日本のはじまりの地・橿原神宮へ開運の旅【奈良橿原&飛鳥の旅5】

世界的パンデミックの早期収束を願い、日本はじまりの地といわれる「橿原神宮」で最強の開運お守りを入手しませんか? 緊急事態宣言明けの夏の小旅行は、密を避けての奈良の旅、橿原神宮と神武天皇陵参拝はいかがでしょう。

あの有名和歌や神話に登場する大和三山

「春すぎて夏来にけらし白妙の衣ほすてふ天の香具山(かぐやま)」

夏が近づくと、この和歌を思い出します。持統天皇(女性)が飛鳥時代に詠み、百人一首にも収められ、誰もが知る超有名なこの歌。初夏の清々しい青空と新緑の山、そこにハタハタと風に棚引く白い衣が目に浮かぶようです。この歌に詠まれた「天の香具山」は奈良県南部の橿原(かしはら)市にあり、なんと、1300年以上経った今でも現存していて見ることができます。

畝傍山と橿原神宮

橿原市には、我が国初の都「藤原京」跡を囲むように、大和三山(やまとさんざん)と呼ばれる3つの山があります。香具山はそのひとつ。あとの2つは、畝傍(うねび)山と耳成(みみなし)山です。これらの山々は古代人にとって特別な山でした。どの山も標高200mに足りない小さな山ですが、橿原の街をバスで移動している間に、今でもはっきりとそれらの山々を見ることができます。

初めて香具山の稜線を見た時は感無量でした。高校時代、古文は苦手という人でも印象に残った歌であるはず。そこに詠われた香久山は藤原京跡周辺の平野から南東の方角にあり、肉眼でもよく見渡せるのです。その距離感も納得しました。持統天皇は、この辺りから香久山の光景を仰ぎ見て「もうすぐ夏ね!」という気持ちになられたのかな、など、古代の風景を思い巡らすこともできます。

わが国建国の聖地、橿原神宮へ

上記の大和三山のひとつ「畝傍(うねび)山」の麓は、日本建国の地であることが『日本書紀』に記されています。わが国の第一代天皇である神武天皇が、橿原宮を創建されたことに由来します。詳細は下記公式HPをご参照ください。

https://kashiharajingu.or.jp/about

明治時代に入ってから、この地に神宮創建をという声が民間有志より起こり、明治天皇はこれを深くほめたたえられ、明治23年(1890年)4月2日、橿原神宮が創建されました。御祭神は、神武天皇と媛蹈韛五十鈴媛皇后(ひめたたらいすずひめこうごう)です。

「神武さん」の愛称で親しまれる初詣神社

橿原神宮は、奈良県民にとってはハズせない初詣スポット。正月三が日で約120万人(2020年調べ)の参拝客が訪れます。東京・明治神宮の初詣参拝者が約300万人といいますから、かなりの人出です。2月11日建国記念の日の「紀元祭」、神武天皇の命日4月3日の「神武天皇祭」をはじめ、多くのお祭りも行われ、地元では、神武さん、また若者には橿神(かしじん)などと呼ばれ親しまれています。

ちなみに、明治神宮は大正9年(1920年)にできましたが、昭和20年(1945年)に戦火で焼け落ち再建されています。再興の際、橿原神宮の建築を参考に作られていることをご存じでしょうか。境内を歩きながら、どことなく似ているところも感じながら神社内を散策してみましょう。(上写真は、橿原神宮内のイメージです)

ご本殿建物は京都御所から移築

御神体が納められているご本殿は、明治天皇の御意向で、京都御所内の内侍所(ないしどころ※)として使われていた1855年建築の建物を移築しているというから驚きです。現在、国の重要文化財に指定されています。※内侍所=天照大神(あまてらすおおみかみ)の御霊代(みたましろ) である神鏡が祀られていたところ

明治23年(1890年)の創建当時は小さな境内でしたが、昭和15年(1940年)に拡張工事が行われて現在の広さに。総面積は森も含めて約53万平方メートル、甲子園が約13個も入る広さです。ちなみに、森は多くの人々の奉仕によって作られた人工の森で、植樹約7万本のうち約2万本は全国からの献木とのこと。今では動物や鳥も生息する豊かな森となっています。

人気ナンバー1の開運お守りがコレ!

神社で一番人気のお守りを巫女さんにお聞きしてみたところ、上写真の「開運延寿のお守り」でした。お守り袋の上に金色のトビである金鵄(キンシ)が刺繍されています。

神武天皇が平和な国づくりを目指して九州・高千穂の地から大和国へ向かう東征の最後、豪族ナガスネヒコとの戦いで苦戦している時に金鵄が現れて形勢を逆転させたという伝説があります。金鵄=幸運のシンボル、大いなる目標を勝ちとり心願が叶うお守りです。初穂料は1,000円。

こちらの愛らしい「金鵄みくじ」と「鮎みくじ」は、金鵄と鮎を模ったもの。鮎は、神武天皇が倭(やまと)の国平定の戦いの際、勝敗を鮎で占い勝利したことから、縁起の良い魚といわれています。初穂料は各500円。

勝ち守りはこちら。初穂料1,000円。

新型コロナウィルスや病気から身を守りたい方は「やたがらす健康守り」をぜひ。この3本の足をもつ鳥は八咫烏(ヤタガラス)と呼ばれ、神武天皇東征の途中、熊野(現在の和歌山辺り)で道に迷ったとき八咫烏が正しい道へ導いてくれたという言い伝えがあります。子どもの健やかな成長を願うためのお守でもあります。初穂料500円。

大きなご神徳をいただくためのメッセージ

この歌碑には、

「遠つ世の風ひそかにも聴くごとく 樫の葉そよぐ参道を行く」

と刻まれています。平成28年(2016年)、神武天皇が崩御されて2600年を迎えました。その年に斎行された神武天皇二千六百年大祭後、当時の天皇皇后両陛下が橿原神宮へご参拝になり、皇后陛下(現上皇后陛下)がその時のお気持ちを詠まれたものです。

「ここへ参拝する目的は、神武天皇にご挨拶して何かしらの祈願をされることだと思います。神武天皇の時代には自分たちの先祖もどなたか生きていらして、その頃の先祖を想いながら静かに心の中で対話してみる、という気持ちで参られたら、より一層、ご神徳をいただけるのではないでしょうか」と今回取材に応じてくださった神職さま。読者の皆様へメッセージをいただきました。

神武天皇のお墓「神武天皇陵」も一緒に参拝

せっかく橿原神宮に来たなら神武天皇のお墓(御陵)も一緒に参拝しましょう。橿原神宮から北へ約1kmの距離にあります。考古学専門家たちによると、日本の民族のはじまりが神武天皇である、と意識し始めたのは聖徳太子の時代まで遡るそうで、その時代にも神武天皇の墓は畝傍山の中央にあるのでは、といわれていたそうです。さらに江戸時代になると、水戸光圀公が「畝傍山周辺にあるはず」と、側近のカクさんこと安積覚兵衛に調査をさせていたとか。

この写真は橿原神社内の地面に敷いてある玉砂利です。「玉=魂」。砂利を踏みしめながら自らの魂を鎮め、先祖を想い、疫病退散と世の中の平和を祈りませんか。

橿原神宮

住所:奈良県橿原市久米町934

電話:0744‐22‐3271

開閉門時間:日の出~日没(※季節によって異なる)

(宝物館は土・日曜、祝日のみ開館。平日は要予約)

https://kashiharajingu.or.jp/

神武天皇陵

住所:奈良県橿原市大久保町

電話:0744-22-3338(宮内庁書陵部畝傍陵墓監区事務所)

開閉門時間:8:30~17:00

無休

https://www.kunaicho.go.jp/ryobo/guide/001/index.html

https://www.city.kashihara.nara.jp/kankou/own_kankou/kankou/spot/jinmu.html

[All Photo by SACHIKO SUZUKI]

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