笑っていいとも!「ウキウキWATCHING」作曲者・伊藤銀次は “全冷中” だった! 1982年 10月4日 フジテレビ系バラエティ番組「森田一義アワー 笑っていいとも!」の放送が開始された日

テーマ曲の依頼がきた!「森田一義アワー 笑っていいとも!」

僕が今まで作曲してきた楽曲の中で、誰もが知っているもっとも有名な曲といえば、まちがいなく「ウキウキWATCHING」だろう。

それは取りも直さず、この曲がテーマ曲として使われた『森田一義アワー 笑っていいとも!』(以下、『いいとも』)が1982年に始まって、なんと2014年まで32年間も続いた人気長寿バラエティー番組だったからなのだ。まさかこんなに長くお茶の間に流れる曲になるとは、その依頼を受けたときにはまったく想像もつかなかったのである。

『いいとも』の前に放送されていた、『笑ってる場合ですよ!』がまだまだ人気を博して放送中だった頃。あの『オレたちひょうきん族』も手掛けた辣腕プロデューサー、横澤彪さんから直々にテーマ曲の依頼を受けたときは、ほんとに驚いた。

それまで、イグアナの物真似や中国人の麻雀などのちょっとアングラな存在で、けっして夜11時より早い時間にはテレビでお目にかかれなかったタモリさんを「昼間のスターにしてみせます!」と明るく力強く豪語されたからだ。しかも番組オープニングで、タモリさんが “いいとも青年隊” という若い男性三人組といっしょに歌って踊りながら登場するという。「銀次さんにはそんな曲をお願いしたいのですが」という言葉が意表をついた。

伊藤銀次の最短作曲時間曲?「ウキウキWATCHING」

当時のタモリさんのイメージとのあまりのギャップに一瞬とまどいがあったけれど、そのとき、昭和30年代に大好きで毎週楽しみに見ていた、クレージーキャッツやザ・ピーナッツが出演していた音楽バラエティーショーの草分け、『シャボン玉ホリデー』のエンディングシーンがなぜかふっと脳裏に浮かんだのだった。

「およびでない」や「がちょーん」などの楽しいギャグ、おしゃれでポップな洋楽のカバーなどが満載のその30分番組の中で、僕の頭に焼き付いていたのは、その日の出演者が最後に全員登場して、ボックスというステップを踏みながら坂本九さんの「明日があるさ」を歌う、とってもウキウキする楽しいシーンだった。

「そんなイメージの曲はどうでしょう?」と横澤さんに提案してみると、「いいですね、それでいきましょう!」との快いお返事。すでに作詞家の小泉長一郎さんの「ウキウキWATCHING」というタイトルの詞がすでにできていたのでそれをいただいて、一目散に帰宅、ウチに着くやいなやギターを手に曲作りを始めたら、なんと20分くらいでできちゃった。

いつも自分が歌う作品の場合は、あれこれ余計なことを考えすぎて腰が重くなってしまうのが、すでに詞もあって、それがとってもポップで語呂のいい作品だったので、軽い気持ちでひたすら詞にそってメロディーを口ずさみはじめたら一気にできてしまった。とりあえず僕が今まで手掛けた曲の中では最短作曲時間曲だろう。

その曲が32年もお茶の間に流れることになろうとは。ほんと世の中は何が起きるかわからないからおもしろいんだよね。

鷺巣詩郎のディキシー風アレンジがばっちりフィット!

2012年に僕の40周年記念アルバム『GOLDEN☆︎BEST』にボーナストラックとして、セルフカバーの僕のヴァージョンを収録したので、僕のファンのみなさんはもうご存知だろうけど、意外とあの曲は僕が作った曲だと知らない人が多かった。それは、番組の最後に流れるスタッフのテロップに、「音楽:鷺巣詩郎 伊藤銀次」とクレジットされていたからだと思う。

厳密には、作曲したのが僕で、この頃忙しかったので、番組内のジングル制作や、「ウキウキWATCHING」の編曲などは鷺巣さんにお願いした。ちょっとサッチモの「Hello Dolly」のようなディキシー風なアレンジがばっちり曲にフィットしていてそれがよかったね。

後年、大滝詠一さんが亡くなる一年ほど前に、この「ウキウキWATCHING」の話になったとき、「銀次君、あれの元ネタはハーマンズ・ハーミッツの「ミセス・ブラウンのお嬢さん」だろう?」と言われたときは意外だったけど、大滝さんにそう思わせたのは、鷺巣さんのアレンジに負うところが多いような気がするね。

人気コーナー「テレフォンショッキング」にも出演!

『いいとも』の人気コーナーといえば業界人が友達の輪をつないでいく「テレフォンショッキング」だが、僕も一度だけ、1986年2月11日に出していただいたことがある。そのちょっと前に杉真理君、安部恭弘君、EPOさん、麗美さんたちと、熊本県民劇場での音楽イベントでご一緒した飯島真理さんから回ってきたもの。

タモリさんとは実はこのときが初対面ではなくて、70年代、タモリさんがまだ世に出る前、ジャズピアニストの山下洋輔さんの東京でのライブの打ち上げで、僕はタモリさんとインチキ・ドイツ語歌舞伎などをやってたことがあったのだ。何を隠そう僕は山下さんが会長だった今はなき「全冷中(全日本冷し中華愛好会)」のメンバーで、サックス奏者の坂田明さんたちとハナモゲラ語を話す仲だったもんだから。

せっかくの『いいとも』出演、かえすがえすも悔いが残るのは、「ウキウキWATCHING」の曲作りの話になり、『シャボン玉ホリデー』の話をしながら、その場で立ち上がって思いつきでボックスを踊ろうとしたら、なんだか手足がチグハグに動いて、とってもみっともないダンスになっちゃったこと。タモリさんにも思いっきり笑われちゃったし。ちゃんと練習しとくんだった。と言っても、いまだに相変わらずちゃんとできるわけじゃないのだけれどね… 。

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カタリベ: 伊藤銀次

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