“超遅球”で甲子園を驚かせた右腕 社会人で味わった“挫折”と新たに生まれた夢

2014年夏、東海大四高で甲子園に出場した西嶋亮太さん【写真:石川加奈子】

西嶋亮太さんは22歳で現役を終え、現在は営業マンとして活躍

2014年夏、東海大四の西嶋亮太投手が投じた超スローカーブはテレビ中継の画面から消えた。計測不能のボールは2秒ほどの間を置いて捕手のミットへ。甲子園をどよめかせた小柄な右腕は今、スーツに身を包み、営業マンとして北海道と東北各地を飛び回っている。西嶋さんがあの夏を振り返り、現在地と未来を語った。前後編の後編。【石川加奈子】

18年シーズン終了後にJR北海道硬式野球クラブから戦力外を告げられた。22歳で現役を終えた西嶋さんは現在25歳。プロ野球界なら働き盛りの年代だ。

実際、甲子園で戦った九州国際大付の清水優心捕手と山形中央の石川直也投手は日本ハムの主力選手になっている。高校2年秋の北海道大会決勝で対戦した駒大苫小牧の伊藤大海投手、東海大四時代のチームメートだった今川優馬外野手は今年日本ハムに入団。3年春の北海道大会決勝で戦った北照の斎藤綱記投手もオリックスでプレーしている。

彼らの活躍を見て複雑な思いにならないだろうか。現役に未練はないのだろうか。そんな疑問を投げかけると、西嶋さんは「全くないです」と笑い飛ばした。「注目されれば、されるほど辛いので『頑張れ!』としか思わないです。プロ野球に行っている知り合いの話を聞いても、周りからしたら夢の舞台でも、本当に大変なことの方が多いので」とプロの世界で生きる同世代の仲間にエールを送る。

14年夏の甲子園に出場した時、将来プロに入る選手はどういう選手かを肌で感じた。西嶋さん自身は、高校時代に初球ストライクが取れる、バント処理を失敗しないといった当たり前のプレーを完璧に行えるように努力し、甲子園切符をつかんだ。「野球のレベルが1から10まであって、例えば1がキャッチボール、10がホームランとします。僕は1から3の基本的なことだけを完璧にしようと思いました。その先の8、9、10をできる選手がプロに行っているんですよ」と語る。

社会人で挫折「コントロールがバラバラになって…」

プロを考えたこともあった。「甲子園が終わった頃に“プロ注目”とか記事が載るじゃないですか。ちょっと勘違いしたのかな。大学ではなく、社会人を選んだのも、3年でパンッてプロに行きたかったからなんです」と当時の心境を明かす。

その社会人でつまずいた。「コントールがバラバラになって、投げられなくなりました。変な回転しながらキャッチャーまでギリギリ届くかなという感じ。キャッチボールもまともにできなくなりました。そんなことは高校時代にはなかったのに。イップスなのか……たぶんそうだと思います」と振り返る。

大卒選手ばかりの中で最年少。気を遣ってくれる先輩たちに申し訳ない気持ちがあり、自分を出すことができなかった。「練習量が減ったことと、年齢の壁。上下関係が厳しかった訳ではないのに、自分で勝手に壁をつくって、そこにぶつかったことが原因ですかね」。社会人3年目に内野手に転向し、4年目に投手に復帰したが、高校時代に見せた抜群のコントロールが戻ることはなかった。

現在札幌に本社を置くインターネット関連機器販売会社で営業をしている西嶋さんは将来、指導者を目指している。「野球から完全に離れたい訳ではないんです。高校の指導者になって、また甲子園に行きたいなと思っています。甲子園に行くための考え方を伝える側になれたら……夢ですね」と秘めた思いを打ち明けた。

自分で考えた超スローカーブを甲子園で堂々と投げて勝利を挙げ、社会人ではイップスに苦しんだ。栄光も挫折も味わった西嶋さんなら、固定概念にとらわれない指導者になりそうだ。「“自分の世界”の野球が好きなんです。型にはまった野球ではなくて、ちょっとずれていて『なんだあの野球は?』って思われるような野球をやりたいですね」。いたずらっこのような笑みを浮かべながら未来を思い描いた。(石川加奈子 / Kanako Ishikawa)

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