ダンカンさん(タレント) 母と祖母のうどん 一番のごちそう

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ダンカンさん

うちの親父は米軍基地で、洋食のシェフをやっていました。横田基地やジョンソン基地(現航空自衛隊入間基地)の中で働いていたんです。

僕の子ども時代、昭和40年代前半は高度経済成長期。まだ今みたいに豊かな時代ではありません。病気でもしないとバナナを食べられないといった感じでした。

その頃、僕は学校で隠し事をしていました。親父は米軍基地から余った料理やお菓子を大量にもらってきていたのです。クリスマスで盛大にパーティーをやった後、七面鳥の丸焼きとかケーキなどを持って帰って来たり。ケーキは本当にばかでかくて、色のついたクリームで作られたバラの花で飾られ、仁丹みたいな銀色の丸い粒でメリークリスマスと書かれていました。

基地の中のパーティーは、クリスマスだけではなかったですね。アメリカの歌手やプロレスラーが公演や試合をしに来ると、「兵隊さん、頑張ってね」と米軍基地を慰問に訪れるんです。すると基地ではパーティーが開かれたわけです。

大きな楕円(だえん)形の銀の皿にナプキンが敷いてあってその上に山ほどのったオードブル、ローストビーフ丸ごと、ものすごく太いソーセージ、瓶入りのコカ・コーラ、何色もあるゼリービーンズ……。パーティーが開かれるたびに、親父はアメリカのゴージャスなものを家にどっと持ってくるわけですよ。大量にあるから、一度持ってきたら、4、5日は食べ続けました。

僕は、ちゃんとした日本の食事をしてないというのを恥ずかしく感じて、友達には言えなかったですね。

アメリカの料理が好きだったら、そんな思いもしなかったでしょう。でも僕は、日本の料理の方が好きでした。普通のおみそ汁にサンマとかを焼いて食べる方がいいと感じていたんです。

アメリカの料理は大味でうまくないなあ、と。七面鳥は大きくて見た目はすごいけど、肉はパサパサ。鶏の方がずっとうまいと思いました。

お菓子は甘過ぎ。僕らきょうだいは、ケーキのクリームを全部そいで、中のカステラだけを食べていた記憶があります。ゼリービーンズも大きな袋でドカーンともらいましたけど、薬臭くて食べたいとは思いませんでした。アメリカ人の感覚と僕の感覚は、残念ながら合いませんでした。

うちは埼玉の田舎で、寝る時は浴衣を着て蚊帳をつって、蚊取り線香をつけていました。そんな生活の中で、アメリカのものを食べることになにか抵抗があったんです。

埼玉ですから、どこの家でもうどんを打って食べていました。祖母と母が作るうどんの方が、ずっとおいしかったですよ。

うちの祖母と母、つまりしゅうとと嫁ですけど、仲が悪くてしょっちゅうけんかをしていました。でも面白いことに、うどんを作る時だけは、仲良く話をしながらずーっと踏んでいましたねえ。

うちは4人きょうだいでした。裕福ではなかったはずです。両親とすれば、ただでアメリカの料理やお菓子をもらえるわけですから、とてもありがたかったでしょう。母は、「これはいいものだから食べなさい」と言って食卓に並べていました。

でも子ども心に、そういう姿勢がみっともないとか、ちょっと後ろめたいと感じたのかもしれませんね。

祖母と母が仲良く作ってくれるうどんこそが、一番のごちそうだと感じていました。(聞き手=菊地武顕)

だんかん

1959年埼玉県生まれ。立川流の落語家で立川談かんと名乗っていた。ビートたけし率いるたけし軍団に入り、数々のバラエティー番組に出演。俳優としても、映画「容疑者Xの献身」「東京喰種トーキョーグール」、大河ドラマ「毛利元就」などに出演。また、放送作家、スポーツ紙でのコラム執筆なども行っている。