UGICHIN(『DOCUMENTARY OF GOOD PLACE-Live Together,Rock Together-』監督)- 主役はライブハウス!みんなで一緒につくりあげていく世の中になればいい

今、映画なんて制作してもどうなるの? という不安

──オンラインサーキットイベント「GOOD PLACE」を企画するなかで、どのタイミングで映像作品にしようと思われたのですか。

UGICHIN:最初は、作品として残そうと考えていませんでした。4月のコロナ禍に入ってからやることがなにもなくなってしまったので、マルチストリーミングという方法でライブハウスをつないでオンラインサーキットイベントをしたらおもしろいんじゃないのかなと思ったんです。自分がなにかを作るというよりもみんなで一緒に楽しいことをしたかったんです。それで、6月くらいから準備をしはじめたら、「一応撮っておいたほうがいいんじゃないか?」ってまわりから言ってもらって撮影を始めました。

──最初は記録用として撮影をされていたんですか?

UGICHIN:そうですね。その様子を見た知り合いが、「クラファンで支援をもらって映画にしてみたらいいんじゃないか」と言ってくれたんです。映像を作ることが僕の本業なので、オンラインサーキットイベントをやりながらそれを作品にもできるのはいいなと思いました。制作をし始めたころは年末くらいには完成させる予定で、「完成までの間に僕らがやってきたことを総括できるドキュメンタリー映画になるのかな」と想像していたんですけど、10月・11月と過ぎていくなかで、「これは消化できるような作品ではないな」と気づいたんです。撮影・編集をしている間も、どういう着地点に落ち着くのか全然わかりませんでした。

──コロナも落ち着かないし、結末が見えないまま撮り続けられて。

UGICHIN:年が明けてからも、どういうエンディングに持っていけばいいんだろうと考えていました。結局、最初に僕が想像をしていたのとは全然違いましたね(笑)。だって、翌年になったらある程度はライブハウスでライブが開催できるようになっているはずだし、配信と現場での生ライブがどう共存していくのだろうかなんか考えていましたから。それなのに全然コロナが終わらないし、もうこれは配信うんぬんではないなと思い始めたんです。

──それこそ撮影を始められた4月には、「夏ごろには落ち着くだろう」とみんな思っていましたよね。それでも状況は一向に良くならないし、これは来年になっても無理じゃないかと思うなかで制作を続けるのは不安ではなかったですか?

UGICHIN:すごく不安でしたね。最初はもうどうしようかと悩みました。サーキットイベント当日は僕は東京にいたので、東京以外はそれぞれの地域の映像ディレクターに撮影をお願いしてたんですけど、11月に改めて現地に取材に行ったんです。そこで、実際に行ったら悩んでいた気持ちが切り替わりました。今、映画なんて制作してもどうなるの?って思ったんですけど、各地に取材に行ったことで、僕が今までつくってきたように見たものをそのまままとめて、いろんな人の意見を絡み合わせていけばいけばいいんだと気づきました。そこで不安はいったんなくなって、これは作り続ければ見えてくるんじゃないかなと思えたんです。

──配信はやったことがないし、なにから手をつけていいかわらかないからうちはできないって断られたりはしませんでしたか。

UGICHIN:それで断られたところもあります。6月ころはまだ生配信には自信がないって言われてしまうことも多かったです。ライブハウス側も全面的に、「いいですねやりましょう」っていうわけではないですし。でも、その気持ちは僕らもすごくわかるんですよ。やらないですむならやらないほうがいいですよねっていう気持ちはどこかであるから。やっぱり配信って慣れていくと面白くないんだと思うんですよ、見ていてもやっていても。ただ、そこに関してはよりリアルなライブを配信するっていうだけではないな、と。僕らはきっと真面目すぎるから、もっとできることはどんどんやればいいなと気づいたんですよ。

──たしかに、MVのようにきれいなライブ配信を見ているよりも、この映画に出てくるようなちょっとひいた映像でスタッフがいそがしく動いているところも見えるような場面を見たときに「あ!その場にいるみたい」と思いました。

UGICHIN:大阪で「CRAFTROCK CIRCUIT」というイベントを配信してもらったときに、あるバンドが機材をフロアに降ろしてライブをしたんです。それはやっぱり、見ている側もドキドキしたんですよ。僕らはまだリアルなライブを再現しよう、というところで止まってしまっているなと思いました。それだけだと面白くないですよね。僕らはもし怒られたら謝ればいいっていうスタンスなんですけど、そういう配信プラットホームもないと面白くないなって思うんです。ただ、配信は誰でも見られるという点でルールはなくてはいけないですけどね。だから、去年は翻弄された1年で、今年は続ける1年だなと思います。配信に対してシビアにもなっているし、見てもらえなくなっている現状もあるし、でも小規模だとしても楽しいことを続けていきたい。これからだなって思います。今年はまだほかに配信は決まっていないですけど(笑)。

一本目の映画制作の体験として最高だった

──配信が広がり始めた当初は、配信をする側も「全国から見てもらえる」という希望がありましたけど、1年以上たってなおこの状況で、配信を見る人もする側も迷いが出てきた時期だと思うんです。でもこの映画を観て配信の裏側を知ることで、一旦ライブハウスから離れてしまった人や、配信に飽きてきてしまった人がもういちど新たな気持ちでライブに触れるきっかけになる気がしました。

UGICHIN:そうなったらありがたいですね。ライブハウスのみなさんにサーキットイベントの提案をしたのも支援をしたかったわけではなくて、「一緒に作りませんか?」という気持ちだったんです。なので、映像の主旨としては配信がこれだけ頑張っているんだよ、大変なんだよと伝える気持ちではないのですが、これまで配信なんてしたことのなかったライブハウススタッフたちが一生懸命に取り組んでいるっていうのをわかってほしいなという気持ちが出てきました。

──「カメラを買う」「機材を覚える」からはじまりますからね。

UGICHIN:そうなんです、そこをわかってほしかった。配信の裏側が見えないと、どうせ映像関係の人が全てやってるのかなって思われちゃうけど、実際は違うんですよね。なにも知らないところから始まるんです。

──どこのライブハウスの人たちも配信用の機材を初めて購入して、「ノウハウを学ぶことが楽しい」とかポジティブに捉えていましたよね。決してこの状況を悲観しないで、前向きに新たなことに取り組んでいる。自分たちも含めて、ライブハウスの人はしぶといなっていう前向きな気持ちになれる映画でした。12月まで撮影をしている間で、気持ちの変化はありましたか。

UGICHIN:めちゃめちゃありますね! あまりにも先が見えなすぎて、やる気がなくなっちゃうときもありました(苦笑)。11月に地方の撮影が終わったのですが、さて地元の東京をどうしようかと考えて、ミュージシャンやバンドにインタビューをしたんですけど、それが12月15日までかかりました。いろんな人のいろんな意見を取材していくと、不思議と不安がどんどんなくなっていくんですよ。まだ自分のなかには凝り固まった固定観念があったんだなと気づかされました。どれが正解っていうのはないけれど、人の意見を聞くと刺激になるし最終的にはこの映画の意味っていうのは心の垣根をこえられるかどうかだな、と。ライブハウスとミュージシャン、ライブを観る人、各地で働く人……いろんな人がいるんだから、みんなで一緒につくりあげていく世の中になればいいなと思うんです。

──取材に行くなかで、地方と東京の温度差は感じましたか?

UGICHIN:ありましたね。こればかりは、現地に行かなければわからないことがたくさんありました。感染者がまだ少ない地域に行くときは、「東京から来られるのはやっぱりこわい」って言われましたし、そういう気持ちも最初はちょっとおろそかにしていたなと気づきました。大都市や観光地として成り立っている場所は、外部から人が来ることに関しては慣れているんですけど、各地で状況の受け止め方は違いました。だけどそれは、どっちがつらいとかどっちがいいっていうものではないですから。

──上映ツアーが始まりましたが、トークをされる会場もありますよね。

UGICHIN:時短要請があって、20時までっていう規制があるから短い時間になってしまうんですけどやります。映画を観てもらうだけでも成立はするんですけど、もうすこし踏み込みたいんです。

──クラファンの投稿に、「この映画は何かを否定するものではなく、色々な考え方を受け入れてみんなで前に進んで行こうという作品です」と書いてありましたが、さっきお話しに出たバンドのように、正解がないなかで自分で選んでやっていかなくちゃいけない状況で、いろんな場所でいろんな人の思いを聞いて現場でどんなことを考えていましたか。

UGICHIN:これはいい大人になったから出てきた考えだとは思うんですけど……。ミュージシャンから居酒屋店主からいろんな場所でいろんな人にインタビューをして作品にしたけれど、全員の意見に賛同しているわけじゃないんですよ。僕らみたいにライブハウスの現場を知っている人だけが見るわけじゃないので、いろんな人に届くようにって考えると、「僕は共感しなかったけれど誰かはこの意見に共感するかもしれない」と思うので、なるべくいろんな人にインタビューしたかったんです。それに、せっかく地方にいくんだから、いろんな人に一言づつもらいたかったんです。観てくれる人も、全部の意見に賛同しなくていいから、どこかしらにひっかかってほしいです。

──そういった多様性こそライブハウスの本質ですよね。沖縄の60年近く続く居酒屋とか、苫小牧のムラサキスポーツとか、業種にかかわらずコロナ禍で頑張っている人たちの声をとりあげることで、作品のなかでグラデーションが生まれていい効果を生んだ気がします。

UGICHIN:自分たちのやっていることをわかってもらいたい! ということではなくて、いろんな人の言葉を集めるのはやっぱりおもしろいですよね。僕はずっとMVをつくってきたんですけど、ドキュメンタリー映画を作ってみたいなと思ったことがあったんです。それがコロナ禍という状況で作ることになって、逆によかったなと思ったんです。誰か特定のアーティストをフィーチャーするわけでもなく、クライアントがいるわけでもなく。こんなにいろんな人に協力をしてもらったり、こんなに人にお願いしたことはなかったなと思う1年だったから、これでよかったです。制作スタッフがいて配給会社がいて……っていう自分のイメージしていた映画制作の光景とは全然違っていましたけど(笑)。すべてを自分でやるしかない状況で、これが1本目の映画制作の体験というのは最高だなと思います。

──2020年のライブハウスシーン、インディペンデントな音楽シーンの記録を克明に描いた映画でもありますよね。コロナ禍で暮らしていた人の資料としても貴重だなと思います。

UGICHIN:今までは、依頼を受けて、すでに人気のある人だったり、予算が先にあるなかで、見てくれている人がいるという前提で作っていたので、そういう風に捉えてくれる人が今目の前にいるということだけでも大丈夫かも、って思えました(笑)。結論が出るような映画ではないですが、なんにでも当てはまるような気がしています。学生でも社会人でも親でも子供でも、なにかあったときに見返してもらえる映画になったら嬉しいですね。

今までは受け身だったと気づかされた

──誰が見てくれるんだろうと思いながら編集をされているときに、音楽はなにを聴いていましたか?

UGICHIN:今回楽曲を使わせてくれたAfter The NUKESはすごく聴きましたね! 最後に流した「APPLE SEEDLINGS」という曲が僕の中で響きまくっちゃって。あれもすごくいい出会いだったんです。

──もともとお知り合いだったんですか?

UGICHIN:いや、同じシーンにはいたはずなんですけど絡んではいなかったんです。去年の5月に知り合いのブログにAfter The NUKESのアルバムが発売されるって書いてあってCDを買って聴いてみたら、オフィシャルサイトに「この楽曲は自分たちで著作権をもっているので何か作品に使いたい場合は連絡をください」と書いてあったので、メールを送って直接やりとりをしたんです。

──エンドロール、粋な終わりかたですよね。

UGICHIN:映画のエンドロールを自分たちがやるのなら、最後はライブを見せるしかないでしょと思ったんです。あの映像は、年があけてから撮りにいきました。ちょっときれいごとになっちゃうんですけど、なにかやるときってきっかけは純粋なんですよね。それで作品がだいぶ長くなっちゃったんですけど(笑)。

──これまでは依頼があってMVを作るといったクライアントありきのお仕事だったと思いますが、今回の作品は完全にDIYで能動的に作るしかないっていう状況で、仕事のやりかたが全然違ったということですよね。それはコロナが生んだ良い部分の一つでもある気がします。

UGICHIN:僕らの業界って受け身だな、って改めて思って。ミュージシャンと仲良くなって「MVを作ろうよ」って話になったとしても、僕自身が出資するかっていったらほぼないと思うんですよ。「作らせてよ」とはなるかもしれないけれど、「作ってほしい」と言ってもらって撮ることがほとんどだったので、そういう考え方もすこし変わっていくのかなという気がします。

──MVはクライアントありきですし、作家性を全面に出すのは難しいところもありますよね。

UGICHIN:理解できないものは受けいれてもらえなかったりしますから。でも今後は、「この曲のMVは自分に作らせてください」って自分たちから行動を起こして作る作品も出てくるといいなと思います。

──今後やりたいことも増えましたか?

UGICHIN:性格的にはだいぶ腰が重いタイプなので、メールで案件がきても少し寝かせたいなと思ってしまうんです(笑)。すぐやる人もかっこいいし、そういう人から見たらとっととやればいいのにって思われるタイプなんですけど、今回の映画もプラットホームも、「やってみたらおもしろいんじゃないかな」と思ったことができたので、そういう自発的なことは続けたいと思っています。

──映画の最後で、それぞれの土地の人のインタビューにまざってミュージシャンがいたりして、いろんな人を一線に並べて夢を語ってもらうのは今回の映画の多様性を象徴している気がしました。

UGICHIN:最近、ステージに立つ側と見に行く側っていうのがはっきりと区別されている気がするんですよ。ミュージシャンがまるでタレントみたいな扱いをされることに違和感があるんです。もちろん人気があるのは素晴らしいことだけど、ライブハウスに行けばさっきまでステージに上がっている人がバーカウンターにいて、帰りの電車も同じだった! みたいなことあるじゃないですか。ライブってそういうものだったのに、今はタレントと視聴者みたいな関係性が強い気がするんですよ。そこを取り戻すというか、ライブハウスや現場に行けば同じ空間にいるのを感じられるように、バンドの人だろうが地元の人だろうが同じく扱いたかったんです。

──ライブハウスってこういうところだよなって思いました。いろんな意見を取り入れるって大切な視点ですよね。

UGICHIN:僕自身が映画を作り始めてから人とたくさん話して、インタビューをして、いろんな人の言葉や考え方にすごく影響されましたね。たとえ賛同ができなくて、じゃあ自分だったらどう思うかな、って考えるんです。俺のやり方はこうだって押し付けるのではなくて、いろんな考えかたができるようになった気がします。思ったより真面目な作品になりましたね。おもしろいこともいっぱいあったんですけど、それはトークイベントなど違う形で出せたらいいなと。

ライブハウスシーンを残すために

──松山サロンキティさんが、「自分の居場所は自分で作るんだ」っていうのはライブハウスのあり方としてとても共感できました。

UGICHIN:行動を起こした人なんですよね。正解はないですけど、自分自身はやってみたのか動いてみたのかって考えさせられたし。でも、考えて考えてやっぱりだめだって思うことっていっぱいあるじゃないですか。どうせできないよ、って。場所や状況にもよりますし。だから、「松山だからできたんでしょ」とは思われたくないけれど、「東京だからできない」っていうわけでもないし。映画を見てそれぞれに考えてもらえたいんです。

──ライブハウスはひとりでいても心地いい場所だったのに、国に支援を訴えたときに横のつながりがないと弱いなと思いますよね。今のコロナ禍の状況では連帯しないといけないし。

UGICHIN:ライブハウスシーンを残さないといけないですから、自分だけが残ればいいっていう人はいないと思うんです。国への要請もそうですけどひとつのことをみんなでやるっていうのは今後も必要になってくる気がしますね。ただ、べつに仲良くなくてもいいんですよね。そこはスポーツと似ていて、ライバルをリスペクトしていないわけではないんですよね。ライバル同士が同じプラットホームの中にいて、あっちには負けたくないっていう感情があってもいい。

──zoom画面で、各ライブハウススタッフが「繋がった!」って喜んでいる場面は感動的でした。架空空間のなかでもちゃんと繋がっていると実感できるのは不思議ですよね。

UGICHIN:今後、どうしたら続けられるかみんなが悩んでいるし、配信をやらなくなる人もいると思うんです。人それぞれだから、一生やったからえらいというわけでもないですし。やったらえらいですけど(笑)。でも、やめたからだめっていうわけじゃないんですよね。

──6月1日は新宿ロフトで上映がありますが、これから見られる方へのメッセージをお願いします。

UGICHIN:僕は映画をわりと見に行くんですけど、マニアでもないし詳しいわけじゃない。ただ、なにかあったときには見に行くんですよ。すごい嫌なことがあったときとか、仕事でひと段落したときとか。映画って、本を読んだり音楽を聴いたりするくらいの感じでインプットできるものだと思っています。見に行かなくちゃ、とかライブハウスに行って支援しなくちゃっていうのではなくて、たまたま時間があいたから見る、みたいなノリでいいのでインプットしてみてください。予告編だけではなかなか伝わらないことがたくさんあるので、自分のなかで考えてみてもらえたら嬉しいです。

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