることから、国際スタンダードでのワクチンの効果判定ができない限り、たとえワクチンの開発はできても海外で売れないということになってしまう。

喉から手が出るほど欲しい接種した人のデータ

ファイザーとアストロゼネカの新型コロナウイルスワクチンの供給が十分に行われないとして法的措置をとるとしたイタリアに反して、イスラエルでは世界最速で新型コロナウイルスワクチンの接種が行われている。イスラエルはワクチン供給側に2倍のお金を払ってワクチン供給を確実なものとしているとの報道があるが、もっとも重要な点は、データをワクチン供給側に提供していることにある。 ワクチンを接種した人のデータは、ワクチン供給者側にとって喉から手が出るほど欲しいものだ。どのようにワクチン接種が行われたか、ワクチン接種がスムーズに行われたか、行われなかったとしたらどんな問題があったのか。

また、軽微な副反応や接種を注視しなければならない有害事象の頻度はどの程度なのか、どういう人たちにそれらの事象は起こりやすいのか、接種してどの程度の期間で起こりやすいのか、などなどは、今回のワクチンを世界展開するうえでも、新しいワクチンを開発するうえでも極めて貴重なデータである。イスラエルはこれらの詳細なデータ提供を担保に、ワクチン供給を安定化させたのではないか。

前述した数万人規模の臨床試験ができないということは、イスラエルが行っているようなデータをとれないということと同義である。言い換えれば、日本はこれらのデータ取得に関しても極めて脆弱な状況にある。

今回、ワクチンの日本人での実際の効果や副反応に関するランダム化比較試験は、国産の危機管理ワクチンを実用化するための、最後の機会と言える。

ワクチンは国防である

いま新型コロナウイルスに対するワクチンは、短期的な有効性は確認されている。しかし、以下の問いに対する答えは、実際にワクチン接種を行いながらデータを蓄積していく以外はない。

・どれくらい効果が続くか(半年ぐらいだと冬前にまた打つ必要があるかも)
・人にうつすのを防ぐのか(まだよくわからないと言われている)
・一回だけでも効果はあるのか(二回の場合の半分ぐらい?)
・誰に接種すべきか(特に効果が短期間だとすると、中高年に限定して半年ごとのほうがいい?)

正しいデータ分析は、実情を知るうえで重要である。実際どうなっているかを知らないと、対策が立てられない。新型コロナウイルスに対してはわかってきたこともあるが、わかっていないことも多くある。それゆえ、継続したデータ解析を行うことは、政策決定を臨機応変に行ううえで極めて重要である。

繰り返すが、ワクチン接種もワクチン開発も国防である。いつまでも羅針盤のない、砂漠を漂う状況では国を守れないし、国民が不幸になってしまうことを政府は肝に銘じてほしい。(初出:月刊『Hanada』2021年5月号)

木村盛世

© 株式会社飛鳥新社