Vol.13 ドローン業界内転職、エンルートからJDRONEへ[空150mまでのキャリア〜ロボティクスの先人達に訊く]

ドローン・ロボティクス業界にいち早く参入して活躍するプレイヤーの方々のキャリアに焦点を当て、その人となりや価値観などを紹介する連載コラム[空150mまでのキャリア~ロボティクスの先人達に訊く]第13回は、2016年10月に入社したエンルートから、2021年4月にドローン業界内転職を果たした浅井広美氏にインタビューした。

浅井氏の新天地はJDRONE。同社は、DJI代理店やドローン運用サポートのイメージが強いが、前身の日本サーキットは30年来、電子回路基盤の設計や製造、無線システムの開発などを手がけてきた実績がある。JDRONEは日本サーキットの新規事業として立ち上がり、2019年にスピンアウトしたという経緯があり、実はJDRONEも多様な機体のカスタマイズや周辺機器の開発に強みを持つ。

また、JDRONE、日本サーキットともに、名古屋に本社を置くトーテックアメニティのグループ会社である。浅井氏は、「トーテックアメニティは自動車産業や航空産業との関わりが深い。社員数は2000名以上、8割がエンジニアで、創立50周年の老舗だが20代から40代の層も厚い。グループのシナジーを生かしてドローン産業の発展に貢献したいと考えた」と、"転職の決め手"を語ってくれた。

本稿では、浅井氏が2016年にエンルートへ入社して異業種からドローン業界に飛び込むまでのキャリアと、2021年にエンルートからJDRONEへとドローン業界内転職を果たすことができた理由について、お話を伺った。

私の人生、そんなに待っている時間はない

浅井氏が、はじめに就職したのは1986年。ちょうど男女雇用機会均等法が施行された年に、住友銀行に入社した。

もともと理数系が得意で、「数学は100点じゃないと嫌だった」という。高校の先生から大学進学を勧められるも、「早く社会人になって活躍したい」と進路を決めたそうだが、「住友銀行の制服が一番可愛かったの」と微笑む姿はとてもチャーミングだ。

1994年の流動性預金金利自由化に伴うシステム開発では、PM的な立場で社外エンジニアチームをたばねるなど奮闘したという。その勢いで総合職を目指したが、学歴を理由にさらに数年の経験が求められ、「私の人生、そんなに待っている時間はないわ」と24歳で退職した。

浅井氏:走っているような人生でした。その後、カナダのバンクーバーに3ヶ月語学留学し、保険会社に転職もしましたが、20代後半で「好きなことを仕事にしたい」と思い、そこから「自分の好きなことって何だろう」と、探したんです。たまたま誘っていただいた、ボジョレーヌーボーのテイスティング会で、ソムリエという当時はあまり知られていなかった職業に巡り合って、これだと思いました。

「ソムリエになりたい」という情熱が原動力となり、金融業界から飲食業界へ、はじめての異業種転職を果たした。ここでは4つの職場を渡り歩く、ジョブホッパーとして経験を積んだ。余談だが、筆者は2000年代前半、リクルートで「好きを仕事にする本」の制作に携わっていた。当時、好きを仕事にという価値観がまだ世の中的に目新しく、眩しく輝いて見えたことをよく覚えているのだが、浅井氏の決断と行動はこれよりもずっと早かったのだなと思った。

浅井氏はまず、世界的なソムリエの田崎真也氏がいるホテル西洋銀座に入社した。「ここなら一流のワインや世界中のお酒が揃っている」と考えたという。さらにフランス料理の勉強もしたい、と次は帝国ホテルへ。一流の環境に身を置き、夜まで仕事、朝まで勉強。2000年には、オーストラリアワインコンクールで準優勝、帝国ホテル開業110周年カクテルコンテストで優勝を果たした。

浅井氏:まず先に、何をやりたいか、自分はどうなりたいのかを考えて、そのためにどういう勉強や資格が必要か、どこで働くのが一番よいかを考えるようにしていました。

さらにオークラフードサービスの六香庵では、和食とワインのマリアージュを追求し、店長もつとめた。探究心と楽しさから走り続け、ソムリエとしての実力と経営マネジメント力、両方を磨き上げたが、身体への負担は大きく外食産業からは身を引く決断をしたという。

好きなことを極めたら無になった

体調を崩してしまった浅井氏は、カクテルの延長で、ヘルシーで美しい野菜ジュースのレシピをいくつも作り、一時期は「オリジナル野菜ジュースバー」の開業も考えていたという。

そんなとき知ったのが、野菜ドリンクのVEGETERIAや、デパ地下でお惣菜を販売するRF1などを運営する、ロックフィールドの求人募集だった。「中食産業であれば、昼間に働けて、これまでの経験を生かせる」と即応募。700名のうち7名採用という狭き門を突破して、商品企画開発室でマーケティングやトレンド調査を担当した。

浅井氏:いま思えば、ドローンメーカーであるエンルートと、通じるところがありました。ロックフィールドは、生産者と直接契約して、工場で食品を製造し、販売するという、製販一体体制の食品メーカー。私がトレンド動向や市場調査やマーケティングを行って、開発や製造をサポートし、各種申請、広報、関係各社との調整などといった周辺業務を推進するという感覚は、ここで身についたのだと思います。

新規ブランドを立ち上げるなどやりがいも大きく、ロックフィールドには12年在籍した。反面、食については好きなことを極めてしまったようだ。「探究したい」と、心から思えることが少なくなった。

浅井氏:本当は、漢方を極めたかったのですが、48歳で大学生になって、貯金を切り崩して暮らすというのは現実的ではないと考えて諦めました。その時、食の世界で積み上げてきたものが、すべてゼロになっちゃった。いちど「無になろう」と思いました。

頭と心に、"何でも入る空きスペース"を作ってあげることと、気づきを得ようとする意識が功を奏したのか、浅井氏はたまたま見ていたテレビで知った、「ドローン操縦士」という新たな職業に心を奪われる。2016年5月、ゴールデンウィークのことだったという。

浅井氏:当時は、60歳以降も定年に関係なく独立して働けるよう、「手に職を持ちたい」と考えていました。ドローン操縦士は、いまからどんどんニーズが増えるけどまだ少ない。ということは、自分がそこに参入して手伝うことで、市場の活性化にもつながるのではないかなと思ったのです。ただ、ドローンが本当に世の中で役に立つものなのかと、半信半疑でした。

当時、周りの友人はこぞって反対したという。「ソムリエになって、カクテルのコンテストで優勝もして、ここまで食品関係で地位を築いてきたのに、何でドローンなの?」と。

浅井氏:みんなからそう言われて、自分でも分からない…って、言葉に詰まりました。でも、分からないからこそ、自分で調べて、やってみて、ダメだったら戻ってくればいいやと思ったのです。

ドローン操縦士を目指し「ワクワクした」

ここから、2016年エンルートに入社するまでの4ヶ月間、浅井氏の行動量がすごい。まず、「ドローンって何?」「DJIって何?」という、超初心者の立場から、知り得た情報を同じ立場の方々に提供するため、ブログ「ドローン操縦士になるための100の質問」を立ち上げた。ちなみに、いま読ませていただいても大変勉強になる内容だ。

当然、スクールも検討した。ブログではスクール一覧も紹介したが、浅井氏が選んだのは、2日で20万円と短期間で凝縮して学べるアマナドローンスクール。学び始めた当初は、空撮で独立を視野に入れていたという。DJI Phantom 4を購入し、セキドで練習し、趣味でやっていたカートでは大井松田カートランドのPVを自主的にドローン空撮で制作した。

浅井氏が空撮・制作した大井松田カートランドの紹介映像は8000回以上再生されている

アウトプットすることで、画角や編集へのフィードバックを得ることができ、「私は単に操縦ができるだけで、空撮を専門領域にはできない。もともとカメラマンさんや映像制作をしている方なら、もっときれいにできるだろう」と、素直に認められたという。

「それなら、ドローンの会社に就職できないか」と、行ってみたのはハローワークだ。いまでこそ、ハローワークの求人情報を検索すると、測量や太陽光パネル点検などの仕事もヒットするが、浅井氏によると2016年は「セキドとエンルートの2社だけだった」そうだ。

浅井氏:販売がしたいのではないし、機器メーカーも経験がないから無理だと思って、そのまま放置していました。でも、ジャパンドローン展の講演を聞きに行ったとき、たまたまエンルートの伊豆さんがスピーカーとして登壇されていて、求人募集が出ていたことを思い出し、ダメもとで応募したところ、書類選考が通って、面接も30分で合格になって、翌週からエンルートで働き始めました。

「ドローン操縦士」というキーワードだけを頼りに、調べ、学び、飛ばし、周りにも情報提供するなかで、「ずっとワクワクを追求していた」という浅井氏。人生2度目の異業種転職で、ドローン業界に踏み込んだ。

ポータブルスキルを生かす

採用面接で、「自分で飛行申請して空撮している」とアピールすると、「飛行申請業務をやってくれる人が必要」といった具体的な話題に進んだという。また、異業種転職で求められるポータブルスキル(持ち運びできるスキル)もマッチしたようだ。

浅井氏:ドローン業界は未経験でしたが、サービス業での店長としての経営マネジメント経験や社内の研修育成の経験、前職の食品メーカーでの新規商品開発やマーケティングの経験が、当時のエンルートで必要としていたポジションに、何か繋がるところがあったのだと思います。

エンルートで前半2年は、飛行申請、機体認定登録、スクール事業、研究開発サポート、市場調査などに携わった。自ら、エンルート機の操縦技能も身に付け、エンルートのスクールERTSの産業用無人航空機操縦技能認定1級、2級、インストラクター認定も取得した。

こうして、実務を通じてスキルも磨きながら、エンルート管理団体とERTS講習団体を新規で立ち上げ、2017年6月には国交省ホームページ掲載を果たした。さらに、管理団体、講習団体の統括運営責任者に就任して、エンルートを退社するまでに約400名の操縦士を輩出したという。

機体認定登録は9機種を担当し、実機確認依頼書作成、国交省航空機安全課による審査、実機確認、認定までの一連の実務も行った。そうした開発周辺業務のほかにも、メディア対応やリリース作成といった広報業務、契約書作成などのバックオフィス業務まで、幅広く対応したという。

浅井氏:私、操縦は下手なんですよ。だから、それ以外のところで貢献できるよう、特に社内の操縦者や開発者と、外部のハブになるところの業務はすべて巻き取るつもりで動きました。最初の頃は、あまりに専門的な知識が少なくて申し訳なくて、必死で学びました。

無人航空機の世界を作る「途中」

実は筆者が浅井氏と初めてお会いしたのは、ドローンエンジニア養成塾という、ドローンソフトウェア開発スクールを取材したときだった。浅井氏は、エンジニアではないにも関わらず、コース2というDroneKitを活用したソフトウェア開発技術を学ぶコースを受講し、見事MVPを受賞されていた。

ドローンエンジニア養成塾2020年春夏(9期)浅井氏MVP受賞インタビュー

「非エンジニアでも、アーム、離陸、自動航行、着陸、ディスアームまで、プロポなしでドローンを飛行させるコードを書くことができた」と語る浅井氏が、ここまで学んだ理由は、「経営と開発のハブとして、もっと機能したかったから」だそう。

浅井氏:エンルート後半の2年間は、経営陣を補佐する仕事も多かったので、開発の状況を開発者に代わって、より分かりやすく説明し、事業戦略立案に役立てていくためには、エンジニアリングの知識が必要だと考えました。

また、経営戦略部長として、外部のさまざまな団体との連携やワーキンググループにも参加した。いま、まさに最終調整の段階に入っている操縦者ライセンスや機体認定といった新制度のベース作りにも寄与してきたという。

しかし、2021年1月18日にNTT e-Drone Technologyへの一部事業譲渡を発表したことで、状況は一転。1月末付でエンルートを退社することになる。もちろん社内では事前に周知されたというが、誰にも相談することはできない。浅井氏は、またもハロワークの求人を検索。「ドローンでこんなに募集が増えたんだな」と嬉しい驚きを感じつつ、ドローン業界内転職を目指したという。

浅井氏:エンルートでやっていた仕事は、新しい企業が受け入れてくださるという話だったので、私はこれを機会に卒業させていただきましたが、ドローン業界を離れるという選択肢はなかったです。無人航空機の世界は、まだまだこれから作り上げてくことがたくさんあります。それを途中で辞めるのはもったいないと思ったのと、4年間培ってきた経験を生かせるという自負もありました。

産業化のスピードを連携で加速したい

1月18日、エンルートの一部事業譲渡が公になると、「浅井さん、どうするの?」とすぐに連絡があったという。そこで初めて、「辞める」と公表。すぐに、「うちに来ないか」という声かけや、知り合い経由の求人情報がいくつか寄せられたという。

浅井氏:誠実にお仕事をしてきたことを、外部の方にも見ていただけていたと分かり、嬉しかったです。実績をきちんと形として残してきたことも、大きかったのではないかと思います。また、ブログや講演など、発信を続けることの大切さも、今回の転職を通じて改めて実感しました。

今後は、JDRONEをはじめトーテックグループの資産を生かして、ドローン業界の発展に寄与したいという。着眼点は、こうだ。

浅井氏:これからのドローンは、フライトコントローラーとコンパニオンコンピュータを繋ぎ合わせてさまざまなセンサー類を制御し、さらにIoTやAIの活用、5Gなど通信手段の広がりにも対応していく必要があります。つまり、ロボットとしてドローンを進化させるために、ソフトウェア制御技術と通信技術の開発が不可欠です。

実はエンルートにいたときから気になっていた企業の1つが、JDRONEでした。回転翼機のみならず、シングルモーターや固定翼機の運用やDJI SDKを利用した開発の実績もあり、さらにトーテックアメニティは、IT、ネットワーク、組込み、電気・電子設計、機械設計と、幅広い領域のエンジニアをバランスよく抱えています。日本サーキットは通信に強みがあります。こうしたグループのシナジーを生かせば、これまでより速く、用途に応じた機体の性能向上を図れるのではないかと思っています。

また、国産ドローンメーカーで働くなかで、売ったあとのメンテナンスや整備においても確かな品質を担保する、"アフターフォローまで誠実"というのが日本のものづくりの良さだと実感しました。これを途絶えさせず、産学官で連携しながら、ドローン産業化を加速するお手伝いをしたいと考えています。

JDRONEでの浅井氏の肩書は「社長付特命担当」。すでに、「ドローン業界内の横のつながりを太くしたい」と動き始めているという。「同業者同士、"できないところを補い合う"ことで、ともに産業化を進めたい」と話す浅井氏。こうした考えは女性らしく、業界に求められるものではないかと感じた。

浅井氏:ドローン業界自体が、1つの会社みたいに思えることもありますが、現実にはそうもいきませんので(笑)、各社がお互いの強みを持ち寄って融合させることで、さらにいいものができ、製品化、ビジネス化を加速することが大事だと思います。ぜひJDRONEをうまく利用いただきたいです。

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