リニア新幹線の命運を握る静岡県知事選挙の背景! 「富国有徳」の学者知事に 建設族期待の前参議院議員が挑戦【下】(歴史家・評論家 八幡和郎)

この記事は、リニア新幹線の命運を握る静岡県知事選挙の背景! 「富国有徳」の学者知事に 建設族期待の前参議院議員が挑戦【上】の続きです。

静岡県の公式Facebookページより

学者知事と挑戦者の横顔

今回の知事選挙で面白いのは、現職も新人も、静岡生まれでもルーツがあるわけでもないことだ。川勝知事は、京都府出身で、先祖は秦河勝など帰化人の古代豪族に連なるといわれる。早大政経学部で学び学者となり、「文明の海洋史観」で注目された。

「豊かな物の集積と廉直の心を重んずるアメリカから精神的に自立した美しい庭園国家をめざすのが日本の未来戦略」という「富国有徳」論は、小渕政権のキャッチフレーズとなり、さらに前静岡県知事の石川嘉延によって、県政運営の基本理念として「富国有徳の理想郷“ふじのくに”づくり」が掲げられることになり、木村尚三郎氏の後任として静岡文化芸術大学の学長に迎えられた。

壮大な文明観をもった学者らしい学者であり、カリスマ性にあふれているいるが、実務家と意見がかみ合わないこともある。だが、非常な喧嘩上手でもある。

左翼というわけではなく、反マルクス主義が出発点だというし、かつて、「日本最強内閣」と題する雑誌アンケートに答えて、内閣総理大臣に櫻井よしこ、外務大臣・曽野綾子、内閣官房長官・中山恭子、財務大臣・堺屋太一、農林水産大臣・竹中平蔵などと回答したこともある。

朴槿恵の告げ口外交で日韓関係が悪化したときに静岡での日韓首脳会談を提唱したりしたことが、韓国に利用されるのでないかと危惧する人がいたりするが、それはまた別の話で川勝自身が左翼的だとは思えない。

喧嘩上手というのは、JR東海という県民感情に訴えやすい喧嘩相手を選択するとか、松下政経塾出身でユニークな田辺信宏静岡市長を相手に、「大阪都構想」に似た構想を打ち出したり、なにかにつけ対立点をつくっているが、鈴木康友浜松市長などほかの首長との関係は悪くない。

岩井茂樹氏は全国区から選出されていた岩井國臣元参議院議員の息子である。國臣氏は福岡県行橋市本籍で京都で生まれ育ち建設省の技官だった人だ。茂樹氏は名古屋大学卒業の土木技術者で、親子そろって土木の世界で生きてきた人だ。

候補者公募で2009年10月の静岡県選出議員補欠選挙に手を上げ、そのときは落選したが、2010年の通常選挙で当選し当選2回だ。

静岡県選挙区は、定数2で、与党・野党が1議席ずつの指定席である。広島や茨城と違って、普通にはどちらかが2議席というわけにはいかない勢力図なので、3選を狙えば安泰のはずだった。

10月には参議院の補欠選挙ということになるが、常識的には、来年の通常選挙まで半年余りの任期になるので、野党も本気の候補は出さないかもしれない。

現職有利が普通の知事選挙であるので、もし落選したらどうするのかも、心配する人もいる。衆議院で空いている選挙区というと、細野豪志氏が選出されている静岡第5区では、自民党の吉川赳氏が3連敗しているので、今回は比例への重複も対象にならず苦しいので、そのあとにという自民党県連の一部には思惑もあるが、どのようなパターンでも、細野氏は安泰という見方が強く、よく分からない。

今回の知事選挙では、自民党が細野氏、あるいは、浜松市長の鈴木康友氏を擁立するのではないかという噂も流れた。もし、川勝氏が4選されれば、この二人が次の選挙では、後継候補としてまた名が上がるだろうが、細野氏には中央政界の方が似合っていると私は思うがどうだろうか。 

選挙情勢については、川勝陣営優勢といわれてきたが、岩井陣営の巻き返しが急ピッチともいわれる。川勝知事は、コロナ禍だというので、公務優先ということでSNSでの発信などが中心になっている。

知名度の低い岩井氏にとっては選挙戦が盛り上がらずに苦しい状況だが、それでも、川勝陣営のやり方も極端という批判もあり、微妙なところだ。

 

【参考:戦後静岡県歴代知事の横顔(拙著「47都道府県政治地図」啓文社書房より)】

① 小林武治(1947年)は長野県生まれ。旧制五高で池田勇人・佐藤栄作と机を並べ、東京大学卒業後は逓信省入りした。逓信院次長などを経て官選の静岡県知事となる。三方原用水計画・南富士地帯開発計画・大井川用水促進計画の「開拓三大計画」をてがけた。再選には出馬せず、参議院議員に転じ厚相や郵相をつとめた。

② 斎藤寿夫(1951年)は富士市の生まれ。京都大学から内務省入りし、静岡県の部長をつとめ、小林武治を押しのけ知事となった。佐久間ダム、伊豆スカイライン、田子の浦港の建設などをした。とくに、佐久間ダムは米国の技術や重機を活用した画期的なもので、巨大ダム開発の先駆となった。

③ 竹山祐太郎(1967年)は、現在の磐田市に生まれ、東京大学農学部を卒業。農商務省に技官として入り日本協同党から代議士となり鳩山内閣では建設相。田子の浦港のヘドロ公害の解決に取り組み、浜松医科大学を誘致した。参議院議員だった山本敬三郎に禅譲するために、任期切れをまたずに退任。長男の竹山裕は小渕内閣の科技庁長官。

④ 山本敬三郎(1974年)は伊豆半島賀茂郡の富豪で、東京大学で学び、三井物産などで勤務したのちに県議、参議院議員。東海地震説を受けて、「静岡は危険な地域だと公言するに等しい」という反対をものともせず、「大規模地震対策特別措置法」や「地震対策事業財政特別措置法」を制定させ、学校の耐震化、避難路整備、津波対策の海浜堤防強化策などにつとめた。

⑤ 斉藤滋与史(1986年)は大昭和製紙の創業者である斉藤知一郎の次男で、静岡県に生まれた。夫人は豊田英一の娘である。大昭和製紙副社長、富士市長を経て、代議士となり、鈴木善幸内閣の建設大臣となる。浜松テクノポリス、静岡空港などさまざまなプロジェクトに手を染めた。病気のため任期途なかで退任。

⑥ 石川嘉延(1993年)は現在の掛川市の出身。東京大学から自治省入りし、静岡県総務部長、行政局公務員部長をつとめた。派手さはないが、組織のフラット化、職員数の削減などに取り組み、「新公共経営」を全国に先駆けて導入した。健康増進や医療の充実にも熱心に取り組んだ。

⑦ 歴史学者の川勝平太(2009年)~本文参考

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