「陽性やった」車中の衝撃 未知への恐怖、薬害エイズと重なる光景

薬害エイズ事件で亡くなった江口継男さんと、妻の洋子さん

 新型コロナウイルスによる死者は国内で1万人を超えた。死別は遺族の心身に大きなダメージをもたらすが、感染症への差別を恐れ、周囲に支援を求めることができない人もいる。かつて同じ苦しみを味わったのが、薬害エイズ事件の遺族だ。国や製薬企業との和解成立から今春で四半世紀。当時困難に直面した遺族は今、何を思うのか。(岸本鉄平)

 「陽性やったわ」。1987年春、江口洋子さん(86)=兵庫県西宮市=は夫の継男さん(91年6月、46歳で死去)からエイズウイルスに感染したことを聞かされた。夜道を走る車中でのことだった。

 継男さんは血が止まりにくい血友病の患者で、幼少期からひどい痛みを伴う内出血に苦しんできた。関節の周りがぱんぱんに腫れ上がり、横になれなくなることもしょっちゅうだった。そんな時は、江口さんが一晩中、ベッドから転がり落ちないよう背中を支えて過ごした。

 血友病の治療には、血を固める「凝固因子」を補充する血液製剤が使用されていた。薬害エイズ事件は、ウイルスに汚染された非加熱血液製剤が米国から輸入されたことにより、千数百人もの血友病患者が感染被害に遭った未曽有の薬禍だ。米国では82年に血友病患者の感染例が報告されていたにもかかわらず、日本では84年、厚生省(当時)の研究班が使用継続を決定したことで対策に遅れが生じ、感染拡大を招いた。

 継男さんの治療に製剤が使用され始めたのは80年ごろ。エイズウイルス感染が判明した87年当時は、製剤の危険性を伝える報道が増えていた時期だ。

 今では考えにくいことだが、当時は治療法がないことやカウンセリング体制が未整備なことなどを理由に、感染告知に否定的な血友病専門医も多かった。

 継男さんは頻繁に出血し、その都度、かかりつけの病院などで製剤を使用していた。感染判明の1カ月前には魚の骨が歯茎に刺さり、血が止まらなくなって入院し、緊急処置を受けたばかりだった。その時も主治医から感染の有無について説明を受けることはなかった。

 「何も言われないのは、陰性だからだろう」。そう考えようとしたが、不安は拭いきれなかった。継男さんは退院後に主治医のもとを訪れ、検査結果を教えるよう強く求めた。

 江口さんは車中での告白に衝撃を受け、言葉をなくした。ハンドルを握る継男さんも、それっきり口をつぐんだ。「夫は、血友病という、言葉で言い尽くせない苦しみをずっと味わってきた。それでも神様から『まだ背負い足りない』と言われた気がして、とにかくつらかった」

 2人の将来、仕事、実家、近所との付き合い。話さないといけないことは山ほどあった。でも、話をしたら涙が止まらなくなると思った。継男さんがどんな顔をしているか、運転席を見ることもできなかった。対向車のライトが迫ってきては、後ろに過ぎ去っていく。ただそれだけの、静かで、沈鬱な時間―。

 江口さんが京都新聞社の取材に初めて応じたのは今年1月。30年以上前の光景を思い起こすのには理由があった。かつてエイズウイルスが社会にパニックを引き起こしたのと同じように、未知のウイルスが昨年来、世界中を混乱に陥れていた。心をざわつかせる、「デジャヴ(既視感)」だった。(6回掲載の予定です)

夫の継男さんからエイズウイルスに感染したことを告げられた時の様子を振り返る江口さん(兵庫県西宮市)

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